あんつぁんの風の吹くまま

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大学で学ぶ倫理と行動規範

 現在、社会福祉を学ぶ為に通信教育ではありますが学生をしていて、この前の土日に臨時で設けられた教室で講義を聴いてきました。通信教育部の特徴なのでしょうか、集まった学生は殆どが社会人であり仕事をもっていました。また、驚いたことに、家庭に障害を持った人がいたり自分自身が不登校の経験を持っているとか精神疾患を持っている人が少なからず居て、熱心に学びに来ていました。

 社会福祉とは文字通り社会環境の問題だと考えています。その為には正義と博愛の精神が欠かせません。そこで、講義を受ける前に次のような報告書を書いたのですが、果たしてどのように評価されたのか、少々不安に思っています。
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       【大和魂とは文明である】

by antsuan | 2018-10-30 12:30 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

超個人主義の人間は『同じもの』を認識出来ない野獣のようなもの

 解剖学者の養老孟司によると、人間は知性による言語を駆使することによって「同じ」を認識するが、感性だけの犬や猫などは「同じ」という認識がないのだそうだ。

 確かに、犬や猫が、鏡に映っている自分の姿を見て、自分と同じとは認識出来ずに騒ぎ立てている光景を目にする。

 しかし、感性だけの動物が劣っているかといえばそうではないだろう。人類は感性が劣ったことによって知性を駆使せざるを得なくなったと考えるのが妥当といえる。理想は感性を失わずに知性を磨き上げることなのだ。

 かつての日本人は、夏目漱石の「私の個人主義」に在るように、「個人」の中に私と公の両方が在ることを認識していた。しかし、現代はそういう知性が大分希薄になってきてしまったように思う。

 日本語文化を失うことは日本文明が消滅することである。

 言葉こそ文明の基礎であることを、今の日本人は再認識する必要が在るのではないだろうか。

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    正義と博愛の満ち溢れる社会を目差して

by antsuan | 2018-10-25 12:22 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

足を骨折した選手、這って襷を渡す。これを美談と言わずして何が美談か。

 女子駅伝の予選で、足を骨折した19歳の選手が残り二百メートルを這って行き、襷を渡してリレーを繋いだという報道に思わず感動してしまいました。

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 ところが、これを美談とすべきではないという意見が在ると知り、がく然としてしまいました。これを美談とすべきでないと主張する人々は、いったい何を持って美談とするのでしょうか。

 マラソンとかリレー競技の由来を知れば、この選手の精神こそがマラソンの意味で在ることが解るはずです。

 しかし、日本人は、WGIPに洗脳されており、歴史における日本人の美談の数々を知らされていないので、このようなトンチンカンな意見が出てくるので在りましょう。


      【大和魂とは文明である】

by antsuan | 2018-10-24 12:30 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

個人情報保護法は差別を助長し格差を拡大するので、日本の風土風習に合わない、侵略者の為の悪しき法律といえる。

 日本の風土風習の優れたところは、遮断の発想が希薄なことではないだろうか。そんなことを記した玄侑宗久の随筆を見つけたので添付することにする。
東京新聞より抜粋
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 今や携帯電話を持っている人の個人情報は、すべて、様々な国の情報機関に筒抜けになっていると覚悟しておいた方がよい。いや、覚悟する必要も無いのかもしれない。なぜならば、前述したように日本人は遮断の発想をほとんど持っていないのだから。

 確かに、すべてを明け透けにして生きていけば怖いものなんて何もないのだ。

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    正義と博愛の満ち溢れる社会を目差して

by antsuan | 2018-10-22 18:40 | 司法 | Trackback | Comments(0)

「原発を鎮める」

 福島第一原発ダム湖化計画という、フクイチの放射能汚染問題に対する現実的な提案が在るのをご存知でしょうか。これは建築エコノミストの森山高至氏の提案なのですが、科学者ならば誰でも納得がいく提案だと思います。




 「都市鉱山」という言葉が在ります。生産された物が廃棄物となり、その廃棄物に含まれている鉱物を再利用しようというものです。この考えでいけば、将来技術開発が進んだ場合には、廃棄物となった福島第一原発施設の放射性物質が都市鉱山として見直される可能性が在るということになります。


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   正義と博愛の満ち溢れる社会を目差して

by antsuan | 2018-10-21 00:58 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

プラゴミ分別の理由はここにあったのか。チャイナはプラゴミを欲しがっていた。

 チャイナがプラスティックゴミを輸入していたなんて全く知りませんでした。

 中部大学総合工学研究所特任教授の武田邦彦先生が常々述べているように、ゴミの分別は全く無意味なのに、何故、行政がそれを推進しているのかがどうしても理解出来ませんでした。

 しかし、チャイナがプラスティックゴミを欲しがっていたというのならば話は別です。日本政府はチャイナの意向に沿ってプラスティックゴミを集めるように画策していたのでしょう。

 
 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]

by antsuan | 2018-10-20 07:43 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

地球温暖化どころか、氷河期が近づいてきている不都合な真実

 自然科学は未だまだ判らないことがたくさん在る。にもかかわらず、政治家は科学を利用するが科学者の言うことは聞かないのだ。

 するとどうなるか。当然、科学のしっぺ返しを人類や他の生物も被ることになる。

 政治的地球温暖化問題も同様のことが言えるというか心配されるのだ。

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[ 和歌や俳句は自然との対話。自然との対話は祈りのことである。]
by antsuan | 2018-10-19 00:58 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(2)

日本を良くするには、裁判官が、WGIPの洗脳から目覚めることが必要だ!

 今の日本は、政治家がダメ、裁判官がダメ、報道記者がダメの暗澹たる世界なのですが、それでも、小泉純一郎首相の靖国神社参拝、藤原正彦の『国家の品格』の出版と、カタツムリの歩みほどではありますが、WGIPによる東京裁判史感の呪縛から放たれつつあります。

 ですから、トランプ大統領のように、裁判官がツイッターで真実をぶちまけることにより、戦後レジームの崩壊は加速することでしょう。
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    正義と博愛の満ち溢れる社会を目差して

by antsuan | 2018-10-18 17:42 | 司法 | Trackback | Comments(0)

「まだあげ初めし前髪の・・」 「野菊の如き君なりき」  失敗は青春だ!


 このブログを始めて13年の歳月が過ぎた。良く続いていると思う。そして未だ止める気は無い。いや、止められないといった方が正しいかも知れない。なぜなら、ブログを続けていて自分がどんどん成長して来ているような気がするのだ。

 自分とは全く異質の性格を持った人の話を聞けるようになったのはブログのお陰だろう。逆に、相手を傷つけてしまうようなコメントを書いて炎上してしまうこともあったが、それも今は懐かしい思い出となった。

 何時だったか、お付き合いを始めた方のブログで「最高の恋愛」とは何かという話になった。即座に、他のブロガーからのコメントがあった。「失恋に決まっているじゃないか」と。

 残念ながら最高の恋愛をしたことはない。淡い恋をしたことはある。その想い出を大切にしてブログを続けていきたいと思う。

若菜集 「初恋」 (島崎藤村)

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

踏み初めし細道なき海なれど、波のしぶきに誰ぞと問いたまふ
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[ 和歌や俳句は自然との対話。自然との対話は祈りのことである。]
by antsuan | 2018-10-17 07:25 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

「風と共に去りぬ」のように


 「風と共に去りぬ」は南北戦争時代のアメリカ女性を描いた物語の題名である。

 多くのものを失い、愛する人に去られた一人の女性が、故郷の家の前で「自分はここで生きて行く」と心に決める、その映画のラストシーンが忘れられない。


 海から帰り、艇をディンギーヤードに戻して塩抜きしていると、風が強まって来てマストやリギングがヒューヒューと音を立てはじめる。一日の出来事をその風が吹き飛ばすかのようだ。

 この葉山の潮風に吹かれた友がブログを閉じると云う。全ての事象は過ぎ去るものなのだ。この世は諸行無常の世界である。

 だが友よ、頬に当たった波しぶきを思い出して欲しい。

 そして、あの葉山の潮風がいつも貴女を呼んでいることも。


 [ 分かち合うことが出来れば、悲しみは半分に、喜びは二倍になる ]
by antsuan | 2018-10-15 23:59 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)