あんつぁんの風の吹くまま

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独立国となった飛鳥の時代


 前方後円墳の出現がヤマト王権成立のサインであるとすると、それは三世紀始めの頃となる。仏教伝来により大化二年に出された「大化の薄葬令」によって古墳時代は終焉を向かえ、飛鳥時代に移って行く。このときにヤマト(「倭」)は大陸からの脱却をして「日本」となる歴史的転換点を迎えるのだ。

 有名な小野妹子の遣隋使は支那の皇帝に国書を持参した。それまでの諸国の王は支那の冊封を受けて支那皇帝の臣下になることで支配の正当性を獲得したのだが、この国書によって日の出ずる処の国は隋の臣下になることを拒んだのだ。また、支那から冊封を受ける国の王は支那の皇帝から「姓」を与えられる。倭の大王もかつて「倭」という姓を与えられていたとみていいだろう。しかし、その倭が冊封体制から抜け出したことにより、大王は自ら姓を持たず、氏姓を与える存在になった。だから、現在に至るまで天皇家には姓がない。次の遣唐使の時も支那の冊封を受けず、これを持ってヤマト(「倭」)と支那の対等外交が定着した。

 ふ〜ん、天皇家に姓がないということはそういう意味があったのか。

 それで飛鳥時代をまとめると、「倭」という民族の名称を使うのをやめ、「日本」の国号を用いて独立国として歩み始める。そして、天皇を中心とする中央集権化を進め、律令国家建設が完成段階に入った時期であった。さらに、支那の冊封体制から独立を果たしつつも、朝鮮諸国からの亡命者を多数受け入れて大陸の文化を積極的に組み込み、文明の基礎を固めた時期でもあったのだ。

 現代の日本も日米安保条約により冊封体制を受け入れているといっていいでしょう。そろそろ、そのような朝貢外交から抜け出すべき時期ではないでしょうか。

 [参考文献] 月刊ボイス十月号「天皇の日本史」第二回 確立された皇室の力
竹田恒泰(慶応義塾大学講師)
by antsuan | 2007-09-20 16:44 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)
Commented by mitsuki at 2007-09-20 21:45 x
そういう話をされると、体中の蟲が騒いじゃいますね。
前方後円墳の最北端は仙台なんだそうで、それはすなわち、稲作の北限が、当時のアグリサイエンスではここが精いっぱいだったことを示すもので、もともと亜熱帯性の農作物である稲作が朝鮮(高麗、新羅)から伝播したものではない事を示す有力な証拠となっております。
仙台に、別に足を運ばなくても済む用事があるのですが、行ってみたくなりました。
あと、朝鮮半島南部に存在するという、前方後円墳にも。
Commented by antsuan at 2007-09-21 04:45
・七福神で日本の神様は恵比寿様だけだということはmitsukiさんに教えていただいたと記憶していますが、飛鳥の時代は天皇が出家をしてしまったりしてもうその頃から神仏習合がなされています。「倭」を含むヤマトの多民族が大陸を意識して一つの国にまとまったのがこの飛鳥時代のようですね。
 靖国神社問題といい、帰国子女の雅子様問題とも含めて、神仏習合をもう一度見直すよい時期に来ていると思います。となるとやっぱり憲法改正でしょうね。