あんつぁんの風の吹くまま

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スペインで開催されるアメリカスカップヨットレース

 第三十二回アメリカスカップのヨットレースが開催されます。前回優勝したのはスイスのアリンギでした。つまり山国にヨットレースのカップを奪われたのです。で、スイスの湖で開催するのかと思っていましたが、スペインのバレンシアというところに試合会場が決まりました。

 アメリカスカップの歴史は、第一回万国博覧会の記念行事に遡ります。ワイト島一周レースに優勝したスクーナー型ヨット「アメリカ」号のオーナーが国別対抗レースを提唱し、ニューヨーク・ヨットクラブにビクトリア女王から下賜された銀製の水差し状カップを寄贈したのが始まりです。以来、米国のヨットが各国の挑戦艇を退け百四十年もカップを守っていましたが、それをオーストラリア艇が奪い取り新たな歴史が始まりました。

 余談ですが、新婚旅行でオーストラリアのパースに行った際、フリーマントルまで寄って展示してあるその優勝艇を見に行ったのですが、港の普通の倉庫みたいな場所に置いてあったので探すのに一苦労しました。今はシドニーの立派な建物に展示してあるはずです。

 一度は米国が奪還に成功しますが、その後はニュージーランド艇に破れ、ニュージーランド艇は防衛にも成功しています。そのニュージーランド艇の艇長ラッセル・クーツは国民的英雄になりました。ところがそのクーツがこともあろうにスイスのアリンギ艇の艇長になりカップはスイスに移ったのです。

 しかし、残念な事に今回のスイス艇の艇長はクーツではないようです。このアメリカスカップを取り戻すのが英国の悲願だったのですが、英連邦のオーストラリアやニュージーランドが奪還した事で熱が冷めたのでしょうか。しばらくは強力な挑戦艇が出てきていません。また米国ももはや往年の力はなくなっているようです。今回の挑戦艇は再びニュージーランドです。

 このように、国の威信を懸けた試合というのは世界的にも少なくありません。サーカーのワールドカップ、野球のワールドベースボールクラシックもそうでしょう。しかし、そこに参加する日本の選手を見ていると、国歌斉唱や国旗掲揚時の姿勢といい、とても恥ずかしくて誇りのもてるものではありません。ですからアメリカズカップに日本艇が挑戦するには、まず乗員の人格が出来てからでないと無理ではないかと思っています。

 それで今回のアメリカスカップですが、名艇長ラッセル・クーツと握手した事のある私としては、どちらを応援したら好いか迷っていますが、取敢ずスペインのバレンシアをレース会場に選んだスイス艇を応援しようかと思います。
by antsuan | 2007-06-23 14:13 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback(1) | Comments(6)
Tracked from 墓の中からコンニチワ at 2007-06-27 10:43
タイトル : 遅まきながら
遅まきながら、本当に遅まきながら昨晩「硫黄島からの手紙」を見た。 TSUTAYAのレンタルで、昨晩は先ず日本語版を見たのだが音声がヒドイ。劣化していてまるで聞こえない部分が少なくない。 それでもなんとかストーリーは追えた。 戦後、復員兵だったいろいろな先生たちに散々聞かされた話を、こうして劇映画の形式を通して見ると改めて事の重みを感ずる。 大日本帝国軍部の愚かさだ。 彼我の海軍力、空軍力の比較しようもない違いを知っている海軍、アメリカには500万台の自動車が走っているという事実を知ってい...... more
Commented by 高麗山 at 2007-06-23 19:39 x
あんっあんさん
私自身も、何度か国際試合に出場した経験がありますが、あのような文言で本当に、人さんの前で胸を張って唄えるような国歌でしょうか? 故黛敏郎や慎太郎さんあたりは象徴をたたえているのではないとシャカリキなっていましたが。
ワールドカップで選手が口篭もるように歌うのも、あながち教育のせいでなく、れっきと文言にあると、私は思っています!!
Commented by molamola-manbow at 2007-06-23 19:46
優勝艇のニュージーランダー全員がエリンギに移って山国にカップを持ち去った前大会、このクルーの考えは新しいですね。
腕を高く評価してくれた側を選び、そこにナショナリティーの存在すら許さないのですから、プロとしての颯爽感すら感じます。
金まみれの世界に、「ヨットよ、お前もか」とも取れますけど、内情には蓋をしてお涙物語の氾濫に終始する高校野球や、金だ銀だと、五輪やW杯のときばかりナショナリズムの台頭することには、辟易です。
Commented by antsuan at 2007-06-24 16:53
・高麗山さん、選手たちがそういう意識を持って口ごもるのならば大いに評価します。
 民主主義国家とは人民が"君主"なのではないでしょうか。「人民の人民による人民のための政治」と云うリンカーンの言葉は、大衆自身が君主であり、その君主である大衆の為に、王様(君主)抜きで大衆自らが政治をやりましょうと云う意味と解釈しています。ですから、「君が代」こそは民主主義国に相応しい国歌と感じております。ちなみに米国やフランスの国歌ははっきり云って軍歌、人殺しの歌です。
Commented by antsuan at 2007-06-24 16:53
・マンボーさん、二つの考えがあります。一つは、国威発揚とは関係のない腕を争う事の正々堂々とした心のスポーツ。もう一つは、そういう精神を発揮する選手を同胞として応援する人々の存在感の表明です。戦争せずに国威(民族)発揚が出来るのならば、スポーツも大いに存在価値があると思っています。
Commented by molamola-manbow at 2007-06-24 18:27
本職のスケートで代表を目指すのが難しくなった橋本聖子が自転車の代表になって、五輪に出場したことがありました。
マスコミが『夏冬連続出場』と大騒ぎしたヤツです。
代表の座を射止めても橋本のタイムでは予選落ち以外にないこと、タイムレースですからこの時点で明らかでした。橋本に負け二位の選手が出ていても、成績の上では五十歩百歩です。

素人に負けた自転車選手に言い訳は出来ません。
このことが大前提ですけど、五輪中毒で種目は何だってよかった橋本にも嫌らしさだけを感じす。

負けたスケート選手には、少なくとも後進を指導するコーチの道が開けたかも知れない。
でも、出場することだけが目的の箸本では、予選敗退で自転車との関係はプッツリです。
五輪がそんなにすばらしいのなら、一人でも多く雰囲気を味合わせやろう、そんな気にならなかったのかい?どっちが出たって同じだろうに。
橋本に当時、この様に思いました。
代表枠辞退、こらが一番すっきりした、今でも思ってますね~。
Commented by antsuan at 2007-06-24 20:06
・何事もチャレンジ精神と云う事なのでしょうけれども、スポーツマンシップなど全く頭にない。その彼女が今や国会議員で日本を動かしているんですから余計にがっくりしてしまいます。彼女には民主主義下の"君が代"の意味は分からないだろうなぁ。