2007年 01月 15日
安定を維持する為に
「戦争を放棄」することは「戦争を考えることを放棄」することではないのにも係わらず、日本人は「先の大戦の悲痛な記憶を忘れる」こと、つまり「怨念を抱かない」ことによって戦後復興を成し遂げてきた。しかし経済力と云う国力がどんなに大きくなっても、それは国力のうちの軍事力において、米国に支配されている構図の中の国際秩序であり、共存共栄の平和や安定ではないのだ。
軍事力における支配者が「平和の理想」をどんなに高らかに説いても、それは相手国の牙を抜く為であって、自分の牙はけっして抜かない。したがって支配者の云う「平和の理想」に賛意を示すことは思想戦で侵略されていることと同じなのだ。 日本人は戦争を考えることを拒否してきたがために、謀略宣伝と云う情報(インテリジェンス)戦争に負けつづけて来ていることすら気が付かない。それによって、北方領土や竹島は占領されつづけ、日本国民に使うべき我が国の税金もあちこちにむしり取られつづけているのである。 硫黄島守備隊司令官栗林中将の最後の訓辞、「予が諸君よりも先に、戦陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功はけっして消えるものではない。いま日本は戦に敗れたりと云うども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対して涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」 あの大戦で、戦場に赴いた我々の祖先は、置かれた状況がいかに絶望的であっても我が国を守る為に最善を尽くそうとした。それが玉砕であり特攻作戦だったのだ。「戦争を考えることを放棄」することは祖先の戦場での死を無意味にすることと同じなのだ。いま国力を経済力だけで考えることから脱皮しなければ、六十年続いた「安定」は泡のように消えてなくなるだろう。
by antsuan
| 2007-01-15 19:12
| 思想・瞑想・時代考証
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Comments(2)
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同感です。時代が変わっても人間としての責任感、使命感をなくしたら、一体何のための平和であり繁栄だというのでしょう。心の荒廃が今を支配しているように思えます。
・自分の牙を絶対に抜かないネオコン的平和主義者と祖先は戦ったことを我々はもう一度考え直さなければいけないと思います。
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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