2006年 12月 22日
恩師のこと
年賀状を書くたびに恩師のことを思い出すのはみな同じではないだろうか。嬉しいことに私の三人の恩師はお元気だ。小学校時代の恩師はいまだに現役なのだが、今年度をもって退官するとのお知らせを受けた。思えばこの小学校が私と家内との赤い糸だった訳で、それだけに感慨が深い。
小さい時から自分は目立たない方の生徒だと思っていたのだが、先生始めみんな憶えて居てくれる。何故か。別に頭が良かったわけでもないし、いたずらっ子だった訳でもない、母譲りで色が白かったのだ。色白といわれる女の子よりも肌が白かった。自分では全然そんなことを意識していなくても嫌というほど言われて、それが私のコンプレックスになっていた。 きっと、恩師も色の白かった男の子というぐらいにしか覚えてくれていなかったと思うのだが、その男の先生は、大学を出てすぐに私達のクラス担任をされたので、何をするにもフレッシュさが子供の心を引きつけた。黒板消しを扉に挟んだり、教壇の引き出しに死んだ蛇を入れておいたり、その度に驚く先生の姿を面白がった。そうして卒業式の時、その新米先生の目に涙が浮かんでいたのを私達卒業生は見逃さなかった。 私達一人一人が恩師にとって特別の生徒だったのだ。
by antsuan
| 2006-12-22 12:12
| 身の回り・思い出
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Comments(4)
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cazorla at 2006-12-23 06:56
あんつぁんて 色白のおぼっちゃまだったんですね。
赤い糸のお話しは 過去の記事に書かれているのでしょうか? それともこれは 予告編?
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saheizi-inokori at 2006-12-23 12:17
特別な生徒ばかり、今はどうなのでしょうか?どの先生もそうであって欲しいですね。いつもいつも。
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antsuan at 2006-12-23 19:56
・秋田に帰れば色白の子なんて普通にいるんですけれど。
12日の記事にちらっと書いたんですが、今はもう消しましたので、過去形です。
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antsuan at 2006-12-23 19:56
・生徒にとって先生は特別な存在ですから、本当は先生から見てもそうであってほしいのですが、組合に入っている先生方にそれを期待するのは無理でしょうね。
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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