あんつぁんの風の吹くまま

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何故、年寄りは未来を心配するのか

 どうして老い先短い年寄りが未来の事を心配するのだろう。と、養老孟司氏はある本で考えている。だれしも同じ疑問を持った事があるのではないか、自分の未来でない先の事まで考えようとするのは実に不思議な事だ。

 それに対する答えは人それぞれに違うと思う。宗教観によっても異なってくるだろうが、私はちょっと科学的に分析してみたい。科学が発達してきて分かった事は、人という生物と云えどもただの細胞の集まりの組織体でしかない。そしてその細胞は最終的にDNAの設計図によって作られた物だ。そこまで突き詰めて行くと、生き物はすべてこのDNAを保存し再生させて行く組織でしかない事が分かる。

 つまりDNAという設計図の中に、「DNAだけは絶える事の無いように考えろ」という命令が組み込まれていて、その命令により、人間という生き物は未来を考えている訳だ。種(DNA)の保存の法則から云えば弱肉強食は自然の摂理であり、大規模な戦争や小さな殺し合いも保存する必要のないDNAを決めるDNAの指令の一つではないだろうか。
 
 森羅万象、この世を支配しているものは人間ではなく"DNA"なのだ。それを神と呼んでいいのかは私には分からない。
by antsuan | 2006-07-11 11:01 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback(1) | Comments(8)
Tracked from 梟通信~ホンの戯言 at 2006-07-11 11:13
タイトル : 科学が敢えて触れずに来たクオリア 「脳と仮想」(2)(1..
クオリア(感覚質)とは、人間が「あるもの」と他のものとを区別して把握する何かである。同じ大きさのリンゴといっても、精巧にできた模造と本物の違いは重さを量らなくても分かる。説明が分かりにくいね。例えば赤い色の感覚、水の冷たさの感じ、そこはかとない不安・・心のなかの数量化できない、微妙で切実な感じ・・それがクオリア。そのようなクオリアに満ちているのが我々の主観的体験だ。花がいっせいに咲き誇っている美しさから感じる何か、桜から、コスモスから、パンジーから・・どうして受ける感じが違うのだろう。一本の花、花びら...... more
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-11 11:16
DNAの働きですべてが説明できるか、どうももう一つその奥のことが”科学”の世界でも避けて通れなくなってきているようです。
Commented by antsuan at 2006-07-11 11:51
空海のように、もう一つ奥の謎解きは日本人の得意とするところではないでしょうか。
Commented by seilonbenkei at 2006-07-11 18:05
日本の文化では死んだら人間でなくなると養老孟司が書いていました。だから恐怖を抱くのだと。論評は避けておきます。
さて、あんつぁんさんがおっしゃりたいことは理解できますし、私自身そう考えることもままあります。
でも、今解明されていることは、今の科学力でわかっていることにすぎないのではないかなとも思います。
Commented by knaito57 at 2006-07-11 19:09
DNAですかあ──狭量な私は、木の苗を植えるお年寄りに畏敬の念を抱きます。繁るころに自分はいないなんてことを気にもかけない無私の行為に「かなわないなあ」と思うから。★「明日、世界が終わろうとも、今日、私はリンゴの木を植えよう」とはルーマニア、リンゴをオレンジと入れ替えればイスラエルの金言です。未来を信じられなければこうは言えません。老人が未来を心配するのは自己を超えた尊い行為だと考えたいのですが。
Commented by realutopia at 2006-07-11 21:55
肉体はDNAを運搬するための乗り物に過ぎず、自殺さえも遺伝子情報の中に組み込まれていますからね。人口調整弁はいたるところに仕組まれています。人類はそのDNAさえもコントロールしようとしていますので、いずれは「運命」を克服する日が来るかもしれませんね。
Commented by antsuan at 2006-07-11 23:41
数学を中心とする科学とは宇宙語の勉強だと思います。また宇宙とは現世でありますから、何故年寄りは現世の未来の事を心配するのかという命題の解決には、現世を越えたものも関係していると考えます。勿論、宇宙語の翻訳作業はまだまだようやく始まったばかりと云ったところですね。
Commented by antsuan at 2006-07-11 23:53
養老孟司氏も同様の考えで、未来に寄与出来るような自己を越えた社会単位の構築、つまり家、会社のことを思う行為であり、その努力は必要なのだと述べています。
Commented by antsuan at 2006-07-11 23:59
私も結構な運命論者なので、敢えて遺伝子プログラムの事を書きましたが、いつも遺伝子を書き換えなければならないというDNAの運命がこの世を面白くしているのではないでしょうか。