あんつぁんの風の吹くまま

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教養の無い下品な人たちを軽蔑するのは”差別”です

 学校や教会に行くことが出来なくて、その社会の礼儀作法を知らない人たちは、世界中を見渡せば、未だまだたくさん居ます。また、旧約聖書に書いてあるような、人を殺したり他人から搾取するのが正しいことだと教わってきた人も世の中にはあふれ返っています。

 しかし、そういう人たちに「恥を知れ」と言っても解決するものなのでしょうか。それは、相手を単に軽蔑しているだけで、なんの解決策にもならないと思います。

 死の病を押して地域の平和を訴える政治家に対して、罵詈雑言を吐く人たちを軽蔑する気持ちはよく分かります。でも、そういう人たちに限って、自分が死者に鞭打つ言葉を発していることに気付いていないのです。

 日本文明がここまで続いてきたのは、祖先(死者)を敬うしきたりがあったからこそだと思います。そのしきたりを守って行きたいと思う日本人として、WGIPに洗脳された、死者に鞭打つ言葉を発していることに気付いていない人々のたくさん居ることを悲しく思います。
 


【大和魂とは心の文明である】

by antsuan | 2018-06-29 07:41 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(6)
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Commented by mimizu-clone at 2018-06-29 09:45
>相手を単に軽蔑しているだけで、なんの解決策にもならないと思います。

他者を批判することが目的の自己満足の場合は自己解決ということになるんじゃないでしょうか?

死者に鞭打つって、頑張ってる者の努力を認めないみたいな意味も含みますよね。
それこそ「恥を知れ」という行為なんじゃないかなあ。
人に期待せず「どうせダメ」っていう人を見ることが多いですが、そういう人は自分ではやったことのない(やる気もない)人だと思うんです。
大切なのは「こうしてみたらどうだろう?」という提案だと思うのですが。
提案に耳を傾けないから否定することになるんだって言い訳が出てきそうですが、それはその人にプレゼン能力がないことの証明でもあるような気が。
Commented by antsuan at 2018-06-29 18:02
・そういう自己解決をする人を全体主義者と呼ぶことにしています。

死の病を押して地域の平和を訴える政治家の声を聴けというのならば、戦争で命を捨てる事を余儀なくされた人たちの真実をもっと真剣に知ろうとしなくちゃいけないと思います。
平和惚けをしている人たちは、憲法をもっと好いものにしようという積極性が足りないような気がします。
Commented by mimizu-clone at 2018-06-30 01:24
>死の病を押して地域の平和を訴える政治家の声を聴けというのならば、

僕そんなことひとことも言ってませんけど???

憲法に関してですが、僕は平和ボケの典型かもしれません。
9条が日本を守ってるなんてみじんも思いませんが、9条の目指すところは武力放棄であると僕は解釈していますので、その意味で9条を変えたくありません。
同時にアメリカの武力の傘の下にいるのも嫌です。
でもそうなると日本は丸腰になりますよね。
例えば日本とコスタリカでは全く条件が違うから、コスタリカと違って日本は丸腰になるとあっという間に侵略されて日本という国はなくなってしまうように思います。
だったら別に流民でいいじゃんと頭では思うわけですが、実際にそれでいいのかどうか。
僕がよければ他の人(子孫含む)がどうでもいいというわけではないのですが、これ以上考えようとしないところが僕の平和ボケなんだろうなと。
だけど、そもそもなぜ国が国民を守らなければならないのかという点が、実は僕はわかってないんです。
逆を言えば、どうして国民は国に守ってもらうことを当然の前提として物事を考えるのか。
このへん、10年前とはちょっと考え方が変わった気がします。
Commented by antsuan at 2018-06-30 06:12
・mimizu-cloneさん、ひとことも言ってませんけれど考えて欲しいんです。(笑)
外圧(戦争)に巻き込まれるような民族間の交流があって初めて国と言うものを意識するようです。だから平和だとボケちゃうんですね。
日本国内においても全国統一されるまでは各地方の豪族が国と言う意識を持っていました。日本書紀が書かれた理由は支那大陸からの侵略の危険を大和民族が感じたからです。日の丸を日本の旗と決めたのはペリー提督が来てからです。

平和ボケの人は何もしなければそれでいいんですが、往々にしてCIAの片棒を担ぐのが困るんです。
Commented by mimizu-clone at 2018-06-30 07:08
>考えてほしいんです

戦争で命を捨てることを余儀なくされたことの真実についてですか?
そうですね。それは考えるより「知る」ことと思いますが、僕を含めて知ろうとしない人間(や、知ったつもりになってる人間)は多いと思います。
ただ、僕はどちらかというと自虐視感の持ち主ですが、僕にとってそれが事実かどうかはあまり重要じゃないんです。
ケンカ両成敗じゃないんですが、片方が全く悪くない戦争なんてないと思うんですよ。
たとえそれが侵略されたという「事実」に基づくものであったとしても、応戦しなければ戦争にはならなかったわけで。
僕の9条擁護の原点はここにあるんです。
でも、だからといって国をなくしたって流民になればいいじゃない?は理想論ではあるものの現実的には無責任な話でもあって、その解決策は僕の中にはなくて、だのにそれ以上考えようとはしない、それが平和ボケなんだろうなと。
国について考えてないくせに、ひとりよがりの理想論ふりかざすというのはいかがなものかと、あんつぁんと話しているといつも思わされます。
国を家族に置き換えた場合、方法はともあれ家族を守ろうとしている者を、守ってもらって当然と考えてる者が「そんな方法じゃダメ」って批判するのは勝手すぎる話で。
ダメというなら自分が守る努力をしなきゃ。
守るに値しない家族なら、家族に迷惑かけないように自分は家族の中から出て口を閉ざさなきゃ。
たしかスイスでしたっけ?
敗戦濃厚になると自ら焦土と化す作戦に切り替える覚悟で戦うというのは。
守るっていうのはそういうことで、それが戦争で命を捨てることを余儀なくされた人達の覚悟だったんじゃないかと思います。

余談ですけど、死の病をおして云々って立派なことなんですか?
ひねくれた見方をすれば、死の病をおしてない政治家の言うことは聞かなくてもいいんですか?
大切なことはその人が何を訴えているかで、その人の属性なんて関係ないじゃないですか。
死の病をおしてって言ってもその人死んでないんでしょ?
例えば特攻隊の人は死んじゃったわけで。
病が云々を尊いと思うなら、実際に死を賭けた人の残した言葉の方がはるかに尊いという理屈になります。
でもそういう視点で物事を考えると本質が見えないと思うんですよね。
Commented by antsuan at 2018-06-30 10:22
・mimizu-clonさん、真実を知ることが戦争回避に繋がります。
ルーズベルトの腹のうちを東条英機が知っていたら米国との戦いは避けられたことでしょう。まさに、明治維新は勝海舟が欧米の腹のうちを読み切ったことによる戦争回避策だったわけですから。

日本文明の凄いところは八紘一宇の名の下に戦いをしなかったことにあると思います。秀吉の「朝鮮征伐」も「日清戦争」も、今から見れば、グローバリズムの侵略に巻き込まれたことによる戦いであると理解出来ます。

>実際に死を賭けた人の残した言葉の方がはるかに尊いという理屈になります。
そういうことを理解しないと本質が見えなくなると云いたいのです。
WGIPによって日本の英雄は悉く無視されています。ここが本質を見えづらくしている原因だと思います。
勝海舟、柴五郎中佐、乃木希典、東郷平八郎、市丸中将等々、世界に称賛された英雄はたくさん居ますが、今の日本人は野球のイチロー選手しか知らないのではないでしょうか。(泣)