あんつぁんの風の吹くまま

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夏目漱石の「私の個人主義」を読み返し、平和な時代の武士道精神を考える。

 夏目漱石の「私の個人主義」を読み直してみた。

 大正三年の晩秋に学習院で講演したものであるから、時期としては、日露戦争に勝利して外国からの脅威が無くなり、国家が安定して平和になった時代のことである。

 「義務心を忘れない範囲の自由」、それが個人主義というものであると理解した時、他人本位の人真似ではなく、自己本位で西洋人ぶらない自分を見失わない生き方を、漱石は留学中に見つけたと述べている。
第一に自己の個性を大切にするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に自分の権力を行使する時はそれに付随する義務を心得なければならない。
第三に金の力を示そうとするならば、それに伴う責任を重んじよ。
 これを古い時代の主義思想と吐き捨てていいのだろうか。

 漱石より一世代前の、幕末を生きて外国からの脅威を身をもって体現した、日本の資本主義の父と云われた渋沢栄一は、「個人は『私と公』を同時に持ってる。しかるに権力者や金持ちは限りなく公に近い私の個人でなければならない。」という考えであった。

 確かに、この「個人」の概念は武士道精神的で古く感じるかも知れない。しかし、夏目漱石はこれから平和な時代の日本を背負って行く若者たちに向かって述べたものであるから、本質は全く変わっていないのである。

 従って、自己愛・個人主義は平和な時代の武士道精神といえよう。
 

青空文庫から引用
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[「祈りとは自然との対話」 こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる]

by antsuan | 2018-04-13 07:22 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)
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Commented by cocomerita at 2018-04-15 18:27
Ciao antsuan
素晴らしいものを読ませて頂き
ありがとうございます
夏目漱石さんにことごとく共感します
少しでも多くの日本人に読んでもらいたいです。
Commented by antsuan at 2018-04-16 09:51
・「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と書いた福澤諭吉でさえ、当時、西欧で持て囃された「優生学」を信じていました。勿論、この優生学がルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヒットラーの頭の中にあったことは疑いもありません。しかし、武士道を会得していた日本人は、人間にはこの「優生学」が当て嵌まらないことを見抜いたのだと思います。
そういう状況の下で、夏目漱石は西洋における個人主義・自由主義を理解し、平和な時代の若者に諭したのだと思います。