2005年 10月 25日
医療費の伸びを抑えてどうするの。老人が増えるということは病気になる人も増えるということであって、医療費が増えるのは当たり前の話でしょう。どうも行政というのは問題をねつ造するのが好きなところだ。 医療制度構造改革試案を見てみるとあちこちに問題のねつ造が目に付く。「生命と健康に対する国民の安心を確保するために国民皆保険制度を堅持する」といっているが、これがねつ造というものだ。国民皆保険制度を堅持しなくたって、安心を確保する制度はいくらでもある。税金を投入すれば問題は一気に解決する。何百億という赤字を垂れ流している国公立病院を廃止するだけで財源は確保できるはずなのだ。そもそも国公立病院のほとんどが赤字経営なのに医療費を抑えたらどうなるだろうか。公的病院の赤字が増え、それを税金で賄うことになるのではないか。完全に歯車が逆回転している。 国家が社会保障を放棄するのならばそれもよいだろう。それなら国民は税金を納めなくてもよいということになる。そうしようではないか。借金を押し付けられるよりよっぽど社会保障を受けないほうがましというものだ。税金を無駄遣いしておいて、医療費の適正化もあったもんじゃない。 税金を五割以上も取り立てるなんて、社会主義国家のやることで自由主義国家のやることではない。社会主義でもいいじゃないかという人がいる。とんでもない。社会主義になったら産業が衰退して、税収はますます減ってしまうのだ。資源がある国はそれでもよいだろう。資源のない日本がそんなことをしていたらとても国民は生きていけなくなる。 医療産業の需要が高まっているのならば、そちらへ産業の転換を図り税金をつぎ込むことによって国民の健康と安心が図られるというものだ。まずなりよりも税金の無駄遣いをやめることが国民の将来への安心を確保する唯一の手段なのである。それをやらなかったら国が滅びてしまうのだ。「安心を確保する」ということは社会保障を充実させるということでしょう。それなら医療費を抑えてどうするの。
by antsuan
| 2005-10-25 17:01
| 文学・教育・科学・医療
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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