あんつぁんの風の吹くまま

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[戦争はなくならない-2] 何故ならば「戦争は他の手段を持ってする政治の延長にほかならない」から。

建築エコノミスト 森山のブログからの転載 
 つづき



で、そいつらに対しレーモンドことライマンは、かつて日本に滞在していた経験を活かし日本の都市には密集木造家屋が多く、その素材も木や竹や紙で作られており燃えやすい点。それには爆風で目的を破壊する爆弾ではなく焼夷弾による爆撃が有効であることをご注進したといわれております。

そして、率先してユタ州の砂漠に日本の都市、下町の忠実な実験爆撃用の家屋を設計し日本の木造家屋を建て、焼夷弾の燃焼実験をくりかえしていた、といわれております。

で、実際やってました。

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これは模型ではありません、原寸大にリアル設計建設された日本の長屋です。

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「ダグウェイ試爆場のテスト用家屋」(スタンダード石油)

燃焼実験では、日本の木造長屋を正確に設計し、二階建ての二戸三棟の建物を四列ならべ、全部で十二棟二十四戸を建てています。
トタン屋根、瓦屋根の二種類をつくり、路地の幅も日本と同様にし、日本の下町の町並みを再現してあります。
建材も、できるだけ日本のヒノキに近いものが使われていたそうです。

で、ここがものすごく気持ち悪いのですが、
建物だけ建てて終わりではなく、さらには雨戸や物干し台をつけ、家の中には畳を敷き、ちゃぶ台や座布団などの家具、日用品も置いていたそうです。

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で、焼夷弾にどれくらいの燃焼材を入れるかとか、爆弾が空中で散開するようにとか、最適化していったということです。

前にも書きましたが、東京大空襲では一九四五年三月十日。二時間余りの爆撃で約十万人が亡くなっており、それだけでなく日本の都市数十箇所を灰燼にせしめたというとんでもないやつなのです。

この件について、戦後のレーモンド事務所にお勤めになった建築家の三沢浩先生が詳細な調査記録を作成されています。
また、日建設計の林昌二さんは著作「建築毒本」の中で批判されていました。

この件は、レーモンドに学んだ日本の著名な建築家が多かったため、レーモンドは苦渋の選択だったのでは?とか、戦争終結のためやむを得なかったのでは?とか建築界では勝手に想像した擁護の弁もあったのですが、この件は2011年に決着がつきました。初来日した1919年の時点ですでに、レーモンドはアメリカ陸軍から情報活動の使命を帯びていたという米国公文書がアメリカの公文書館で見つかったそうです。

カーチス・ルメイという男は戦後、これらの都市爆撃について問われたときも
「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは、、、、、ふざけるな!!」

と怒鳴ってました。

そして、日本はルメイには勲一等旭日大綬章をレーモンドには勲三等旭日中綬章を授与しました。勲一等の授与は天皇が直接手渡す「親授」が通例らしいのですが、昭和天皇はルメイに対する勲章の親授も面会も拒否されたそうです。

ちなみに、ちょうど日本国から叙勲を受けていたころに始まったベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語し北爆を進言し、「枯葉作戦」を開始させたのもルメイです。

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ベトナムは気合入ってますから当然彼らに表彰も叙勲もしていませんけどね。

レーモンドがその建築家としての日本の近代建築への貢献の度合いは、戦争協力行為とは別だとする意見もあります。
しかしながらここまでの日本への空襲に対するその知見を得た今、むしろレーモンドにはもっと凡庸な建築家であったならば、、と思うようになりました。
このお話は建築家としての優れた能力とその社会性や人間性が合致するとは限らないという教訓でした。

と、話はレーモンドのことで熱くなりすぎてしまったのですが

今現在残っている日本各地の寺社仏閣や文化財というものは、空襲を生き延びた戦前の約1割だったのです。それすらも高度成長期やバブル期を通じてさらに減少していると思います。
そして、都市の緑というものもいったんそのほとんど全てが消失して、戦後もう一度国民みんなで植えたもの、それがやっと成長して今の大きさの森になった。
だからこそ、これからは古い町並みや建物といったものも、都市の樹木もそう簡単に壊すとか改造してやるとか、伐り倒すなんてことはできないと思うのです。




 大東亜戦争は、米国の公開された機密文書だけからみても、米国の壮大な戦略に基づく、意図的な侵略戦争であることがわかります。

 そしてその戦略は、日本無力化占領政策として受け継がれ、今日まで続いていることを、日本人は知るべきでありましょう。




 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]
by antsuan | 2014-04-23 12:48 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)
Commented by sweetmitsuki at 2014-04-23 22:00
転載しました 森山のブログ、少しだけ拝見しましたけど、ペンギンのプールを取り上げたと思えば「艦これ」
http://www.news-postseven.com/archives/20140117_236730.html
を紹介していたりと、マニアックな人ですね。
私も「艦これ」については、実際に艦に乗っていらっしゃった方がどんな反応をされるのか、不安だったのですが、安心しました。
私自身は賽を振らない主義なので、このゲームも二次創作物しか知らないんですけど。

先の大戦が米国の壮大な戦略に基づく、意図的な侵略戦争であるのならば、なぜそれを回避できなかったのか。
なすがままにドロ沼に陥り、貴重な文化財と美しい緑の杜を灰に変え、日本の家庭の半分以上が一家離散や生活困窮のきわみに落ちいる状況を作り出したのは何故なのか。
日本人はそのことにこそ気付くべきでしょう。

Commented by antsuan at 2014-04-24 12:56
>先の大戦が米国の壮大な戦略に基づく、意図的な侵略戦争であるのならば、なぜそれを回避できなかったのか。

何をおっしゃいますか!!
軍部に軟弱外交と言われようと、幣原喜重郎や広田毅、近衛文麿など昭和初期の政府は、徳富蘇峰の言葉を借りれば、七重の膝を八重に折り、譲歩を重ねて戦争回避の努力を惜しまなかったのです。
GHQによって焚書された七千冊の書籍をひも解けばそのことは明確です。

チャーチルは、そのような軍事的実力を示さない戦争回避努力を、外交とは言わないと愚痴をこぼしているように、また、今の世界情勢をみてもお分かりでしょうが、西洋の外交は"軍事力を誇示する"ことから始まるのです。
西洋人と真の外交をするつもりならば、軍事力による威嚇は外交の基本であることに、今の日本人は気付くべきなのです。
Commented by sweetmitsuki at 2014-04-24 23:16
当時の日本政府は東京大空襲があったことを認めていないのですよ。
1945年3月11日付の朝日新聞を読むと、「帝都各所に火災発生したが、軍官民は不適な敵の盲爆に一体となって対処したため、帝都上空を焦がした火災も朝の八時ごろまでにはほとんど鎮火させた。また右各県では盛岡、平に若干の被害があったのみで他はほとんど被害はなかった。」と報じられています。
いわゆる大本営発表ですね。
それを今になって今の日本人はGHQに洗脳されているといったって無理があるのではないのでしょうか。
Commented by antsuan at 2014-04-25 10:17
>それを今になって今の日本人はGHQに洗脳されているといったって無理があるのではないのでしょうか。

だから、細川さんや純ちゃんのような、老人が立ち上がったと云うことですな。私もその一人のつもりです。