2012年 02月 28日
無責任な戦争批判が福島第一原発事故の遠因である広島市の広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑、正式な名称は「広島平和都市記念碑」の碑文、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」は、福島第一原発事故で計り知れない放射能汚染を起こしてしまった以上、即刻削除するべきであろう。我々日本人が全人類を代表してそのような誓いを立てるのは極めておこがましいといわねばならない。 人と人の間の戦争は無くなろうとも、人と自然との戦いは決して無くなるはずもない。したがって、どんなに平和の誓いを立てようとも、それは無意味なことなのだ。 地震や津波、火山の爆発に暴風雨、干ばつなど、人間は不本意であっても、自然の驚異に対して戦わなければならない場合が往々にしてある。ところが日本人は、先の大東亜戦争において、戦争を始めた責任を取らされ、それを受け入れてしまった。 あの時の日本人は、自然の驚異に対して戦いを挑むのと同じ思いで、人種差別をしている白人に対して戦いを挑んだのである。したがって、戦争責任を問われるべき筋合いはこれっぽっちもないのだ。 翻って、福島第一原子力発電所の事故についても同様なことが言えるのではなかろうか。事故を起こしたことの責任を問うのならば、高度成長期に石油依存から脱却を図ろうとした政治家は全員責任を問われることになる。いや、突き詰めていけば、原子力を平和的に利用しようとした国民全体が責任を負わねばならなくなる。 そういう考えは間違っている。絶滅する危険度は、文明に逆らった方が遥かに高いことをしっかりと認識しておくべきなのだ。問題は戦争や事故を起こしてしまった後の対応なのだ。平和の誓いよりも、災害を最小限に食い止める気構えの方が大事なのである。 二度と間違いを犯しませんなどと誓うことほど、酷い被害者への冒瀆はないと思わずにはいられない。
by antsuan
| 2012-02-28 08:12
| 思想・瞑想・時代考証
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Comments(4)
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非常電源を地下に作れば津波が来たとき水没するのは当たり前で、つまり日本の原発は津波が起きた時の事なんか、最初から想定してなかったんですよ。
非常電源を地下に作ったのは、ハリケーン被害の多いアメリカの設計をそのまんま模倣したからだそうですが、戦後の日本そのものという感じがします。
・まったく、戦後の日本そのものですね。
しかし、民間や軍隊ではそのような想定外という概念すら許されませんから、原子力平和利用政策自体が、如何に米国のぽち主導のものだったかがよく分かります。
戦前からそうなのでしょう。
立派な人物がいたとしても、組織がつぶす社会です。
・HOOPさん、そこが多神教国家の弱点なのかも知れませんね。
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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