あんつぁんの風の吹くまま

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文学における欲望 (ブログは何処まで自由が許されるのか)


 お待たせしました。ようやく確定申告の書類を作成し終わりました。この本の「芸術における自由」、「エルナニ事件」をお読み下さった方は、これから何を書きたいのか予想がついたと思いますが、ちょっと遠回しに、今の自分の思いを書きつづってみることにします。

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    読みづらいですが、画面をクリックすると文字が大きくなります。


 少年時代は西部劇映画にかぶれていて、時代劇はもちろんイタリー映画やフランス映画もバカにして、典型的な米国文化にあこがれる若者だったのです。しかし、祖父の書棚においてある本をそっと眺めては、いつしか勇敢に戦った日本の若者と自分を重ね合わせて、戦争映画も好きになりました。私が歴史を探るようになった動機は戦争です。何故、大東亜戦争に敗けたのか。日清日露戦争は果たして勝って当然だったのか。

 そして、大学に入るまで、いや、大学に入ってフランス文学の講座を受けるまで、女々しい匂いのぷんぷんするフランス文化は嫌いでした。どちらかといえば、ルガーの拳銃にみられるように、緻密なドイツ文化の方が好きでした。しかし、私の好きな米国の映画監督はみな欧州からの移民なのです。そのことが分かってきた頃から、何となくフランスの女々しい雰囲気に人間臭さを感じるようになってきたようです。

 人間といえども理性だけで生きていくことは出来ません。種の保存のための野性的本能に心を支配されながら生きているのです。それを私に教えてくれたのが、大学におけるフランス文学講座だったのです。ここに掲載した「フランス文学案内」は、授業のための教科書として若い教授に買わされたものです。

 ロマン主義とは何か。それは人間の自我の解放を目的とする思想だったのです。この本を読んでからというもの、人間の本能的行動の美しさを理解出来るようになりました。あのフランス文化の女々しさは、まばゆいばかりの美しさに輝いていることに気がついたのです。

 戦争が美しいものだといったら非難の嵐に遭遇しそうですが、一人の女性のために二人の青年が決闘したとしたら、その決闘を勇敢な美しいものと評価することに、余り抵抗を感じる人はいないでしょう。その延長上に祖国愛があり、その愛のための戦争が美しいものだといっても無茶な理屈ではないと思います。とくに、日本の哀愁を帯びた軍歌を聴くたびに、戦争といえども、人間のむき出しになった本能的行動の美しさを感じてしまうのです。

 自分のブログが文学といえるほど質の高いものとはこれっぽっちも考えていませんが、己の自我の解放には多いに役立っていると考えています。ですから、これからも率直に、自分の喜怒哀楽をこのブログに書きなぐっていきたいと思っています。
by antsuan | 2010-03-13 09:29 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(4)
Commented by mimizu-1001 at 2010-03-13 23:07
記事本文がUPされる前に、記事のタイトルと「フランス文学案内」だけ読んだ時点で書いたコメです。

主義と主義のぶつかりとは、相手の自由を認めないとまで言えば語弊があるかもしれませんが、それに近いものであると思います。
で、ブログは自分のこだわり、つまり、主義と言えるような次元のものではないにしてもそれに類似するもの、を、主張できる場のひとつですが、その主張が他者のスタンスを否定する上に成り立っている場合は、攻撃を受けるのは避けられないでしょうね。
(例えばキリスト教を含む多くの宗教に見られるように、他宗教を否定することで自宗教の正当性を説くような場合)
さて、しかし、攻撃の中には、自分のスタンスを否定されたと「思いこんで」のものも多くあります。
その手の人には不快感情のみで「論」がありませんから、それに応じると低次元の野次合戦になってしまいます。
「荒々しく毒づいた言葉は、その根拠が弱いことを示唆する」と書かれてたのは岡山の某温泉だったっけ(笑)

記事本文を読んだ後では違うことも言いたいけど、字数制限にかかるから次の機会にしよう(^^)
Commented by sweetmitsuki at 2010-03-14 01:06
大東亜戦争で、日本に2発の原爆が落とされた事は、文章や写真の中でしか知り得ない事ですが、東京大空襲は祖父が罹災し、経験談を聞いているので、物語として客観的に見る事は出来ません。

一人の女性のための二人の青年の決闘にしても、3人の家族や友人たちが、どんな思いで接していたかを考えると、決して勇敢な美しいものして評価出来ないのではないかと考えてしまいます。

戦争にしても、ブログ内でのトラブルにしても、関係のない人を巻き込んでしまう事に変わりはないと思います。
人を傷つけて、その報復で自分が傷つくのは構いませんが、自分の大切な人が心を痛めてしまうのは耐えられません。
私も自分がついさっきまでしていた事を省みると、偉そうなことを言える立場ではないのですけど。
Commented by antsuan at 2010-03-14 07:20
・やっぱり、題と本だけで良かったみたいですね。(笑)
みみずすましさん、「思い込み」って本能的「自我の解放」だと思いませんか。犬の遠吠えだろうとヤジだろうと、その人の本性を現していると思うので、噂の真相イズムを信奉するものとしては、大事にしたいと思っています。心理学をやっているとその辺も分かってくるんじゃないかと・・。
Commented by antsuan at 2010-03-14 07:21
・歴史って、殆どが戦いに関する出来事の検証じゃないかと思っています。
人を守る、国を守る、あるいはヤジの応酬による主義の主張、その本能的欲望をむき出しにした行為に美しさを感じます。

mitsukiさん、耐えられなかったら、逃げるか戦うかしかないですよね。逃げたら解決はしません。でも、戦ったら双方が傷つきます。しかし、戦って結果が出て許すことが平和への道ではないでしょうか。そして、それが歴史として残っていくのだと思います。