2009年 07月 29日
裁判員制度はどうなった
解散総選挙で吹っ飛んでしまった感がありますが、導入された裁判員制度の裁判にも目を逸らしてはならないと思います。この制度が欠陥だらけの目茶苦茶な法律であることは新聞雑誌などで指摘されています。しかし、どんなに酷い制度であろうと変えないよりは変えたほうがマシだと思っています。つまり、今はやりの言葉を使えば"チェンジ"です。
法律が不備であればあるほど、人間は理性を働かそうとするものです。ですから、本当は法律なんてホンの少しで良いのだと思います。 ボイスプラス
by antsuan
| 2009-07-29 12:56
| 文学・教育・科学・医療
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Comments(4)
そうなんだ!親は子供のご機嫌取りに専念し、教育を放棄している。父親の威厳より友達に成りたがっている。母親は徹底して懐で保護政策に専念している。此れではマトモな人間が育つはずがない!
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hana-abe at 2009-07-30 01:56
実は、小学校の図書室で仕事をしていると、いろいろなものが見えてきて…。先日は3年生のクラスの子供達のケンカ。二人の小さなケンカから竜巻のように、ぐるぐると広がり、全員が何かを言い合っているというすごい状態。最初は、静観していましたが、担任が朝の会議で、しばらく戻ってこないんだったことに気がつき、その教室に入ると、情勢は益々悪化、私の入る隙間はなく、オタオタしているうちに、打ち合わせを終えた担任が。その後の授業は、予定変更で道徳。みんなで、事情聴取からはじまり、担任を交えて、延々と子供会議、いえ、これは、子供裁判だったのかもしれないなぁと、なんてタイムリーなんでしょうと、思いながら記事を読みました。
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antsuan at 2009-07-30 08:20
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antsuan at 2009-07-30 08:20
・ほんとにそれはタイムリーでした。
子供のけんかを否定しちゃいけませんよね。 教育って真剣に子供の話を聞いてあげることが基本の一つなんだと思います。 まわりの大人がみんなそうであれば、親の教育が多少ぶれていても子供はしっかりと育つと思います。 |
平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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