あんつぁんの風の吹くまま

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右左日本文明論 二章

第2章
 言うまでも無く、宗教という文明において重要な位置を占める思想のぶつかり合いが、歴史上数多く繰り返されてきた。しかしフランスの哲学者レヴィ=ストロースは、日本を「神話から歴史への移行がごく自然に滑らかに行われた」と称し、神話から歴史の間に深い淵で隔てられている西洋と比較して、日本文明を評価するのである。

 此れは宗教の衝突が無かったか、又は其の衝突をうまく克服したことを意味するのだと思う。「古事記」から「日本書紀」そして「天皇制」へと絶えることの無い、神教の継承が今尚続いているのである。しかし知っての通り、仏教伝来の時には大きな危機に直面したはずである。何故神仏が共存できたか、其の答は一つではない。

 山折氏のこの辺の分析について、残念ながら自分は消化しきれていないところがあるが、独断するならば、神教は「古事記」にあるように神々が集まって話し合う宗教なのである。従って、聖徳太子はここで仏教を政治的なものとして受け入れ、ある意味で政教分離を確立させたのではないかと考える。同じ神と見做さなかったわけだ。神話があったからこそ出来た業であったのだろうと思わずにはいられないのだ。

 歴史を見てみると、宗教としては仏教の力が強くなったときに日本は争いの時代となっていることに気付くであろう。鎌倉時代には新しい仏教がもたらされ広まっていった。そして比叡山の延暦寺、高野山などの勢力となって政治に関与し始め、織田信長により、其の勢力は完璧に滅ぼされた。江戸時代には仏教はもはや神教と同じくして儀式的なものにしか過ぎなくなっていくのである。しかし、二つの宗教が共存していたことには変わりない。
  (つづく)
# by antsuan | 2005-04-18 00:46 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

右左日本文明論  一章

第1章
  山折哲雄氏の「日本文明とは何かーパクス・ヤポニカの可能性」を読んみて、歴史を知るうえで、幾らでも新鮮な分析方法があるものだとつくづく考えさせられた。この本は、これから追い求める人類の平和を主題に掲げているが、各章それぞれに、新しい歴史の分析がされているので、この哲学的命題を一つに集約せず、いくつかに分けて論じていきたい。

 まず山折氏はこの二千年における日本の歴史をひっくるめて日本文明と定義している。一般に日本文化と云われるものについては市民にも馴染みが有ると思うが、文明となると、それ程の歴史が有るように思わない人もいると思う。しかし、この考えは外国の哲学者において先に論じられていて、それを検証する形で理論を展開しているのだ。其の結果、日本列島に生まれ育った独自の文明であると称している。

 私だけであろうか、先の大戦を「文明の衝突」という視点から見ると、妙に納得できてしまうのは。アジアの中にあっても、メソポタミア、インド、チャイナ等、多くの文明があり、それのどれにも属さない独自の文明として日本文明を意識することは、勇気のいることかもしれない。しかし其れを意識すると、同じ帝国主義国家同士の争いとして解釈できない何か、心の奥底でうごめいていたものを見付けることが出来た気がするのだ。

 ところで、その地域が安定した状態を平和と称するならば、日本は平安時代の350年、江戸時代の250年の長きに亙って平和を維持した、世界でも類を見ない国家なのである。こういう特異な文化を育んできた歴史的地域を文明と称していけない訳はない。

 そして、その平和であった平安時代と江戸時代の共通項とはなにか。答は「神仏の共存」であるという。それでは歴史上、日本における宗教はどのように国と係わってきたのであろうか。
(つづく)
# by antsuan | 2005-04-17 07:59 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

連絡船の女(ひと)

心に残る出会いのエピソードこれはexciteブログの今週のトラックバックテーマへのトラックバックです。

 いまから三十年以上も前の北海道の大学を受験した帰りことだった。急ぐ旅でもないので列車で横浜に戻ることにした。当時は東北新幹線もなく青函トンネルも出来ていない、特急列車と青函連絡船を乗り継いで行く旅だ。

 青函連絡船の客室の半分ぐらいは先の特急列車の乗客で席が埋まっていただろうか。その後、函館からの乗客がドカドカと乗り込んできて、小包みを抱えた婦人が「ここは空いていますか」と声を掛けてきた。少し眠たくはあったが目を覚ましていた私は、「どうぞ」と自分の荷物を別のところへ置いて席を空けた。其の婦人は少し落ち着かない様子であった。しかし自分も家に帰るだけで楽しい旅であるわけではない、客室が暗くなったのを機に目をつぶって休むことにした。

 船はまだ外海に出ていないのであろうか、殆ど揺れを感じさせないで航行している。すると、隣の婦人が声を掛けてきた。「大阪に行くには、東北本線を使うのと日本海側を行くのと、どちらが速いですか」
 乗車券だけで特急券はまだ買っていないらしい。そんなことは乗務員にでも聞いてくればよさそうにと思ったが、接続しているのは東北本線の特急の方である。「すぐに連絡しているのは東北本線の方でしょう。」そう、ぶっきらぼうに応えた。

 彼女は続けて、自分の実家に初めて行かせた子供が風邪を引いてしまって、迎えに来てくれと云うので、此れから引き取りに行くところなのだと言う。私は大学浪人の青二才であった。そんな人間に声を掛けてくること自体が驚きであったが、何することも無い真夜中の連絡船の中である。静かに彼女の話を聞くことにした。

 大阪から結婚のために函館にやって来たが、主人以外誰も知った人がいなくて、新婚当時は毎日まいにち泣いて暮らしていたこと。主人が仕事から帰ってくると嬉しくて嬉しくて本当に抱きついてしまったこと。冬になり雪が降り積もったのを見て、「今日はお仕事休みですよね」と主人に言ったら、「バカッ」と怒鳴られたこと。

 いまでは函館の人になり切っているような彼女の身の上話は、結婚もしていない自分が聞くにはとても恥ずかしく、また相応しくないことのように思えて戸惑うばかりだったが、同時に、閉ざしていた自分の心のカーテンをそっと押し開ける、生暖かい風に触れたような感じがしたのである。

 青森で連絡船を降りるとき、「駅員に聞いてみます」と言ってそそくさと別れの挨拶をしたきり、其の婦人は行ってしまった。最初から他人であった。そして名前も聞かない他人のままであった。

 しかし、旅をするごとに、津軽海峡を渡る想いを語ってくれたこの婦人のことを、初恋の人のように思い出さずにはいられないのである。
# by antsuan | 2005-04-16 00:03 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

IBMの撤退について考える

 さきごろ、IBMがパソコン分野から撤退することで多いに話題になりました。しかもその譲渡先がチャイナの企業であることも大きな関心の的となったのですが、IBMのPC(パソコン)と云えば、マイクロソフトのOSを最初に導入したことで知られています。此れをきっかけとして、世界のパソコン市場をマイクロソフトが席巻してしまったわけで、ハードウェアメーカーをビル・ゲイツの小作人と化してしまう皮切りをした会社と云えます。

 そのIBMがPC部門を手放すということは、ビル・ゲイツの小作人になることをやめますよということでもあり、そのことの方が興味津々と云ったところですね。

 多分、PCが此れだけ安くなってくると、デジタル時計のように使い捨てになり、いちいちソフトがどうのこうのと言う時代でもなくなって来ると判断したのでありましょう。情報は、個人がそれぞれにサーバーを決めて保存する時代であり、そのサーバーは何もPCである必要はなくなったのです。インターネット上のサーバーで充分でなのです。となると、PCは卓上型携帯電話となる運命が待っているだけではないでしょうか。

 もう携帯電話の時代が始まっていますが、其れを如実に表した事件がIBMのPC市場撤退なのでしょう。日本への風当たりがまた強くなってきそうだ。
# by antsuan | 2005-04-15 00:08 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

山と川と海の科学的常識

 先日のコメントで、山があり川があって海があると言われて、ドキッとしましたね。此れって自分の専門だったんだと。大学では海洋科学なんて訳の分からない学部に属し、卒業論文に塩の研究をやらされたのですが、岩塩を産出するところは元々大昔は海だった証拠で、つまりは海が山になっちゃったのですよ。

 二酸化炭素の排出量と地球温暖化なんて、其れこそ海洋科学の専門領域で、30年以上も前から海水中の二酸化炭素量なんて云うものを測定していました。この海水中の二酸化炭素を海洋植物が一杯取り込んでくれれば、大気中の二酸化炭素は海水にどんどん吸収され問題が発生しないはずなんですけれど・・。

 また、ヘドロや水俣病などの「公害」が問題になっていた時期なので、地球環境についてもその方面から研究しましたが、しかしその研究会は大学当局からの「指導」が入り、教授が左遷となってチョン切れてしまいました。関連会社からの求人が来なくなるというのが理由らしいです。此れが日本の大学の実態ですね。いまはどうだか分かりませんけれど。

 しかし、そこで明らかになったことは、淡水部分は地球の面積で云うと何パーセントにも満たないのですが、その役割は生物生活の上で大変なものなのだと云うことです。干潟や汽水も同様です。冒頭の言葉の通り、山が汚染されれば、川が駄目になり海も汚れてしまい、あらゆる生き物にとって大問題になるのです。
 
 話はずれますが、チャイナの大陸部分は、いま凄い勢いで大気汚染や水質汚濁の公害が発生していて、同時に砂漠化が進んでいます。日本では花粉症が猛威を奮っていますが、本当は大陸からやって来る黄砂と大気汚染が原因ではないかと思っています。これはあくまで個人的な意見としてお断りしておきます。しかし、こういう議論が大学レベルではされているのでしょうが、マスコミから聞こえてこないのが、不気味で仕方ありません。私的な研究会は潰され公的な研究会は政治の匂いがする。

 このように、環境問題は地球規模で考えないとはっきり言って意味を為しません。此れが大学で学んだ成果の一つです。いやいや、ちょっとアカデミックですねぇー。学費を出してくれた親に感謝しなくっちゃ。
# by antsuan | 2005-04-14 07:41 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

マスコミよ、自分の首を絞めてどうするの

 最近、報道のあり方やマスコミのあり方について話題になることが多くなってきた。日本放送協会、朝日新聞、ニッポン放送等々である。そういうチェックが入ること自体が良いことだと思う。どんなにいい加減な報道であっても、そうあって欲しくはないが、隣のチャイナみたいに報道の自由が無いよりかは遙かに健全なのだ。
 そう思うのだが、その自由に感謝すべき新聞社が、自由が無いチャイナを贔屓にしているのだから、やっぱりおかしい。チャイナの人民のためを考えるならば、報道の自由を規制しているチャイナ政府をもっともっと非難すべきなのだ。
 しかし、もともと新聞などに社会の木鐸などを期待することがいけないのかも知れない。幸いにして、インターネットでいろんな情報を得ることが出来る時代になった。どれが正しいかをマスコミに判断してもらわなくても、自分で判断出来る時代になったのである。
 また、面白くなければテレビじゃないなんて言っていたテレビ会社が、資本主義の冷徹な洗礼を受けている。法律の不備を云々言うのは、それをチェックする資格を持つものとしては恥ずかしいことなのだ。しかしお陰で、より大衆に迎合した娯楽に徹する路線は、会社そのものがマネーゲームの対象になりうることがはっきりした。
 これからマスコミは、よりいっそうの信頼性の高い情報を提供するか、哲学的な主体性を持つなどの、サーバーとしての素質を問われる時代なのかも知れない。
# by antsuan | 2005-04-13 00:25 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

近くの桜を観ながら思うこと

 先週末に、鎌倉は段かつらの桜並木を通って、鶴ケ岡八幡の池の桜に足を止め、校門に続く満開の桜の中を、子供と手をつなぎ入学式に出席してきました。いいですね。新学期は春に限ると再認識しました。何か自然の摂理にあっているような気がするのですが、いかがなものでしょう。
 学校の桜で印象に残っているものに、映画なのですが、木下恵介監督の「野菊のごとき君なりき」で、確か、校庭の満開に咲いた桜が、愛しの人の死を知るシーンに出てくると思ったのですが、記憶違いでしたでしょうか。モノクロの映画だったのに桜の美しさが滲み出ていたのを忘れることが出来ません。木下恵介監督ならではの演出と思われます。ついでにもう一つ映画では「紀ノ川」です。満開の桜越しに、嫁入りの船が紀ノ川を下って行く場面。此れも素晴らしかったですね。
 そう言えば、"さくら"と言えばフーテンの寅さんの映画を抜きにして語るわけにはいかないですね。倍賞千恵子しか出来ない役だったのではないでしょうか。その数々の名画を作り出した、大船の松竹撮影所は、さる女子大の施設に代わってしまいました。 
 家の周りにも昔は何本か桜の木がありましたが、それが川の護岸工事で一本無くなり、もう一本と切られて、いまは全くありません。そしていつの間にかマンションや住宅が密集する街になってしまいました。
 ここ何十年ぶりかでゆっくり桜を観ることが出来、またこのように思い巡らす時間を得て、その幸せを噛みしめながら一抹の寂しさを感じているところです。

 ブログを始めてようやく一ヶ月が経ちました。まだ一ヶ月なのに一年も書いているような気がします。特に泊まり掛けで旅行する予定も今のところ無いので、もうしばらく頑張って毎日書き込んでみようと思います。
# by antsuan | 2005-04-12 06:55 | 身の回り・思い出 | Trackback(1) | Comments(4)

中国、韓国の国民性を考える

 近ごろのチャイナや韓国の日本に対する行動を見ていると、彼らの墓を暴く国民性を強く意識せずにいられない。日本人も彼らが墓を暴くことも厭わない国民であることをよくよく認識する必要がある。
 もう一つ、第三国人ということも歴史認識の上で理解しておかねばならないことなのだ。この第三国人とは差別用語として、使ってはいけないことにしているようだが、今回の彼らの行動はまさに第三国人としてのうっ積から出てきていると考える。つまり、勝った国でも無い負けた国でも無いという、先の大戦で中途半端な身の置き所の無さに起因していると言える。
 こういう歴史的そして宗教観に及ぶ問題は放置しておいて良い問題ではない。逆に、今迄放っておいたことで根を深くさせてしまったことを反省すべきでる。こちらも言うべきことはいう。そうした毅然とした態度が相手の暴動を抑える手段なのだ。
 チャイナの天安門事件や韓国の光州事件など、自国民に軍隊が発砲するような国に文句を言われる筋合いは無いと、はっきりと言うべきだ。それをはっきり言わないことが亊を大きくしている。我が国の国民においても、チャイナや韓国がそのような事件を起こした国であることをしっかり知らせ教育すべきである。自国の歴史はもちろん、そのような近隣の国の歴史もしっかりと教えておかねば、外交に失敗することにつながる。
 謝っても意味はない、彼らは墓を暴いて死人にむち打つ国民なのだから。
# by antsuan | 2005-04-11 06:54 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

医用画像総合展を観る

 昨日の土曜日は、神奈川県は暖かい良い天気に恵まれて、各地で花見の行楽客でにぎわった。桜木町駅も行楽客でごった返している。む、そういえば駅名に桜の木が使われているが、ここは桜の名所だったのか。みなとみらいの美術館でルーブル展が始まった。その向こうのパシフィコ横浜では、2005国際医用画像総合展も開催されている。こちらもなかなかの盛況だった。
 医用画像は今やコンピューター画像と言って良いくらいに、フィルムの時代は去ろうとしている。コダックや、アグファといったフィルムメーカーも出展しているが、日本のフィルムメーカーよりも格段に影が薄くなってきた。富士フイルムはこの時代の流れを見越して、ビデオテープやデジカメなど電子部品に参入しているし、コニカミノルタは写真機器からコピー機などに移行してきている。
 展示場を回ってみると、コンピューターを使っていない機器を展示しているところはまれだし、医療画像も、画像の処理ソフトを紹介するところが増えた。最早、処理スピードが云々ということより、サーバーや他のソフトへの連携が売り物になってきている。いやはやこちらの頭も着いて行けなくなってきた。
 ここでは二つほど気に入ったものを紹介しよう。一つはシーメンス社のエッスク線管なのだが、今迄の真空管の概念をぶち破る、液体に浸したエックス線発生装置なのだ。真空にしないだけ装置の寿命が長持ちする。逆転の発想なのだろう。二つ目は東芝がMRI装置を使って、神経の伝わっているところが見られるソフトを開発した。神経が励起されているところを見られるということなのだろう。此れもすごい、そのうち神経回路の正常異常の判別も出来るようになるのではないだろうか。
 展示場を出て思うに、いよいよアトムの時代の幕開けだ。桜吹雪の花びらも、心なしかデジタルの一ビットを思わせる。 
# by antsuan | 2005-04-10 07:49 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)

車検制度の怪

 今年は終戦(敗戦)後60年と云う節目の年だ。そのことをわざわざ思い起こす日本人も少なくなってきている。あの頃の総力で戦った日本の技術は、零式戦闘機や伊号潜水艦など世界最高の水準に達していたものがかなりあった、そして今日、日本製品と云えば一流ブランドとして世界に認められるようになった。
 その中でも三菱は日本ブランドの菊のご紋に匹敵するものだろう。その三菱の自動車会社が欠陥品を売りつけていた。否、欠陥を隠していて公表しなかった。悲しいことだ。あの零式戦闘機を作った三菱が・・、と、後々の世代にまで伝わることだろう。ブランドに傷をつけただけではない、ある意味で日本人の誇りに傷をつけたようなものだ。歴史ある会社はやはりそれだけの伝統と云う重みを持っている。会社としてはこの失敗を教訓に、より信頼される製品を作って欲しい。
 しかし、それにつけても不思議なのは、政府がこの御用商人ともいえる三菱自動車を徹底的に叩きまくったことである。そこまでしなくてもと思うぐらいに苛めまくった。此れは裏に何かありそうだ。外国へのリップサービスだろうか。それとも敵対する派閥に政治献金をしていたためであろうか。よく分からない。
 ただ言えることは、この出来事によって車検制度の無意味さが証明された。政府やお役人さん、本当に国民のために三菱自動車を苛めたんですか。それだったら、意味のない車検制度もさっさと止めて頂きたいものです。
# by antsuan | 2005-04-09 08:37 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

三匹の子ぶたと日本

"オオカミなんて怖くない、怖くないったら怖くない" 「3匹の子ぶた」のCDを聞きながら小学生の子供が歌っている。みんなが知っている、藁のお家と、木のお家と煉瓦の家を子ぶたが作る話だ。 先日、ヨーロッパ旅行をして来た人の写真をホームページで見せてもらった。古い町並みもみんな頑丈な造りで出来ている。それに比べると日本の家はなんてチャチな家並みなのだろう。

そう、日本人は藁や木で家を作った子ぶたのように、今迄生きてきたのだ。太平洋戦争ではオオカミの群れに襲われてひどい目に遭ったが、うまいことにそのオオカミ同士が喧嘩を始めたので、そのオオカミの親分が匿ってくれている。

もう外をうろつきません、オオカミさんに誓いましたから国旗なんて掲げる必要はないのです。もちろん国歌なんて歌ってはしゃぎ回ることもしません。自分たちは戦うことの出来ない弱ーーい子ぶたなんです。

なんて幸せな民族なんだろう。相変わらず、藁や木の家に住んでいるし、竹島や尖閣諸島、北方領土など、錠前が壊れて他のオオカミがうろちょろしていても、オオカミだって話せば分かると思っている。オオカミなんて怖くないと本気で思っているのだ。そのくせ、周りの国がこの前におまえはうろつき回って汚したなと脅しを入れると、せっせと自分の出の悪くなったお乳を吸わせてやっている。

本当は子ぶたなんかじゃない、立派な牙の生えたイノシシなんだと他の国に言われても、子ぶたのふりをしているところが哀れに見える。
# by antsuan | 2005-04-08 07:07 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

ブラックバス規制の真相

表が出たらボクの勝ち、裏が出たらあんたの負け 
これは山紫水明(angler823さん)へのトラックバックです。

 報道によれば、外来魚のブラックバスを規制することに対して、政府は皆の衆の意見を聞いてみたところ、8割方は規制反対であったが、そのような意見は予想範囲内として規制する方針なのだそうである。パブリックコメントとか、公聴会なんて、一体何なんだろうと思う。答えが決まっているのならば、時間とお金の無駄でしかない。こう言うのを欺瞞という。
 ブラックバスの規制は生態系保護の問題なのだが、angler823さんの言うように、問題がすり替えられて利権問題に発展しているようだ。交通機関が此れだけ発達した今、生態系保護を維持するのは明らかに絶対無理な注文だろう。
 そもそも保護というのは既存の権利を守るということであって、此れは麻薬のようなものなのだ。此れを乱用すると中毒になりついには自ら崩壊してしまう。規制反対を唱えている人の多くがこのようなことを理解している理性派だと思うのだ。イヤ、喩えそうでなくとも此れだけ反対意見の比率が大きければ、行政は耳を傾けるべきではないのか。それが民主主義というものだ。
 問題を飛躍させて申し訳ないが、アメリカ合衆国は移民で成り立っている国なのに、日本人の移民を禁止する法律を作った。それが米国不信を呼び、日本が大陸に侵攻するきっかけとなったのだ。人間であれ、魚であれ、一度受け入れたものを排除するのはいかがなものだろうか。
 前の項にも書いたことだが、我々日本人は共存するシステムを作ることが得意な民族である。ここは一つ、外来魚と在来魚と共存させるシステムを考え提案するのが解決の糸口に繋がると思うのである。
 
# by antsuan | 2005-04-07 06:50 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback(1) | Comments(10)

神と平和について悩む

神とは何か。
 最近この命題にようやく自分なりに解答を付けられるようになったと思う。幼稚園と小学校をカトリック系の学校で、中学高校はプロテスタント系の学校で学び、天皇陛下の御用邸の近くに住んで、家には神棚と仏壇がある環境に育った。それらを特に排除することなく、総てを受け入れてきたのだが、やはり心の中には神と云うものの存在をどのように受け入れたら良いか決められないでいた。

 神とは心を平和にするものである。
此れが結論であるが、実は前からそのように解釈していた。しかし、今迄その答えに何故か納得していなかったのだ。理由は多分、平和の意味を理解していなかったからだと思う。それは自分だけが幸せであっても平和とは言わないからである。つまりは周りの人の心が平和で無ければ、平和は存在しないのと同じではないか。そこで本当の神とは何だろうと思い悩んできたのだ。
 ヨミウリウィークリー(2005.4.17)の著書からのメッセージという欄に「日本文明とは何か パクスヤポニカの可能性」を書いた宗教学者、山折哲雄氏のインタビューが載っている。山折氏は日本の平和(パクス・ヤポニカ)の意味を、ローマ帝国支配下のパクス・ロマーナや大英帝国によるパクス・ブリタニカ、そして現在のパクス・アメリカーナと比較し、覇権的軍事力を背景にした平和と、日本が今迄経験してきた平和とは持っている意味が違うのではないかと述べている。
 此れこそが、今迄悩み続けてきた疑問だったのだ。「日本は共存システムをつくる伝統を持っている。現代にどう生かすかはわれわれの課題」と、書かれているように、日本人はもともと覇権主義を持たず、共存することを是とし、平和を求めてきた国なのだ。従って平和のために、いろいろな神々を受け入れてきたのである。
 平和を築く、此れが本当の神の仕事だと思う。
# by antsuan | 2005-04-06 07:15 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

NHKは反省しているか

少しずつ...この項目は、はーふ・しりあす(フライト009さん)の「少しずつ・・・」に付けたトラックバックです。

 日本放送協会(NHK)は税金と同じように国民から視聴料を取っていることからして公共性を全面に押し立てていますが、此れが、道路公団のように腐ってきた原因だと思うのです。国民が豊かになり自立性が高まってきた今、公共性とは何かをもう一度考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
 公共性を謳い、情報を報道することを生業とするところが、自分の都合の悪い情報は隠そうとした。庶民に対する官僚統制が強まる中、旗本のように御用商人と組んで好き勝手なことをしていては、庶民の怒りが爆発して当然です。
 私自身、古いネタをあたかも最新情報のように扱う間違いをしてしまいましたが、その「アイリス・チャンの死」においても、話はずれますが、彼女の著書「レイプオブ南京」が余りにいい加減で、堪忍袋が切れた日本の有識者に、間違いを具体的に学問的に指摘されて、とうとう日本では翻訳本を発刊出来ませんでした。自虐的性格の強い日本人ですら受け入れられないほどのめちゃくちゃな内容だったからです。
 政治家も役人もそして日本放送協会も気付くべきです。おとなしい日本人であっても主体性を持っていることを。それを踏みにじられたとき、周りがビックリするほど怒りをあらわにします。
 人間ですから間違いを冒すのは避けられません。しかし、それを認識し正しい方向にもって行く姿勢が見られなければ、怒りは収まらないでしょう。日本放送協会も身内に甘いという疑惑を払拭できるような、目に見える改善をして欲しいと思います。
# by antsuan | 2005-04-05 07:11 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(1)

ヨットの設計図

 関東の大学ヨット部のメッカみたいになっている葉山の森戸海岸に今年も学生がやってきた。ディンギーとも言うこのセーリングボートは20年ぐらい前まではいろんなものが開発されていた。現在、大学ヨットで使われているのはオリンピック種目にもある470級と、スナイプ級の二種類だが、他にもいろいろなものがある。古いものはA級国際ディンギー、Y15、シーホース、そのほかにもK16、505、ファイヤーボール、シード、シーラークにシカーラ、レーザーにシーホッパーなどなどである。
 この中で、どの艇が一番美しいデザインかといえば、やはりシーホースであろう。今尚社会人ヨットの公式クラブがある。設計者は横山晃氏。Y15やシードの設計もそうだ。ちなみにこのブログにあるセールナンバー90の写真はシードである。
 木製でニス塗りのシーホースは速さと安全を追及して作られていて、セールのマークはタツノオトシゴである。現在作られている仕様は殆どレース仕様のため縮帆出来ないが、以前はメインセールを何段階にか分けて縮めることが出来た。海外のディンギーレースでは風速十五メートルぐらいの強風下でもレースは行なわれることがあり、強風対策のディンギーは少なくない。シーホースは東京湾往復は当然のこと、伊豆大島まで行った実績があるくらい嵐になっても耐えられる設計になっていたのである。
 そして横山氏の名を世界に知らしめたのが、「太平洋独りぼっち」の堀江謙一氏が乗った合板製のヨット、マーメイド号だ。横山氏はそれ以後、40フィートクラスの外洋クルーザーなども手掛けているが、一貫して安全性が重視されているものばかりだ。その基本はファミリークルージングにつながる。外国のセーリングボートもいわゆるブルーウォーター派と称して、キャビンの中が別荘みたいになっているものもあるけれども、やはり日本人の力量に合わせたヨットの設計は横山氏が最初だと思う。
 ヨットの雑誌を読みふけるうちに、ヨットの設計図(青写真)が売られていることに気がついて、JOG21(マーメイド号の改良型)の設計図をはじめ、36フィートのケッチ、30フィートのクリッパーバウのダブルチャイン型ケッチ、19フィートのデイクルーザーなど、いずれも横山晃設計事務所から取り寄せた。いつか自作して海に乗り出すことを夢見て。
# by antsuan | 2005-04-04 00:33 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

春はやってくるものなのか

 ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が消滅した今となっては東西冷戦時代の出来事は忘却の彼方に押しやられそうになっている。しかし日本国内の学生運動とともに、チェコスロバキアの民主化運動は、大国のエゴを世界の庶民がまざまざと見せつけられた事件として、忘れることが出来ない。
 今は分裂して二つの国家になっているチェコスロバキアにおいて、1968年、ドゥプチェク党第一書記が「人間の顔をした社会主義」をスローガンに民主化と自由化を推し進めていた。市民達は女子体操のチャスラフスカ(舌を噛みそう(^^;))選手も名を連ね支持を表明し、この運動は「プラハの春」と呼ばれた。
 しかし、8月下旬、ついにソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が侵入し、抵抗する市民が殺された。当然、ソ連軍は放送局や電話局を占拠し、市民の抵抗についての情報を世界に漏らさないようにしたが、そこで活躍したのが日本の商社である。
 現地の日本商社にはテレタイプライターなるものが置いてあったのである。この遠隔キーボードが電話の専用通信回線に繋がれていて、日本にある本社のタイプライターを打つ仕組みになっていたのだ。このテレタイプによって、プラハに入ってくるソ連軍の様子が本社へ刻々と伝えられてくる。ソ連軍は電話を封鎖してもその動きの一部始終が漏れてしまうことに慌てたが原因が分からなかった。
 此れは想像だが、日本の商社の通信専用回線は、西側ヨーロッパ経由ではなく、東側諸国経由の専用回線であったと思われる。従って24時間、商社マンが仕事をするふりをしてテレタイプを打ち続け、プラハの動きを世界に発信し続けたのである。情報を得る手段を断たれたアメリカや西側諸国の報道機関は、プラハの動きを東京発として打電し始めた。
 しかし、西側諸国はこの行為を避難はしたけれども、支援や軍事介入はしなかった。ついに、ドゥプチェク党第一書記はモスクワへ連れ去られ、改革中止を取り決める議定書に署名を余儀なくされたのである。プラハに春は来なかった。
 アメリカ情報局はこの事件をきっかけにインターネットの開発を進めることにしたと言われている。この商社のテレタイプはまさにIT革命の先駆けとなったのだ。
# by antsuan | 2005-04-03 08:21 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

残業ってなあに

サービス残業とカラ残業
 最近、新聞を見ているとむかつく記事ばかりだ。いつものことだけど。どうして新聞はこんなに昔と相も変わらぬ大本営発表をしているのだろう。サービス残業は民間企業ばかりではないんだぞ。都市部の比較的経営状態の良い公的病院の医師は殆どがサービス残業をしている。労働基準監督署が調査に入っているが、こういうことは大きく公表されない。まして改善されたかどうかの突っ込みはまるで無い。はっきり言えば法律の方が悪い。お役所のカラ残業もそうだ。職員も悪いが、それを認めた上司の責任はどうなんだ。企業では背任で懲戒免職のところが役所では一ヶ月の減給だと。役人に甘い法律が悪いんじゃないか。事実にもあきれ返るが、報道する新聞にもあきれ返る。責任の追及がおざなりだ。責任の明確化が必要だなんて解説に書けば済む問題なのだろうか。「重箱の隅でごろごろごまめかな」のでんでんむしさんが言われるように、エッチな週刊誌の方がよっぽど事実を報道している。
新聞もテレビもラジオも未来は無さそうだ。
# by antsuan | 2005-04-02 07:21 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

誤報ではないが

アイリス・チャンの死について。まず、読者にお詫び申し上げます。
この情報は真実ですが、発信された時期が昨年11月のものでありました。
アイリス・チャンが車の中でピストル自殺したのは、2004年11月9日のことです。
従いまして、写真の検証本は見ていなかったことになります。

インターネットで入ってくる情報はたとえニュースという形をとっていても最新のもの
とは限らないと言う教訓を得ました。
しかしブログは凄い。あちこちでこのアイリス・チャンの死について論評しています。
しかも冷静な目で。ブログの力は恐ろしい。まさに「ペンは剣よりも強し」だ。
# by antsuan | 2005-04-01 18:40 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

アイリス・チャンの死

 「南京大虐殺ーー第二次大戦の忘れられたホロコースト」を1997年に書いたチャイナ系アメリカ人、アイリス・チャンが自殺した。36歳で、夫と子供を残して。この自殺を日本の報道機関はまだ発表していないらしい。
 実は、この本を論評抜きで紹介したNewsweek日本語版に対して、抗議の内容の投稿をしたことがある。昨年末には「南京大虐殺の写真を検証する」と言う本が出た。百パーセント偽の写真であることが裏付けられたと云う結果を書いた検証本だが、アイリス・チャンが此れを見てどう反論するだろうかと、ふと頭をよぎった。
 正直言って、この事実が自殺の動機になっているかも知れないと思うのだ。歴史的問題を書くには、彼女は若すぎると当時から思っていた。まるで大学の卒業論文みたいに、教授から資料を提供されて書いたような感じが拭いきれなかった。勘ぐって言えば、この資料提供元がバレるのを恐れて殺されたのかも知れない。
 日本人は前にも書いたように、自分たちの国の歴史を十分に習ってきていない。南京大虐殺については殆ど冤罪に近いと断言したい。そのことを知りたいのならば、真っ先に勧めるのが、鈴木明著の「南京大虐殺のまぼろし」という本だ。その他、歴史全体を知りたければ、ここにも載せた「渡部昇一の昭和史」が、きわめて時代考証を踏まえた名著である。
 アイリス・チャンの死はお気の毒だが、日本人にとって、出版された本だけが独り歩きし始める恐れの方が心配だ。

 ※ 年齢が間違っておりました。32歳ではなく享年36歳ということです。またお子さんの年齢も定かでないので削除しました。お詫びして訂正いたします。
  また、題名もあちらでは「レイプオブナンキン」という衝撃的な内容の本であることを付け加えます。
# by antsuan | 2005-04-01 00:31 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

いろいろ言いたいペイオフ解禁

 とうとう来月からペイオフ制度が実施される。日本の金融問題はこれにて一件落着と言うことなのだが、果たしてそうなるだろうか。まず解禁と言う言葉がおかしい。正確には「ペイオフ制度施行」だろう。禁止が解かれても喜ぶことではないからだ。
 次にやはり昭和大恐慌の「金解禁」とイメージをダブらせてしまう。政府はこの制度を施行するために、金融の安定化を必死になっていろいろやってきたが総ては逆効果だった。体力の無い銀行を潰したり、あるいは不良債権を早く処理させて体力のある銀行にさせようとしたが、かえって不良債権を生む結果になり、いまだに銀行の体力は弱ったままである。こんな状態でペイオフを解禁したら、取り付け騒ぎがいつ発生してもおかしくない。確かに株式市場は7000円台から、1万1000円台にまで回復したが、これは民間企業の体力がついてきただけであって銀行の体力がついて来たお陰ではない。
 それと、またまたタイミングが悪い。原油価格が高騰し円安になっている。輸入品の物価が上がるのは目に見えている。銀行に金を預ける余力など市民には無くなってしまうのだ。どんな小さな銀行でも、今度潰れたらペイオフが実施される。その時の国民の不安心理は相当なものだろう。
 最後に「ペイオフ解禁」はやっぱり国民のためにならないと言いたい。資本主義国家であり、企業が責任を負うのは銀行と言えども当然なのだが、銀行の頭取など経営者に責任を厳しく追及する制度が出来て実施してきた以上、今の段階ではペイオフは必要ないと思う。
 いよいよハイパーインフレーションの時代がやって来るかも知れない。
# by antsuan | 2005-03-31 07:39 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(2) | Comments(3)