あんつぁんの風の吹くまま

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薄緑色の海

朝、海岸通りを走っていたら海の水が薄緑色がかっていた。
 どうしてこういう色になるのか解らないけれども、春の訪れと秋の始まりの時に、逗子・葉山の海の色は変わる。いよいよ海のシーズンの訪れだ。
 早く海に出て、国道134号線の渋滞で出来たスモッグを遠くに眺めながら、潮の香りの空気を満喫したい。沖に出て青い陸(おか)を見るとやっぱり自然っていいなぁと感じる。人間関係のギスギスしたことを忘れて自然の一部になれる。そういう喜びがある。自分は本来、人間嫌いなのだと思う。サッカーや野球など観るスポーツは決して嫌いではないのだが、自分でやるとなると勝った負けたの勝負事に心が疲れてしまうのだ。その点、海は山登りと同じで自分と自然との戦いである。もちろん無理をしなくてもいいのだが、時として自然は牙を剥くときがある。男も女も子供も容赦をしない、その厳しさを克服した時、大きな喜びと幸せを感じる。
 人間、自然との接触が希薄になっていくことにより、理性を失い、人間で無くなって行くのではないかと思うときがある。登校拒否の子供やニートと分類されてしまう大人たちには、もっともっと自然の世界の中に溶け込ませることが、治療の一つではないだろうか。自然の恵み、自然の愛を感じることが出来れば、もう一度人間社会に戻っても生きて行けるのではないかと考えたりする。
 舫いを外して海に出るときのちょっとした緊張と不安、そして、戻ってきて舫いを縛る安堵感。此れが何とも云えない。           右左あんつぁん
# by antsuan | 2005-03-20 07:36 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

自浄能力

 科学は進歩するが人間の生き方というのはそう簡単に進歩するものではありません。となると、歴史は繰り返すというのは当たり前のことなのでしょうね。つまり自分が身をもって体験したことは教訓に活かすでしょうが、先人達の経験については伝え聞いたとしても、体験していない以上痛みが分からない。だから、痛みを感じている人や地域が傍にあっても、それを教訓にすることもしないのでしょう。
 サラリーマンは、会社が火の車でも給料をもらっているうちは自営業者と違って殆ど危機感を持たないと云うか分からないでいます。もちろん役人も同じでしょう。こういう人たちが経営に携わることは危機意識の欠如により、おうおうにして会社や組織を危うくしてしまうのです。もちろん国においても同じことです。
 今の日本人が一番苦手としていることは被害者の気持ちを理解することです。いつか自分がその被害者になるかも知れないという危機意識が欠如しているのです。
 組織の中で居心地のいい者は、悪いのは一部の人で他は皆いい人だからという論理を唱えますが、それは明らかに間違っています。他の良い人が悪い人を排除しなくなったとき、良い人とは言えなくなるのです。自浄能力を失った組織は癌と同じで悪性化して社会に影響を及ぼしてしまうのです。
 大東亜戦争の痛みが余りに酷すぎたがために、そして戦後、米国が守ってくれたがために、我が国民は、昔、痛みを感じ危機意識を持って国を守ってきたことを忘れようとしています。竹島問題では、痛みを感じている一地方が立ち上がり決意を表明しました。しかし、国民が痛みを感じている人の危機意識を理解するのはいつのことになるでしょう。北朝鮮の拉致問題を6カ国協議の場に委ねているのを見てそう感じます。
# by antsuan | 2005-03-19 07:42 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

葉巻きとパイプ

 昨今、タバコの有害キャンペーンがかしましい。 かく言う本人も嫌煙派なのでありますが、小さい頃は周りで皆、煙草を吸っていたのでタバコをくゆらす雰囲気が嫌いな訳ではないのです。そのせいか、近頃のやれタバコの箱に有害性を大きく宣伝しろなどという規制には、右左あんつぁんの心がムラムラと何となくしてくるわけでありまして、少しは愛煙家の話でもしてみたいと思います。昔の映画では煙草を吸うシーンが必ずありましたね。それもなかりサマになっていてかっこ良かった。しかし、そのせいでジョン・ウェインや、ユル・ブリンナーなどは肺がんになってしまったんでしょうな。やっぱりタバコはよくない。ところがもうちょっと前の物になりますと、紙巻タバコではなく、パイプやら葉巻のシーンが多く出てくる。日本では次郎長ものなどに煙管 (キセル)を吸う場面がよくありますね。どうやら煙草は高級品であったことがそんな映画などで何となく分かってくる。
 自分の周りでも、大学の教授だった祖父はキューバの葉巻だったし、大会社の監査役をしていた叔父はパイプがすごく似合っていた。そして葉巻もパイプも匂いはキツいが、その香りに品があったように思う。そう考えるとやっぱり煙草は高級な装飾品として認知させてもいいと思うのだ。ある写真家がチャーチルのポートレイトを撮る時に、口にくわえていた葉巻きを取り上げて、怒った顔の写真を撮ったことは有名である。ある意味で葉巻きやパイプは装飾品なのだ。
 タバコにフィルターが付いて、どこでも簡単に吸うことが出来るようになったことは、嗜好品として特化してしまい、装飾品としての価値をはぎ取って、かえって喫煙量が増えて健康を害する結果をもたらし、また煙草に漂う品をも無くしてしまった感がある。いっそのこと紙巻タバコを禁止にすれば、ドトールコーヒーやスターバックスのように、タバコの吸える一種の専門店が出来て、また変わった煙草文化が生まれるかも知れない。
# by antsuan | 2005-03-18 07:17 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

アンケートはお断わり

 NPO法人を開設して三年目になるが、めったやたらに調査やアンケートの依頼が郵便や宅急便で送られてくる。NPO法人とは正確には特定非営利活動法人というように、民間でありながら儲けを意識しない活動をする会社ということなのだ。ところがアンケートを送ってくるところというのは、国とか県のいわゆる行政機関で、それも委託先は役人の天下り先になっている何とか機構、何とか協会、何とか独立行政法人なのだ。それだけでなく、やっぱりというか当然というかアンケートの中身が全くくだらない。どうでもいいようなことを調査している。勘ぐっていえば、NPO法人を法の網から漏らさないようにするためか、その天下り先に何かを期待させるものばかりである。つまりはその天下り先機関が予算取りするための資料にするのであろう。全く人をバカにしている。行政を当てにしないで奉仕活動をしようとしているところに、税金を食い物にしているところからアンケートが来るのである。どうせ調査をするなら、社会福祉協議会や社会福祉法人などと、NPO法人とどちらがお金を使わず、地域に合った福祉活動をしているか調べてみたらいかがであろうか。昔、赤い羽根の共同募金の半分以上が人件費を含む経費に消え、問題になったことがある。乞食を三日やったらやめられないのと同じで、慈善事業で金を集めたら笑いが止まらないのだ。
 行政の外郭団体さんに言わせてもらおう。「あなた達の役目は終わりました。あとはNPO法人にお任せください」と。アンケートは何も書かずにそのまま送り返している。
# by antsuan | 2005-03-17 07:35 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

科学は政治学なのだ

 あのスマトラ沖巨大地震を見れば、人間の為せる業がいかに小さいものなのか痛感できよう。環境問題、京都議定書も結構だが、我々人間がやる事はすべて地球規模からすれば誤差の範囲なのだ。排気ガス規制は確かに一部の地域の大気改善につながる、しかし三宅島の火山が一回爆発するだけで、大気の硫黄濃度は地球規模で変わってしまうのである。
 とは言え、政治家には科学の知識をもっと持ってもらいたいと思う。特に百年の大計を思うとき、科学的知識が国の進路を決める大きな要素になるはずである。では何故、日本の政治家は科学に無関心なのであろうか。それは軍事力を考えないでいられたからに違いない。科学と軍事力は密接な関係があるのは今も昔も同じことだ。海底に核ミサイルを積んだ原子力潜水艦が潜んでいるように、宇宙にも核ミサイルを積んだ人工衛星が遊弋している。科学先進国にとって日本はいつでも抹殺できる国なのだ。
 科学はどんどん発達し、人間型ロボットやクローン人間の出現もそう遠くはない。此れからも科学を支配した国が科学後進国を支配するのは間違いない。そんな時、政治家が素人判断や一部の人気取りで、科学の発展を抑えてしまうことは、国の滅亡に加担することを意味する。
# by antsuan | 2005-03-16 01:17 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

逗子駅の赤絨毯

 このところ皇位継承問題や皇太子妃雅子様のご静養問題などで、若い人でも皇室のことに少しは関心があると思う。
 広島に生まれ、新潟で教鞭をとり、戦後再び横浜で教鞭をとることになった祖父が、葉山を終の住み処にすることを決めた理由は御用邸があることのようだった。小さい頃、祖父が自分で作った神棚の脇に飾られた花の絵の額を外したことがあったが、その絵の裏には御真影、つまり天皇皇后両陛下のお写真が飾られていた。
 また私自身、学校の帰りなどで逗子駅にいる時、何度も拝見したことがある。ホームから改札口を過ぎて車の乗り降りするところまで赤い絨毯が敷かれるので、お召し列車が到着することはすぐに分かった。
 昭和天皇は、絨毯の脇に並んだ我々に向かって、テレビでお馴染みの、帽子をちょっと振るしぐさで挨拶され、ゆっくりお車で御用邸に向かわれた。昭和は30年代のことである。その頃の皇太子妃美智子様は、それはそれはお美しかった。過去形で書いては失礼かと思うが、とにかく聖母マリア様はこのような方だったのだろうと想像するぐらいにお美しかった。何せこちらも小学生、まだ純粋だったんでしょうね。
 その高貴な方と巡り合えた場所、逗子駅は、今でも横須賀駅と同じ、ホームと改札口が段差の無い今風に言えばバリヤーフリーなのだが、ついにこの間その改札口が改装されて立ち食いそば屋になった。嗚呼。
# by antsuan | 2005-03-15 06:45 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

作家の名前

 三月十三日の讀売新聞に三浦綾子の「塩狩峠」が実話であったことが書かれていた。この本をまだ読んでいないが、と言うか三浦綾子の本を一度も読んではいないのだが、彼女がキリスト教信者であったことはよく知っていたので、多分そちら方面の物語であろうことは想像がつく。そういえば彼女はもう故人だったのだ。
 先ほど述べたように三浦綾子の本を読んだわけでも、彼女に会ったわけでもないのだが、彼女の名前は自分が一時期特別な環境にいた時に覚えた名前だったので忘れることが出来ないのである。
 それは中学三年の夏休みのことだった。就職勉強をしている親戚の兄さんが、私の高校生の兄を臨時に作られた裏磐梯の学生村に誘ったのである。しかし、兄は行く直前に嫌がり出して、急きょ理由もなく弟の私が行くことになった。福島市には小学一年まで住んでいたことがあったので一人で行くことに不安はなかったが、ようやく電気が引かれたというような村落といったイメージがぴったりの知らない土地へ行くことは、一つひとつが大人の経験だった。
 その学生村に集まっている学生はほとんどが大人で、親戚の兄と一緒とはいえ自分には場違いの場所である。ある人は芸大に受けるべくフルートを吹いていたし、学生は皆、その農家の空き部屋でじっくり勉強をしているのである。店も雑貨屋が一軒だけ。そんなところで誰と接触することもなく一日を過ごすことが出来るのであるが、朝と夕だけは村の集会所に学生が集まって食事をすることになっていた。そこではテレビはもちろんラジオもない。社会のことを知るには唯一新聞だけであった。
 ところが、毎朝来るその新聞をある女子大生が独占していたのである。みんなが見たがっていた新聞を真っ先にその女子大生が読んでいるのだった。私はその人が何故みんなの迷惑を顧みずその新聞を読みたがっているのか知りたくなった。しかし見ず知らずの女の人にそんなことを聞くのも近づくのも恥ずかしい。さらに彼女が読み終わった後は他の学生がその新聞を読みあさるので、朝食の時間に新聞を読むのは不可能だった。
 だが、程なくして古新聞の切り取られた部分を見て彼女が何を読もうとしていたのかわかった。それは連載小説の部分だったのである。朝日新聞は懸賞付きの小説を一般から募集し、その発表作を連載していたのである。それが三浦綾子の氷点であった。
 それ以来私も連載小説を読みふけるようになり、新聞というものを読む人間に成長した。
# by antsuan | 2005-03-14 07:14 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(4)

卒業式の思い出ありますか。

 卒業シーズン。この題目で何かを書くとすると色々なことが思い浮かびます。中学、高校の卒業式はほとんど覚えていません。いやいや正直に言うと小学校も大学の卒業式もうろ覚えでしかありません。が、しかしキリスト教系の小学校でしたが、間違いなく君が代を斉唱しました。日の丸もありました。
 その為か、その後の公立の学校教育ではそれが好くないこととなっていったことに気が付きませんでした。最近でこそテレビでサッカーの試合開始時に国歌を歌う場面を放送していますが、NHKは相撲や競馬などではその場面をカットしていたのです。今でもそうかも知れません。ま、しかしマスコミのことはまた別の機会に書くことにして、その教育界の風潮はとても理解できないことでした。
 今では、彼らの考えが民主主義ではなく社会主義思想であることがよくわかります。つまり彼らは、日本が同じ民主主義国家の米国に負けたお陰で「国家なくして民主主義なし」ということを身をもって感じる必要が無かったわけです。思えば米国と戦って負けたことはどんなに幸運だったか。これがソビエトやチャイナだったら、チェチェンやチベットのようになっていたに違いなく、思想弾圧による抹殺や粛正で、原爆や焼夷弾による虐殺だけでは済まなかったでしょう。
 さらに占領軍司令官のマッカーサー元帥は日本の教育勅語に基づく学校教育を改めるべくキリスト教系の学校を優遇しました。ところが面白いことに私が学んだキリスト教系の小学校は、公立学校が君が代や日の丸を否定していた時代にも、君が代を斉唱し日の丸を掲げていたのです。きっと校長は、「国家なくして民主主義なし」ということを十分にそして真剣に理解していたに違いありません。
 同じ小学校を息子が卒業します。私が卒業するときに目を濡らしていた担任の先生も当時の校長もまだ居られます。きっと、校歌や君が代そして仰げば尊しを歌うとき、、いや、もう考えるだけで涙が出ます。
# by antsuan | 2005-03-13 00:20 | 身の回り・思い出 | Trackback(1) | Comments(3)

独り言をやめて。

ブログを書き始めます。
人生、半世紀を生きていつ死んでも悔いはないと思い始めましたが、ブログという面白いものが出来たので、心に残しておいてあるものを少しずつ書きつづってみることにしました。
まず簡単な自己紹介から。
ハンドル 右左あんつぁん(ミギヒダリアンツァン)
歳は昭和二十五年(1950)生まれ双子座、 男、 五人家族。
仕事は零細な医療・福祉関係の企業を経営していますが、医師ではありません。
学歴は理学士(海洋科学)。
趣味はヨットとMac(パソコン)。
活動拠点は神奈川県、三浦半島の付け根辺り。
と、こんなところでしょうか。
堅苦しい話や、結構ジジ(時事)臭い話が多くなると思いますが、右左あんつぁんの本領を発揮して思いつくままに書き記します。宜しくお付き合い下さい。
コメント、トラックバック歓迎いたします。
# by antsuan | 2005-03-12 16:02 | 素性 | Trackback | Comments(4)