あんつぁんの風の吹くまま

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事故原因の報道は慎重に願いたい

 JR西日本の福知山線で、痛ましい事故が起こった。しかし、報道関係者は事故原因について軽はずみに記事にするべきでないと云いたい。世論を間違った方向に向けて調査の妨げにしてはならない。今回の運転手に疑惑があったとしても無責任に想像を膨らませてはならないのだ。

 事故原因について思い起こすのが、ダッチロールの言葉で有名になった御巣鷹山に墜落した日航機事故のことだ。あの時は旅客室との隔壁の部分の修復に問題があって、そこから漏れた空気が垂直尾翼を壊したことになっている。しかし、初めの事故原因の発表がそうであったがために、それが事実となって独り歩きし始めた感がある。以前同じジャンボジェット機内のトイレで手りゅう弾を爆発させた事件があった。その時も隔壁が壊れたが垂直尾翼は何ともなかったのである。実は、香港の空港で離陸時に水平尾翼が壊れて離陸を中止した事件があった。ジャンボジェット機は発電装置のエンジンが機体の最後尾にある。その時の原因は、そのエンジンから燃料が漏れて尾翼付近に溜まり爆発したことだった。このことから御巣鷹山の事故も同じ原因が考えられたのだが、そのことを報道したマスコミは少ない。

 事故は悲しいことであり、あってはならないが、いたずらに犯人探しを楽しむ報道だけは止めにして欲しい。事故を起こしたくて運転する人はいないのだから。三菱自動車のリコール隠しの教訓を活かして欲しいと切に願う。
# by antsuan | 2005-04-26 07:22 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback(1) | Comments(0)

人類の最終章はやってくるか

 このブログでは日本の文明を話題として主に取り上げてきた。それは地球規模で日本を見た場合、いかに自然の摂理に添った生き方をしてきたかの証明であった。そういう生き方に共鳴した西洋の人が、今なお日本に永住し、その良さを世界に発信している。そういう行為を知って、また日本人が自国の良さを認識すると云うのは今も昔も変わらないようだ。ラフカディオ・ハーンもその一人、去年が没後百年と云うことで、再び脚光を浴びている。もう一度、彼の見た日本を見つめ直すのも悪くは無いだろう。
 しかし、人類はこの二百年の間に弱肉強食動物として最強の座を占め、恐ろしいほど増加した。それは放物線を描くがごとき増加率である。ねずみ算式の増加と云ってもよい。いかに我が国の文明を自慢しても、それが人類の平和に貢献しなければ何になろうか。
 また、人類は最強のエネルギー、太陽のエネルギーを手に入れてしまった。そのエネルギーは兵器として、地球を原始地球に戻す力を持っている。つまりは人類も居なくなると云うことだ。
 時間は余り残されていないと思う。二十一世紀が人類の消滅の時かも知れないのだ。再び文明の衝突が起きたら、それは現実のものとなるだろう。それを避ける意味でも、日本文明が編み出した、神々の共存を世界に布教しなければなるまい。我が国の成功を自分たちだけのものにしてはならないのだ。
# by antsuan | 2005-04-25 03:52 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

国民の代表者にふさわしいか

 国(政府)がやるべき一番の仕事は、国民の生命と財産を守ることではないでしょうか。それを、強請られ、たかられ、国民が誘拐されているというのに、その基本的な仕事をしていなかったら、国民はそれをしてくれる政党を望むでしょう。此れからはきっと極右翼勢力が伸びてきますね。
 
 チャイナの抗日デモ騒ぎでは日本国民は覚めた目で見ていたように思います。政府も落ち着いた対応をしていたと思っていたのですが、小泉総理の「反省とおわび」で水泡に帰してしまいました。

 一部の国(チャイナと朝鮮)を除き、アジアの諸国はそのようなこと(反省とおわび)を要求はしていません、其れは村山総理の時もそうでした。本当に、また歴史的バカをやってくれたものです。国民の生命と財産を守らず、英霊につばを吐き付けるような総理大臣は即刻辞めてもらいたい。こうなったら、郵政民営化で自民党もすったもんだしていることだし、民主党は内閣不信任案を提出して解散に追い込むべきでしょうね。

と、怒りまくっておりますが、国内のことはさておき、チャイナの民衆の動きは動乱の胎動を感じます。日本の尊皇攘夷的な動きです。昔の清では「扶清滅洋」を旗印に義和団の乱が起きました。北清事変とも云う義和団の乱を収拾出来なかった清朝は結局列強の植民地と化してしまったのです。抗日運動のデモ隊に失業者が加わるようだと要注意です。国民を力で押さえている限り、チャイナはまた内乱状態になりますね。
# by antsuan | 2005-04-24 04:43 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

靖国神社で唾を吐いていたのか!

 またまたやってくれました、小泉首相のパフォーマンス。「おわびと反省」と「ばらまき援助」の繰り返し。小泉さん、日本になんか帰って来なくても良いですよ。

先の大戦から60年ですぞ。歴史家はあれを白人からの解放と見なしていると云うのに。

 やっぱり声を大にして言わねばなるまい。日本は植民地にされた人民と戦ったのではない。アジアを植民地とした国と戦ったのだ。つまり現地の独立戦争の口火を切ったのだ。

 東京裁判を取り仕切った敵の将軍マッカーサー元帥ですら、朝鮮戦争を経て、あの戦争は日本にとって自衛のための戦争であったと認めているのに。

 今なお日本を非難している国は、民族が分裂したチャイナと朝鮮ではないか。文化大革命では何百万人と言われる粛正が行なわれ、天安門広場では自国民に軍隊が発砲し、十万人のうち何人殺されたか数さえも分からない。朝鮮半島では自国民を平然と餓死させ、数も何十万人、何百万人だか分からない。分かっているのは人民が消えてしまったことだけ。

 こんな鬼みたいなやつらに謝ることはあるまい。やつらの方がよっぽど悪いことをやっているじゃないか。小泉さん、我々のご先祖様はやつらよりもっと悪いことをしたんでしょうか。おわびと反省をすると言うことは、いま生きている日本人のご先祖様が悪いってことですよね。だったら靖国神社なんて参拝しないでね。英霊たちに呪われまっせ。
# by antsuan | 2005-04-23 00:22 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)

一流選手の流出を防ぐには

これは江戸川土手を歩く   いつまでもノモ・マニアのトラックバックです。
日本の野球は面白くなくなりましたね。一流選手がアメリカ大リーグへ行ってしまったせいでしょうか。でも、それも一流選手が日本のプロ野球に見切りをつけたということでしょう。日本のプロ野球とJリーグの違い。知ってますか。分かりますよね。方や企業名が付いているチーム。もう一方は地域名が付いているチームなのです。プロ野球は讀売巨人軍が球界の盟主などと云ってコミッショナーなどはただの飾りに過ぎない。そんな訳で、今でも企業が前面に出てきてあれこれ口を出す。ファンのためのチームじゃないんですよね。
 
その点、カープは違いますよ。広島カープ、広島東洋カープが正式名称だったか忘れましたが、地元広島ファンのためのチームですね。昔から、地元の出身選手を多くスカウトして、育て頑張ったチームです。そう何を隠そう私もでんでんむしさんと同じ、カープファンなのです。でも一流選手に給料払えないんだろうな。江藤は巨人へ、金本は阪神へ行っちゃった。この二人が残っていたら絶対優勝間違いなしだったのに。

日本のプロ野球を再生するには、高校野球みたいに地元名のチームに再編して出発したらいいと思います。そうなれば、韓国のプロ野球や、台湾のプロ野球などと一緒になって、東アジア大リーグを結成するのも夢ではないでしょう。

そういえば、去年、プロ野球選手がストをやれば辞めるって言っていたコミッショナー、本当に辞めたんでしたっけ?!
# by antsuan | 2005-04-22 06:48 | 身の回り・思い出 | Trackback(2) | Comments(3)

広島の誇りロータリーエンジン

日本の電気自動車はなぜ走りださないのか
 いつだったか休みの日にテレビのスイッチを捻ったら、国内の自動車レースをやっていた。トヨタのスープラ、日産のフェアレディーZ、ホンダのNSXなどが競い合っていた。この自動車レース。同じところをぐるぐる回るだけなのに本当に何処が面白いのだか分からない。

 しかし、実はこのぐるぐる回るレースに熱中していた時代があった。それはル・マン24時間レースである。普通、自動車レースはドライバーの腕を競いあうものなのだが、このレースはドライバーよりも自動車メーカーそのものの争いに近いところが面白い。このル・マンの耐久レースで、日本車が優勝したのはただの一回だけ、マツダの車なのだ。世界に優秀な車をたくさん送り出しているにも関わらず、トヨタや日産、それにホンダは優勝したことが無い。どんなにお金をかけても勝てない。車のトータルバランスを要求されるレースだから。それにレースのノウハウまで要求される。あのF1レースで優勝を重ねたホンダでさえ歯が立たないル・マンは、やはり自動車レースの最高峰だと思う。

 このレースが好きになったのはやはりマツダが昔から参戦し、挑戦していたからにほかならない。マツダという会社、いまはフォードモーターの子会社になってしまったが、広島に本社がある、世界で唯一のロータリーエンジンを実用化した会社であることは、プロジェクトXにも紹介されたので知っているとおりで、残念なことにエンジンの排気量を馬力に合わせて規制してしまったので普及しなかった。国内だけでもその規制を取り除いていたら、ロータリーエンジンはもっとポピュラーなエンジンになっていたに違いないのだ。技術革新の芽を摘み取る、利権絡みの体制があったような気がしてならない。
 
 面白いことにオーストラリアではこのロータリーエンジンが隠れた人気なのだ。と言うのも車検が無い国なので、市民が車を改造して乗ってもOK。そこで、部品が少なくて改造しやすく馬力も出るロータリーエンジンが持て囃されるらしい。いま水素を燃料としたエンジン開発の最先端を行っているロータリーエンジン。私も、自動車免許を持っていない人には分からないだろうが、一度は運転してみたい車、それはクラウンでも無い、ベンツでも無い、ロールスロイスなんかでも無い、電気モーターのような滑らかな回転をするロータリーエンジンを積んだマツダの車なのである。
# by antsuan | 2005-04-21 00:05 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(5)

右左日本文明論 四章、終章

第4章
 明治時代以降、日本は廃仏毀釈をし、あらためて天皇が政治を司ることになった。此れは日本文明が江戸時代までで終わり、あらためて西洋文明の中に日本が入っていったことを示すのであろうか。否、山折氏は今なお日本文明が花開いているとみているのである。そこにはもはや宗教を超えた、日本人の大衆道徳、あるいは平和思想というものが行き渡っていると考えているようだ。

 歴史家アーノルド・トインビーは明治維新をフランス革命、ロシア革命と比較して無血革命と称した。そして其の成功は、日本人の大乗仏教にあるとみたのである。前項で、霊を祀る儀式の棲み分けを宗教の共存としてあげたのだが、実は死者をホトケとする考えは本家インドの仏教には無いものなのだ、つまりここに日本文明の本質が隠されているというのである。

 前に述べたように、日本は神話から歴史への断絶が無い、つまり我が国の「カミ」信仰はその「ホトケ」信仰とともに、本籍地を日本列島とする「ヒト」信仰であり、其の宗教観は「ヒト」の罪を許し、「死者」のケガレを浄化する反革命的な「平和」思想となって熟成されてきたのである。

 ここでようやく「パクス・ヤポニカ」(日本の平和)の思想的源流について言及したのだが、確かに、日本独特の武士道、茶道、華道などは、技術を極めることではなく心を極めることであり、これこそが弱肉強食的動物には出来ない、つまり、「ヒト」にしか出来ないことなのだ。そしてこの「ヒト」こそが、神でもなく、動物的生き物でもない、「公家的なもの」「上品振るまい」「非暴力的行動」という、日本人が実践してきた、究極の平和のための、人間が最終的に目指す生き方であると結論づけるのである。


終章
 乱暴に言うと、「人道主義」は日本独自の文明であり、他の文明では見られないということなのだろう。しかし、そう言い切れる背景として、他の文明が、「ノアの方舟」に象徴される「生き残りの戦略、思想」を基にしているのに対して、「カミ」と「ヒト」と「ホトケ」が連続的なものであるという、死の運命を享受することの出来る「無常のセオリー」を基にしているからである。
# by antsuan | 2005-04-20 04:14 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

右左日本文明論 三章

第3章
 それでは何方も滅びることなく共存してきた理由は何だろうか。神教は八百万の神々がいる。仏教では人が死んだら仏、つまり神になる。神が一つしか居ないとなれば其れは当然争いになるが、神が沢山いるとすれば棲み分けすることは可能だ。仏教と神教の共通点は霊魂にあり、其の霊魂を祀る役割をうまく分離することにより共存してきたのではないかと考えるのである。

 意識的にやったのか、あるいは自然にそうなって行ったのかは分からないが、仏教は霊魂があの世へ行く時の儀式を司り、神教は神(霊魂)が現世にいる時のことを司るように、棲み分けしたのではないだろうか。ちなみに神は現世にはいつも居ないのが普通なのだ。

 神社は、自然の脅威の中に神をあるいは怨霊を見て、それを鎮めあるいは感謝する場所である。もう一つの寺は、人間があの世でお世話になるときのことを考えて祈る場所である。知っていると思うが、皇室にも菩提寺があるのだ。何という見事な棲み分けだろう。

 この見事な棲み分けは文明と称するに価値のあるものだと思う。そしてこの神仏の共存こそが、平和への源泉であると世界に主張したいところだが、山折氏は、またもここで問題を提起しているのである。正直言って不満が残るところであるが、それは明治維新において神仏分離を断行したからだ。
  (つづく)
# by antsuan | 2005-04-19 05:41 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

右左日本文明論 二章

第2章
 言うまでも無く、宗教という文明において重要な位置を占める思想のぶつかり合いが、歴史上数多く繰り返されてきた。しかしフランスの哲学者レヴィ=ストロースは、日本を「神話から歴史への移行がごく自然に滑らかに行われた」と称し、神話から歴史の間に深い淵で隔てられている西洋と比較して、日本文明を評価するのである。

 此れは宗教の衝突が無かったか、又は其の衝突をうまく克服したことを意味するのだと思う。「古事記」から「日本書紀」そして「天皇制」へと絶えることの無い、神教の継承が今尚続いているのである。しかし知っての通り、仏教伝来の時には大きな危機に直面したはずである。何故神仏が共存できたか、其の答は一つではない。

 山折氏のこの辺の分析について、残念ながら自分は消化しきれていないところがあるが、独断するならば、神教は「古事記」にあるように神々が集まって話し合う宗教なのである。従って、聖徳太子はここで仏教を政治的なものとして受け入れ、ある意味で政教分離を確立させたのではないかと考える。同じ神と見做さなかったわけだ。神話があったからこそ出来た業であったのだろうと思わずにはいられないのだ。

 歴史を見てみると、宗教としては仏教の力が強くなったときに日本は争いの時代となっていることに気付くであろう。鎌倉時代には新しい仏教がもたらされ広まっていった。そして比叡山の延暦寺、高野山などの勢力となって政治に関与し始め、織田信長により、其の勢力は完璧に滅ぼされた。江戸時代には仏教はもはや神教と同じくして儀式的なものにしか過ぎなくなっていくのである。しかし、二つの宗教が共存していたことには変わりない。
  (つづく)
# by antsuan | 2005-04-18 00:46 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

右左日本文明論  一章

第1章
  山折哲雄氏の「日本文明とは何かーパクス・ヤポニカの可能性」を読んみて、歴史を知るうえで、幾らでも新鮮な分析方法があるものだとつくづく考えさせられた。この本は、これから追い求める人類の平和を主題に掲げているが、各章それぞれに、新しい歴史の分析がされているので、この哲学的命題を一つに集約せず、いくつかに分けて論じていきたい。

 まず山折氏はこの二千年における日本の歴史をひっくるめて日本文明と定義している。一般に日本文化と云われるものについては市民にも馴染みが有ると思うが、文明となると、それ程の歴史が有るように思わない人もいると思う。しかし、この考えは外国の哲学者において先に論じられていて、それを検証する形で理論を展開しているのだ。其の結果、日本列島に生まれ育った独自の文明であると称している。

 私だけであろうか、先の大戦を「文明の衝突」という視点から見ると、妙に納得できてしまうのは。アジアの中にあっても、メソポタミア、インド、チャイナ等、多くの文明があり、それのどれにも属さない独自の文明として日本文明を意識することは、勇気のいることかもしれない。しかし其れを意識すると、同じ帝国主義国家同士の争いとして解釈できない何か、心の奥底でうごめいていたものを見付けることが出来た気がするのだ。

 ところで、その地域が安定した状態を平和と称するならば、日本は平安時代の350年、江戸時代の250年の長きに亙って平和を維持した、世界でも類を見ない国家なのである。こういう特異な文化を育んできた歴史的地域を文明と称していけない訳はない。

 そして、その平和であった平安時代と江戸時代の共通項とはなにか。答は「神仏の共存」であるという。それでは歴史上、日本における宗教はどのように国と係わってきたのであろうか。
(つづく)
# by antsuan | 2005-04-17 07:59 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

連絡船の女(ひと)

心に残る出会いのエピソードこれはexciteブログの今週のトラックバックテーマへのトラックバックです。

 いまから三十年以上も前の北海道の大学を受験した帰りことだった。急ぐ旅でもないので列車で横浜に戻ることにした。当時は東北新幹線もなく青函トンネルも出来ていない、特急列車と青函連絡船を乗り継いで行く旅だ。

 青函連絡船の客室の半分ぐらいは先の特急列車の乗客で席が埋まっていただろうか。その後、函館からの乗客がドカドカと乗り込んできて、小包みを抱えた婦人が「ここは空いていますか」と声を掛けてきた。少し眠たくはあったが目を覚ましていた私は、「どうぞ」と自分の荷物を別のところへ置いて席を空けた。其の婦人は少し落ち着かない様子であった。しかし自分も家に帰るだけで楽しい旅であるわけではない、客室が暗くなったのを機に目をつぶって休むことにした。

 船はまだ外海に出ていないのであろうか、殆ど揺れを感じさせないで航行している。すると、隣の婦人が声を掛けてきた。「大阪に行くには、東北本線を使うのと日本海側を行くのと、どちらが速いですか」
 乗車券だけで特急券はまだ買っていないらしい。そんなことは乗務員にでも聞いてくればよさそうにと思ったが、接続しているのは東北本線の特急の方である。「すぐに連絡しているのは東北本線の方でしょう。」そう、ぶっきらぼうに応えた。

 彼女は続けて、自分の実家に初めて行かせた子供が風邪を引いてしまって、迎えに来てくれと云うので、此れから引き取りに行くところなのだと言う。私は大学浪人の青二才であった。そんな人間に声を掛けてくること自体が驚きであったが、何することも無い真夜中の連絡船の中である。静かに彼女の話を聞くことにした。

 大阪から結婚のために函館にやって来たが、主人以外誰も知った人がいなくて、新婚当時は毎日まいにち泣いて暮らしていたこと。主人が仕事から帰ってくると嬉しくて嬉しくて本当に抱きついてしまったこと。冬になり雪が降り積もったのを見て、「今日はお仕事休みですよね」と主人に言ったら、「バカッ」と怒鳴られたこと。

 いまでは函館の人になり切っているような彼女の身の上話は、結婚もしていない自分が聞くにはとても恥ずかしく、また相応しくないことのように思えて戸惑うばかりだったが、同時に、閉ざしていた自分の心のカーテンをそっと押し開ける、生暖かい風に触れたような感じがしたのである。

 青森で連絡船を降りるとき、「駅員に聞いてみます」と言ってそそくさと別れの挨拶をしたきり、其の婦人は行ってしまった。最初から他人であった。そして名前も聞かない他人のままであった。

 しかし、旅をするごとに、津軽海峡を渡る想いを語ってくれたこの婦人のことを、初恋の人のように思い出さずにはいられないのである。
# by antsuan | 2005-04-16 00:03 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

IBMの撤退について考える

 さきごろ、IBMがパソコン分野から撤退することで多いに話題になりました。しかもその譲渡先がチャイナの企業であることも大きな関心の的となったのですが、IBMのPC(パソコン)と云えば、マイクロソフトのOSを最初に導入したことで知られています。此れをきっかけとして、世界のパソコン市場をマイクロソフトが席巻してしまったわけで、ハードウェアメーカーをビル・ゲイツの小作人と化してしまう皮切りをした会社と云えます。

 そのIBMがPC部門を手放すということは、ビル・ゲイツの小作人になることをやめますよということでもあり、そのことの方が興味津々と云ったところですね。

 多分、PCが此れだけ安くなってくると、デジタル時計のように使い捨てになり、いちいちソフトがどうのこうのと言う時代でもなくなって来ると判断したのでありましょう。情報は、個人がそれぞれにサーバーを決めて保存する時代であり、そのサーバーは何もPCである必要はなくなったのです。インターネット上のサーバーで充分でなのです。となると、PCは卓上型携帯電話となる運命が待っているだけではないでしょうか。

 もう携帯電話の時代が始まっていますが、其れを如実に表した事件がIBMのPC市場撤退なのでしょう。日本への風当たりがまた強くなってきそうだ。
# by antsuan | 2005-04-15 00:08 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

山と川と海の科学的常識

 先日のコメントで、山があり川があって海があると言われて、ドキッとしましたね。此れって自分の専門だったんだと。大学では海洋科学なんて訳の分からない学部に属し、卒業論文に塩の研究をやらされたのですが、岩塩を産出するところは元々大昔は海だった証拠で、つまりは海が山になっちゃったのですよ。

 二酸化炭素の排出量と地球温暖化なんて、其れこそ海洋科学の専門領域で、30年以上も前から海水中の二酸化炭素量なんて云うものを測定していました。この海水中の二酸化炭素を海洋植物が一杯取り込んでくれれば、大気中の二酸化炭素は海水にどんどん吸収され問題が発生しないはずなんですけれど・・。

 また、ヘドロや水俣病などの「公害」が問題になっていた時期なので、地球環境についてもその方面から研究しましたが、しかしその研究会は大学当局からの「指導」が入り、教授が左遷となってチョン切れてしまいました。関連会社からの求人が来なくなるというのが理由らしいです。此れが日本の大学の実態ですね。いまはどうだか分かりませんけれど。

 しかし、そこで明らかになったことは、淡水部分は地球の面積で云うと何パーセントにも満たないのですが、その役割は生物生活の上で大変なものなのだと云うことです。干潟や汽水も同様です。冒頭の言葉の通り、山が汚染されれば、川が駄目になり海も汚れてしまい、あらゆる生き物にとって大問題になるのです。
 
 話はずれますが、チャイナの大陸部分は、いま凄い勢いで大気汚染や水質汚濁の公害が発生していて、同時に砂漠化が進んでいます。日本では花粉症が猛威を奮っていますが、本当は大陸からやって来る黄砂と大気汚染が原因ではないかと思っています。これはあくまで個人的な意見としてお断りしておきます。しかし、こういう議論が大学レベルではされているのでしょうが、マスコミから聞こえてこないのが、不気味で仕方ありません。私的な研究会は潰され公的な研究会は政治の匂いがする。

 このように、環境問題は地球規模で考えないとはっきり言って意味を為しません。此れが大学で学んだ成果の一つです。いやいや、ちょっとアカデミックですねぇー。学費を出してくれた親に感謝しなくっちゃ。
# by antsuan | 2005-04-14 07:41 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

マスコミよ、自分の首を絞めてどうするの

 最近、報道のあり方やマスコミのあり方について話題になることが多くなってきた。日本放送協会、朝日新聞、ニッポン放送等々である。そういうチェックが入ること自体が良いことだと思う。どんなにいい加減な報道であっても、そうあって欲しくはないが、隣のチャイナみたいに報道の自由が無いよりかは遙かに健全なのだ。
 そう思うのだが、その自由に感謝すべき新聞社が、自由が無いチャイナを贔屓にしているのだから、やっぱりおかしい。チャイナの人民のためを考えるならば、報道の自由を規制しているチャイナ政府をもっともっと非難すべきなのだ。
 しかし、もともと新聞などに社会の木鐸などを期待することがいけないのかも知れない。幸いにして、インターネットでいろんな情報を得ることが出来る時代になった。どれが正しいかをマスコミに判断してもらわなくても、自分で判断出来る時代になったのである。
 また、面白くなければテレビじゃないなんて言っていたテレビ会社が、資本主義の冷徹な洗礼を受けている。法律の不備を云々言うのは、それをチェックする資格を持つものとしては恥ずかしいことなのだ。しかしお陰で、より大衆に迎合した娯楽に徹する路線は、会社そのものがマネーゲームの対象になりうることがはっきりした。
 これからマスコミは、よりいっそうの信頼性の高い情報を提供するか、哲学的な主体性を持つなどの、サーバーとしての素質を問われる時代なのかも知れない。
# by antsuan | 2005-04-13 00:25 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

近くの桜を観ながら思うこと

 先週末に、鎌倉は段かつらの桜並木を通って、鶴ケ岡八幡の池の桜に足を止め、校門に続く満開の桜の中を、子供と手をつなぎ入学式に出席してきました。いいですね。新学期は春に限ると再認識しました。何か自然の摂理にあっているような気がするのですが、いかがなものでしょう。
 学校の桜で印象に残っているものに、映画なのですが、木下恵介監督の「野菊のごとき君なりき」で、確か、校庭の満開に咲いた桜が、愛しの人の死を知るシーンに出てくると思ったのですが、記憶違いでしたでしょうか。モノクロの映画だったのに桜の美しさが滲み出ていたのを忘れることが出来ません。木下恵介監督ならではの演出と思われます。ついでにもう一つ映画では「紀ノ川」です。満開の桜越しに、嫁入りの船が紀ノ川を下って行く場面。此れも素晴らしかったですね。
 そう言えば、"さくら"と言えばフーテンの寅さんの映画を抜きにして語るわけにはいかないですね。倍賞千恵子しか出来ない役だったのではないでしょうか。その数々の名画を作り出した、大船の松竹撮影所は、さる女子大の施設に代わってしまいました。 
 家の周りにも昔は何本か桜の木がありましたが、それが川の護岸工事で一本無くなり、もう一本と切られて、いまは全くありません。そしていつの間にかマンションや住宅が密集する街になってしまいました。
 ここ何十年ぶりかでゆっくり桜を観ることが出来、またこのように思い巡らす時間を得て、その幸せを噛みしめながら一抹の寂しさを感じているところです。

 ブログを始めてようやく一ヶ月が経ちました。まだ一ヶ月なのに一年も書いているような気がします。特に泊まり掛けで旅行する予定も今のところ無いので、もうしばらく頑張って毎日書き込んでみようと思います。
# by antsuan | 2005-04-12 06:55 | 身の回り・思い出 | Trackback(1) | Comments(4)

中国、韓国の国民性を考える

 近ごろのチャイナや韓国の日本に対する行動を見ていると、彼らの墓を暴く国民性を強く意識せずにいられない。日本人も彼らが墓を暴くことも厭わない国民であることをよくよく認識する必要がある。
 もう一つ、第三国人ということも歴史認識の上で理解しておかねばならないことなのだ。この第三国人とは差別用語として、使ってはいけないことにしているようだが、今回の彼らの行動はまさに第三国人としてのうっ積から出てきていると考える。つまり、勝った国でも無い負けた国でも無いという、先の大戦で中途半端な身の置き所の無さに起因していると言える。
 こういう歴史的そして宗教観に及ぶ問題は放置しておいて良い問題ではない。逆に、今迄放っておいたことで根を深くさせてしまったことを反省すべきでる。こちらも言うべきことはいう。そうした毅然とした態度が相手の暴動を抑える手段なのだ。
 チャイナの天安門事件や韓国の光州事件など、自国民に軍隊が発砲するような国に文句を言われる筋合いは無いと、はっきりと言うべきだ。それをはっきり言わないことが亊を大きくしている。我が国の国民においても、チャイナや韓国がそのような事件を起こした国であることをしっかり知らせ教育すべきである。自国の歴史はもちろん、そのような近隣の国の歴史もしっかりと教えておかねば、外交に失敗することにつながる。
 謝っても意味はない、彼らは墓を暴いて死人にむち打つ国民なのだから。
# by antsuan | 2005-04-11 06:54 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

医用画像総合展を観る

 昨日の土曜日は、神奈川県は暖かい良い天気に恵まれて、各地で花見の行楽客でにぎわった。桜木町駅も行楽客でごった返している。む、そういえば駅名に桜の木が使われているが、ここは桜の名所だったのか。みなとみらいの美術館でルーブル展が始まった。その向こうのパシフィコ横浜では、2005国際医用画像総合展も開催されている。こちらもなかなかの盛況だった。
 医用画像は今やコンピューター画像と言って良いくらいに、フィルムの時代は去ろうとしている。コダックや、アグファといったフィルムメーカーも出展しているが、日本のフィルムメーカーよりも格段に影が薄くなってきた。富士フイルムはこの時代の流れを見越して、ビデオテープやデジカメなど電子部品に参入しているし、コニカミノルタは写真機器からコピー機などに移行してきている。
 展示場を回ってみると、コンピューターを使っていない機器を展示しているところはまれだし、医療画像も、画像の処理ソフトを紹介するところが増えた。最早、処理スピードが云々ということより、サーバーや他のソフトへの連携が売り物になってきている。いやはやこちらの頭も着いて行けなくなってきた。
 ここでは二つほど気に入ったものを紹介しよう。一つはシーメンス社のエッスク線管なのだが、今迄の真空管の概念をぶち破る、液体に浸したエックス線発生装置なのだ。真空にしないだけ装置の寿命が長持ちする。逆転の発想なのだろう。二つ目は東芝がMRI装置を使って、神経の伝わっているところが見られるソフトを開発した。神経が励起されているところを見られるということなのだろう。此れもすごい、そのうち神経回路の正常異常の判別も出来るようになるのではないだろうか。
 展示場を出て思うに、いよいよアトムの時代の幕開けだ。桜吹雪の花びらも、心なしかデジタルの一ビットを思わせる。 
# by antsuan | 2005-04-10 07:49 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)

車検制度の怪

 今年は終戦(敗戦)後60年と云う節目の年だ。そのことをわざわざ思い起こす日本人も少なくなってきている。あの頃の総力で戦った日本の技術は、零式戦闘機や伊号潜水艦など世界最高の水準に達していたものがかなりあった、そして今日、日本製品と云えば一流ブランドとして世界に認められるようになった。
 その中でも三菱は日本ブランドの菊のご紋に匹敵するものだろう。その三菱の自動車会社が欠陥品を売りつけていた。否、欠陥を隠していて公表しなかった。悲しいことだ。あの零式戦闘機を作った三菱が・・、と、後々の世代にまで伝わることだろう。ブランドに傷をつけただけではない、ある意味で日本人の誇りに傷をつけたようなものだ。歴史ある会社はやはりそれだけの伝統と云う重みを持っている。会社としてはこの失敗を教訓に、より信頼される製品を作って欲しい。
 しかし、それにつけても不思議なのは、政府がこの御用商人ともいえる三菱自動車を徹底的に叩きまくったことである。そこまでしなくてもと思うぐらいに苛めまくった。此れは裏に何かありそうだ。外国へのリップサービスだろうか。それとも敵対する派閥に政治献金をしていたためであろうか。よく分からない。
 ただ言えることは、この出来事によって車検制度の無意味さが証明された。政府やお役人さん、本当に国民のために三菱自動車を苛めたんですか。それだったら、意味のない車検制度もさっさと止めて頂きたいものです。
# by antsuan | 2005-04-09 08:37 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

三匹の子ぶたと日本

"オオカミなんて怖くない、怖くないったら怖くない" 「3匹の子ぶた」のCDを聞きながら小学生の子供が歌っている。みんなが知っている、藁のお家と、木のお家と煉瓦の家を子ぶたが作る話だ。 先日、ヨーロッパ旅行をして来た人の写真をホームページで見せてもらった。古い町並みもみんな頑丈な造りで出来ている。それに比べると日本の家はなんてチャチな家並みなのだろう。

そう、日本人は藁や木で家を作った子ぶたのように、今迄生きてきたのだ。太平洋戦争ではオオカミの群れに襲われてひどい目に遭ったが、うまいことにそのオオカミ同士が喧嘩を始めたので、そのオオカミの親分が匿ってくれている。

もう外をうろつきません、オオカミさんに誓いましたから国旗なんて掲げる必要はないのです。もちろん国歌なんて歌ってはしゃぎ回ることもしません。自分たちは戦うことの出来ない弱ーーい子ぶたなんです。

なんて幸せな民族なんだろう。相変わらず、藁や木の家に住んでいるし、竹島や尖閣諸島、北方領土など、錠前が壊れて他のオオカミがうろちょろしていても、オオカミだって話せば分かると思っている。オオカミなんて怖くないと本気で思っているのだ。そのくせ、周りの国がこの前におまえはうろつき回って汚したなと脅しを入れると、せっせと自分の出の悪くなったお乳を吸わせてやっている。

本当は子ぶたなんかじゃない、立派な牙の生えたイノシシなんだと他の国に言われても、子ぶたのふりをしているところが哀れに見える。
# by antsuan | 2005-04-08 07:07 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

ブラックバス規制の真相

表が出たらボクの勝ち、裏が出たらあんたの負け 
これは山紫水明(angler823さん)へのトラックバックです。

 報道によれば、外来魚のブラックバスを規制することに対して、政府は皆の衆の意見を聞いてみたところ、8割方は規制反対であったが、そのような意見は予想範囲内として規制する方針なのだそうである。パブリックコメントとか、公聴会なんて、一体何なんだろうと思う。答えが決まっているのならば、時間とお金の無駄でしかない。こう言うのを欺瞞という。
 ブラックバスの規制は生態系保護の問題なのだが、angler823さんの言うように、問題がすり替えられて利権問題に発展しているようだ。交通機関が此れだけ発達した今、生態系保護を維持するのは明らかに絶対無理な注文だろう。
 そもそも保護というのは既存の権利を守るということであって、此れは麻薬のようなものなのだ。此れを乱用すると中毒になりついには自ら崩壊してしまう。規制反対を唱えている人の多くがこのようなことを理解している理性派だと思うのだ。イヤ、喩えそうでなくとも此れだけ反対意見の比率が大きければ、行政は耳を傾けるべきではないのか。それが民主主義というものだ。
 問題を飛躍させて申し訳ないが、アメリカ合衆国は移民で成り立っている国なのに、日本人の移民を禁止する法律を作った。それが米国不信を呼び、日本が大陸に侵攻するきっかけとなったのだ。人間であれ、魚であれ、一度受け入れたものを排除するのはいかがなものだろうか。
 前の項にも書いたことだが、我々日本人は共存するシステムを作ることが得意な民族である。ここは一つ、外来魚と在来魚と共存させるシステムを考え提案するのが解決の糸口に繋がると思うのである。
 
# by antsuan | 2005-04-07 06:50 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback(1) | Comments(10)