あんつぁんの風の吹くまま

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朝霧の原風景

 皐月、ここ三浦半島でも一番爽やかな季節になった。時々メイストームなんていう台風並みの嵐がやって来るけれども今年は珍しくまだ来ない。もう四時を過ぎると空が明るくなってひんやりとした空気があたりを支配しているのが分かる。そして朝日が昇る頃、海に出てみると朝靄が立ちこめ視界を遮っている。上を見上げると青空が見える不思議な世界だ。

 山や高原では朝霧と云うのだろうか、前にも書いたが、裏磐梯の桧原湖のそばの学生村で夏休みを過ごしていた時に、ふもとから白い物が湧き上がってきていつの間にか周りを覆ってしまった。それが朝霧だった。此れが雲の本体なのかとその時に始めて実感したものだ。

 朝霧と云うと生まれ故郷の景色を忘れる事が出来ない。生まれた家は街並みからちょっと外れた山の梺に在って、そこからは街道沿いの家々、田んぼの中を横切る奥羽本線の線路、そしてずっと向こうには鳥海山が見渡せた。産婆さんに取り上げてもらったのでその家が本当に私が生まれた場所なのである。夏休みには必ずと言っていいほど此の母の実家へ遊びに行っていた。

 その家は大正の当時としては珍しい、今で言うツーバイフォーで造られた洋風の建物で、窓で囲まれてはいたがベランダがあり、そこから先ほどの景色が一望出来るのだった。そして私には特権があった。祖父が持っていた駆逐艦の艦長からもらったと云う海軍の双眼鏡を使わせてもらっていたのだ。

 朝起きると汽笛の音が聞こえる。早速その双眼鏡を持ってベランダへ出る。さながら駆逐艦の艦長になった気分だ。と、木立の向こうから黒い煙が見える。双眼鏡を構え、木立の方へ焦点を合わせると、見えた、蒸気機関車が田んぼの真ん中を横切って行く。    

 その吹き上げた黒い煙の向こうには、朝霧を帯のようにたなびかせ、万年雪を残す鳥海山が青くくっきりと映っている。此の景色はいま居る葉山から見る富士の景色と全く変わらない。それは祖父の形見としてその双眼鏡を手元に持っているせいであろうか。
# by antsuan | 2005-05-18 08:24 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

西部劇で育った少年時代

 何故だか分からないけれども、近年新しい映画を全然観たいと云う事が無くなってしまった。テレビもドラマを観たいとも思わない。好きな俳優がいないからだろうか。好きな監督の作った物が無いからか。最も此の所こらえ性も無いほど涙もろくなったので、みんなと映画を観る事が出来ないと云う不安もある。本を読んでいても涙が出てきてしまって、図書館から借りて本を読んでも汚すといけないのでそれも控えている。いやいや本当に情けない。

 先日、BS放送だったか何かでケビン・コスナーの出世作「ダンス・オブ・ウルブス」とか云うのをやっていた。良い映画だとは聞いていたが、今迄見る機会が無かった。観てみると、どうやら白人とインディアン(アメリカ原住民)との心温まる物語らしいのだが、血なまぐさいシーンが出てくる。どうもハッピーエンドでは終わらなそうだったので途中でテレビを切ってしまった。

 子供の頃、映画は西部劇から見始めた。テレビでもララミー牧場、ローハイド、ボナンザ等結構良い西部劇が沢山あったので、時代劇や現代物など全く観なくてもちっとも飽きなかった。何と言うことはないアメリカかぶれの子供だったのだ。しかし幸いなことに、其の西部劇の殆どが良き人、良き家庭、良き社会を描いたヒューマニズムを基にしたものばかりだったような気がする。

 此れは米国政府の国策によるものだったのだろうか。多分そうだと思う。レッドパージが映画界に吹き荒れ、チャップリンがアメリカ映画界から追放されたのも、国からの思想弾圧を受けていたのだ。しかし、移民達によって形成された社会をまとめるにはこのような映画映像教育は必要不可欠のものだったのではないだろうか。

 「カサブランカ」、「誰がために鐘は鳴る」の映画も元々は国策映画だったと聞く。其れにしても何という名作だろう。きっと母国を捨てた移民の監督、俳優達の切ない思いが込められているに違いない。同様に西部劇においても単なる活劇に終わらせず、人種差別や偏見は綺麗に覆い隠されているけれども、人間模様を鮮やかに写しだし生きる指針を暗に示している。

 此れを国策だとか洗脳だとか言うのはたやすいことだが、国民に一つの指針を与える手段として活用することは決して悪いことでは無いと思うのだ。歴史教科書をアーだコーだと言うよりもこのような立派な国策映画を作らせたほうがよっぽど効果的だと思うのだがいかがなものだろう。
# by antsuan | 2005-05-17 10:15 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

心に引き継ぐために

シベリアの名簿でまたまた思う国の無為無策
此れは「重箱の隅でごろごろごまめかな」に付けたトラックバックです。

 墓標。此れにはどれだけの意味があるのだろうか。お墓ブームは既に去ってしまい、今はお骨を持って返らず火葬場において行く人もいるそうだ。

 日曜日に、親しくしていただいた方が正月に亡くなった事を聞いて墓参りに行ってきた。簡素な墓だったが、そこには家の名前は小さくしか刻まれておらず、一文字の漢字が大きく刻まれているだけだった。わざわざ遠方から来たと云うので案内に来て下さった家族の方の話を聞くと、人生決して楽しい訳ではなく苦しい時の方が多い、死んでその苦しみから開放されたと思う方がいいのではないかと言うのだ。

 そう言う意味の一文字にはその家族の苦しみ悩みが隠されているのを静かに感じ取る事が出来た。またその方は、葬儀や偲ぶ会等は死んだ者にとってはなんの意味もない、生きている者の社交儀礼でしかないような気がして敢えて連絡しなかったのだが、このようにわざわざ墓にいらして下さる方がいらっしゃるのを知って親族として本当に嬉しく思うと、話して下さった。

 人は誰とも係わり無く生きて行く事は出来ない。誰かに世話になって生きていて、名前の知らない人であったりする。そしてその世話になった人を忘れる事が出来ないのは何故だろう。それは過去があってこそ未来が在る事の証ではないだろうか。世話になった人の生きていた証を確かめないで、何で自分の未来があるのだろう。

 多くの人が墓標も無く、草むし水漬き、空に散っている。その人々が我々の未来のために死んで行ったとしたら、その事を忘れてはならないような気がする。シベリア抑留の引き揚げ者の一人、国民的歌手三波春夫は秘めたる愛国者だった。しかしそれは墓標も無く死んで行った人々の守った国を守り続ける決意の現われだったのだ。

 間違いなく、今日の繁栄は名も無く死んで行った先達のお陰なのだ。その事を忘れてはならない。いかに靖国神社にお参りしようとも、シベリア抑留者の名前すら確認しようとしない連中は愛国者では無い。
# by antsuan | 2005-05-16 07:25 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

人事介入の勧め

 官僚主義が横行する原因はひとえに内閣が役人の人事に介入しないからに他ならない。内閣が政策を遂行するにあたり円滑に業務をこなせる役人を選任するのは当然の義務であって権利ではないはずだ。

 田中角栄という人物は功罪相半ばする業績を上げた首相であったが、議員立法とか役人の登用などには民主主義に立脚した決断を下した最後の首相であったような気がする。ライオンへアーのあの方も国民の代表として大いに役人の人事に介入することを勧める。役人に弱みを握られている他の与党議員には到底出来ない業であろう。また民主党の代表に其れが出来る力量があるかどうか甚だ疑わしい。

 公平な人事など必要ない。軍隊において部隊長が司令官の指示に従わなかったらどうなるか。議会制民主主義においては、総理大臣、知事、市長などの行政の長の指示が絶対命令なのだ。

 実はいま、外交においてはものすごく大変なことが進行中なのである。確かに国内問題はデフレーションによる膨大な借金を抱え、国民の未来像を描けない悲惨な状況だが、そんなことは日本だけに限らないのであって、それにも増して重要なことは、冷たい戦争が最終局面を迎えている事なのだ。日本人はこのことを忘れてはいけない。地殻変動の響きが聞こえている。
 
 ブッシュ大統領は任期中、つまり今後四年以内にチャイナの共産党政権を崩壊させる気でいる。世界はイラクに目を奪われているが本当の敵はこっちなのだ。其れは日本にとっては、明治維新以来のアジア政策の完了を意味し、百年越しの米国以上に重要なことである。

 不満は残るがロン・ヤスの関係と同じ、親密な日米関係を維持していかねばならないときに、議会制民主主義の根幹的問題を疎かにするわけにはいかない。今は日本に明確な指導者がいることを世界に表明しておくことが必要なのだ。
# by antsuan | 2005-05-15 01:31 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

新脱亜入欧論的気持ち

 福沢諭吉が言った脱亜入欧論、いろいろ尾ひれが付いているけれども、そもそもは朝鮮や清朝に近代化の後押しをしてあげようとしたけれども、一向にその気が無いので、大陸の連中のことは切り離して日本だけが欧米に追いつこうではないかという考えだったわけです。

 翻って、今まさに同じ状態に大陸関係がなっているのではないでしょうか。いくら経済援助をしても有り難がるどころか反日・抗日の対決姿勢をあらわにして進歩しようとしない民族に、日本国民は覚めた目で新脱亜入欧を考えていると思います。福沢諭吉と同じ思いを西郷隆盛や伊藤博文らは抱いていたはずです。其れが征韓論の基であり日清戦争の理由だったわけです。

 日清戦争後の下関講和条約の第一条に「朝鮮国を自主独立の国たることを確認す」とわざわざ記したぐらい、日本は朝鮮民族を大事にしていたのに、この親心が分からないまま今に至っているのです。儒教文明の民族は、やらせていただきましたと言わないと満足しないようです。親ごころなんて言い方はとんでもないという訳です。

 しかし、日本人はこの事を声を大にして言うべきでしょう。相手が耳を塞いでしまおうが逃げ出そうが、飛びかかってこようが、この際、はっきりと言っておく必要がありそうです。「お前達の独立記念日は日本の終戦記念日なんかじゃない。下関講和条約締結の日なんだ」と。
 其れが本当の友情というものでしょう。
# by antsuan | 2005-05-14 07:41 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

ジャーナリズムとIT革命

 TBSの問題は「重箱の隅で・・・」(済みません何時も端折って)の ”氷山の一角「盗用コラム」の問題” に書かれているように、単純な問題ではない。まずもって報道される事の重みを全く理解していない。ジャーナリズムの倫理なんて本当は無いと思う。著作権とか報道の権利はその責任に裏打ちされたものでなければならないからだが、NHKと朝日新聞の問題、ライブドアとフジテレビの問題、そしてまたTBSのホームページの問題と、まぁ次々とよく出てくるものだと感心する。結局のところもともと倫理なんて持ち合わせていない事に気が付いた。

 「真珠湾のだまし討ちの卑怯者」、ジャーナリズムを利用した米国の政策によって日本国民は敗戦以上にどれだけの屈辱を味わってきたか。「東京ローズの悲劇」(古くて分からないかも知れませんが、米国において日系二世の若い女性が無責任な新聞記者に依って敵性人間として投獄された事件)もジャーナリズムの無責任に依るものだ。報道によって社会や人間の人生が左右される事を今一度理解し、忘れてはならない。

 それを踏まえた上でよく考えて欲しい。ジャーナリズムのパワーは今、マスコミからインターネットへと大きなうねりの変化が起きている。その兆候が冒頭に挙げた事件に出てきているのだが、携帯電話メールを使ったチャイナの反日デモの広がりもそうだ。此のうねりによって共産党政権は崩壊寸前の所まで来ている。これがIT革命と云うものなのだ。我々は革命のまっただ中にいる。生き方を間違えると文明すらも崩壊するだろう。
# by antsuan | 2005-05-13 07:06 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(0)

古いキリスト教国家と古い儒教国家との付き合い方

 ショッキングな話を聞いた。欧州では中世を風呂に入らなかった時代とも云うそうだ。此れでローマ帝国には立派な風呂があったのにシャワーしか発達しなかった訳が理解出来た。香水が必要になる訳ですよね。キリスト教つまりバチカンが風呂は身体に良くないと宣伝したためと云う。また赤ちゃんを手足も動けなくするほど布でくるむ習慣もそんなに昔の事ではない。
 
 ま、天動説をつい最近まで否定してこなかった世界だから、それぐらいでショックを受けてはいけないのかも知れない。ただ、そう云う事がバカらしい事だと欧州社会が気付き始めた頃にアメリカ大陸への移民が始まった。そのため米国民は未だにキリスト教の古い部分を守り続けている実に奇妙な地域らしい。進化論を教えてはいけないなんて法律が戦後暫く経っても残っていた国なのだ。宇宙へ飛び出して天動説を否定したのにである。

 臓器移植は全く否定しない。そのくせ十字軍みたいなことを真面目にやっちゃうように、民主主義はあくまで国内に於いてであって国際的には立派な帝国主義を貫いているのも、そのような古い文明を引きずっているからと思えば、たしかに合点がゆく。

 米国が欧州とはまた違った異質の文明を持ち続けている事を知れば、仲良く付き合って行くにはそれほど難しい事ではないが、「時効」と云う概念を取り入れない、儒教文化のチャイナや韓国と付き合うのは、文明の違いを理解してもなかなか至難の業だろう。こういう社会はソビエトと同じでいずれ崩壊するに違いないが、地理的にあまりに近すぎてそのとばっちりを受ける事が心配だ。
# by antsuan | 2005-05-12 07:26 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(1)

自分史を検証する事をしてみよう

これは「江戸川土手を歩く」  ■歴史の共同研究なんて へのトラックバックです。

 昔読んだ「マッカーサーの日本」という新潮社の本のあとがきに、戦争、敗戦の激動の時代を生きた人たちは、自分史が余りにも劇的で激しかったために、広い目で自分が生きた時代を見つめることが出来なかったのではないかと記している。

 もう既に昭和の時代は歴史となった。いろいろな見方があるだろう。立場の違いによっても環境の違いによっても其の歴史の評価は大幅に違ってくる。しかし、後世に生きる者にとって其の時代の評価が、大事な道しるべとなる以上疎かにするべきではないと思う。

 戦争だけが歴史に刻まれると云っても過言ではないかもしれない。其れは時代の流れを変えたからに他ならず、どのように変わったかは誤魔化しようの無い事実として残る。しかし、其の評価は立場や時代によって逆転するのは世の常である。だからこそ評価するにあたって自分の立場を無視することは馬鹿げているのではないだろうか。

 先の大戦で云えば、戦いが終わった後に帝国国家が崩壊し、民主主義国家が数多く樹立した。白人支配が終焉し人種差別の時代が終わったのだ。其れが歴史的事実だ。此れに対する敗戦国日本の評価は戦勝国と違って当然である。自国のために歴史を評価するのは何処の国でも同じではないか。しかし、歴史的事実を歪曲して良いわけは無い。

 歴史研究は事実を検証するだけに留めておくべきだろう。本当に大虐殺をやったか。どっちが何人殺したか、そういう事実を研究すればよい。事実を歪曲して歴史を変えようとする行為はやはり止めさせるべきではないだろうか。
 
 しかし真実を言えないからこそ小説が書かれ物語が作られるのも、これまた歴史的真実なのだ。文明という大きな時代の流れの中には、あらゆる真実的歴史も埋没してしまうかも知れない。だが、其れを掘り返してみるのが歴史家であり哲学者なのだ。歴史的事実が歪曲される限り、人々は絶えず歴史の中にある真実を探求し続けることだろう。
# by antsuan | 2005-05-11 07:40 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)

私の本屋さん

 家の直ぐ近くの本屋さんが店を閉じた事を知った。最近は朝早くか夜遅くでないとその店の前を通らなかったので、バス通りに在っても全くそのことについて気がつかなかった。私がここ葉山に引っ越してきた時にもその店は既に在ったから、五十年以上も前からやっていた店だ。

 そう云えばその本屋さんの近くにコンビニの店が出来て、客の数はめっきり減っていたように感じていた。自分も文房具を買う時にはついついコンビニの方で買っていたので、よく頑張ってやっているなと思っていた。どうやら店のご主人が病気で亡くなったらしい。

 私の小さい頃を知っていた店だった。少年サンデーの創刊号を買ったのもその店だったし、小学校の色鉛筆や帳面を買い揃えたのもあの店だった。プレイボーイを他の本と一緒にこっそり買ったりもした。コンピューターの月刊誌もそこで取り寄せたし、毎年暮れに買い物に行くと必ずカレンダーをくれた。

 私の成長を見つめ続けてくれた本屋さん。今はもう無い。
# by antsuan | 2005-05-10 07:47 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

パソコンクラブの例会に出る

 こどもの日のバーベキューでビールを飲んだのがいけなかった。あっという間に一キロ太ってしまった。風呂に入る時に体重計に乗る事にしているが、希望体重よりいつも五キロ太っている。それなのにまた太ってしまった。ビールがおいしい季節になったが、また暫くは呑むのをよそう。
 
 昨日の日曜日にはコンピュータークラブの例会に出席してきた。久しぶりの人も出席して盛況だった。電車の中を「行きずりの共同体」と称するとしたら、こういう会合をどう表現したら良いのだろう。「仲間を求める集合作用」とでも表現したら良いのだろうか。しかし、コンピューターの集まりにも関わらず、この頃は若い人が集まらなくなってきた。そのクラブの性格に依るものか、若者がコンピューターそのものに興味を持たなくなってきたのか定かではない。

 コンピューターソフトにしてもあれば便利なのになぁと思うソフトは殆ど開発されていて、昔みたいに高くても買ってしまうような感動はなくなってしまった。ソフトがあるのが当たり前の時代になってしまったのだ。しかし、興味の有るソフトには関心を寄せるけれどもそうでないものにはまるっきり分からないものが多い。自分のパソコンに眠っている高機能のソフトをいつかは使いこなしたいと思って自然とクラブに足を運んでしまうのだ。

 そのうちにはテクニックの話ばかりではなくなって、そのソフトを使って出来た内容や作品そのものの素晴らしさや喜びに話題が移って行く。いつかはクラブの性格もテクニックの事よりもそれを使った中身の事が中心になっていくようになるだろう。そう云う発展は良い事だと思っている。
# by antsuan | 2005-05-09 08:09 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(2)

行政の為すべき仕事とは何かを考えよ(その二)

 前回、安全に対する軽視とか危機管理の甘さについて行政の姿勢を問うべきだと書いたが、もう少し此れについて補足しておきたい。

 危険に対する認識が大幅に欠けている。此れは行政であろうと企業であろうと個人であろうと全く同じことなのだが、行政は企業や個人を規制する立場である以上、最大限に危険の意味を理解しなくてはならない。

 話は少しずれるが、今回の福知山線の事故は、百二十キロの速度でも脱線しないように考えられている線路の造りであり車両の造りであったとするならば、不可抗力ではなかったか。その場合はいたずらに責任を追及するべきではなく、米国の航空機事故や医療事故に対する対応のように、教訓として活かす道へと進むべきだと考えるのだ。

 そこで、今回一番問題としたいのが、危険な事をやってはいけないのは当たり前なのだが、やってしまった時の対応についてである。前回のコメントで指摘したように、反乱を起こそうと企て軍事施設に進入した者に対しては、武力で鎮圧するのが危険を取り除く手段として当然な行為ではないか。何度でも言わせてもらうが、事故や事件が起きてしまった時の迅速な対応こそが行政の仕事なのである。

 話を元に戻そう。まず、危険を認識させる教育をするべきなのだ。自動車学校ではわざと事故を起こしてその後の危険を回避する訓練をするとか、小学校のプールでは溺れないための訓練をさせる等である。海上自衛隊では作業服を着たまま泳ぐ訓練があるが、はっきり言って五十メートルなど泳げなくて溺れそうになる。体力を消耗しないようにゆっくり泳ぐ方法を身に付ける訓練である。こういう事はもっと子供の基礎教育に入れるべきなのだ。此れについては、日本放送協会が英国でそれをやっている事を放送してから、取り入れている学校があると聞いている。教室で此れは危ないですから止めましょうと教えても意味がない。これ以上は危険だと感じさせる教育方針に変える必要があると思う。

 企業では現場での失敗を活かす事が望まれる。汗水垂らした者、失敗の経験をした者の意見の方が、机上で考えた意見より遙かに役に立つ事はよく言われている事なのに、汗水垂らした事の無い者が上に立つとこの失敗をしてしまうようだ。行政のあり方も実はここに帰すると思う。

 机上論で危機管理をするべきではない。此れがわずかな自衛隊生活で学んだ価値ある教訓だと思っている。
 
# by antsuan | 2005-05-08 08:15 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

行政の為すべき仕事とは何かを考えよ

 JR西日本、福知山線の事故は企業の組織としての問題点をさらけ出した格好になったが、政府系企業として元々組織が大きく体質改善をするのは難しい面も合ったのだろう。社長は責任を一身に受け止めて必死に対応していると思う。その点においては何処かの私鉄のオーナーと全然違っていて評価すべきだ。遺族関係者が感情的になるのはわかるが、他の第三者がそれに便乗して非難することは避けるべきである。

 安全という言葉を一番軽視しているのは企業ではなく国家なのだ。阪神淡路大震災の時の政府の対応の酷さをもう一度思い浮かべる絶好の良い機会であると思う。あの震災において、近くの自衛隊が命令が出ないために出動しなかったことは今でも語り草になっているが、これとて先の津波で有名になった昔の稲むらの火の教訓は何処にも活かされていないことが分かるだろう。毎年九月一日にやっている防災訓練が全く無意味だったことの責任を誰がとっただろうか。国家が安全に対して責任をとらないとどうなるか、其の見本が今回の事件ではないだろうか。

 表には出ていないが、公的組織が安全を軽視している事例には事欠かない。医療機関においても民間であれば、経営上安全に対する配慮についてはある程度線引きをせざるを得ないのだが、阪神淡路大震災の後に建てられたある公立大学病院について云うと、ものすごく立派でデカイ非常用発電装置が付いているそうだ。しかし其の発電室は地下三階にあり、傍には川が流れている。しかも財政上の理由でこの発電設備の燃料は二時間しか持たないと云われている。災害時の拠点病院である施設の発電能力がたった二時間とは!!さらに川が決壊したら地下三階は水浸しになることは誰の目にも明らかだ。まだまだある。この建物の照明器具や備品は殆ど特注品で出来ていて規格品のものは殆ど無いらしい。つまり、災害で壊れたりしてもスグには備品を取り寄せ出来ないということなのだ。戦艦大和の間違いを繰り返しているとしか言い様がない建物なのだ。

 おまけにこういう話もある。其の大学病院に併設された看護学校で急患が出て救急車を呼んだ。ところが、そこには大学病院から講師として現役の医師がいたのである。其のことに気が付かない学校関係者の対応も問題なのだが、更には駆けつけた救急隊がどうしたかというと、隣の建物が大学病院であるにも関わらず、規定通り救急車に患者を乗せ、目の前の道路が一方通行であったがために、次の交差点まで行ってぐるっと回ってきてから病院へ患者を収容したのである。危機管理の最前線にいる救急隊の規定からしてこうなのだ。事故が起こったら笑い事では済まされないことばかりだ。
 
 もう一つ、今から三十年以上も前のことだから改善されていると思うが、海上自衛隊の落水者救助訓練の実態を披露しよう。私の乗っていた艦は司令官の乗っている旗艦だったので規定通りの救助訓練をやっていた。其の規定が振るっている。護衛艦の行き足が完全に止まってから救助用の小型船を下ろして助けに行くことになっている。艦船の行き足つまりスピードが完全に止まるまでどれだけ時間が掛かるかまるっきり分かっていない者が、落水者のことなど全然考えないで作った規則なのだ。
 
 どんな時にでも規則を守らないと罰せられるから平然とおかしなことをやる。今回の事故でも、非番のものが緊急であろうと出勤したら、労働基準法に照らして後で休暇を与えなければならない。総動員させた場合どうやって運休させずに職員に休暇を与えることが出来るというのだ。はっきり言って災害時に規則を守れということ自体が間違っている。
 
 もっとひどい事には、運輸大臣は新しい安全装置を付けた車両でないと運行再開を認めないと言っているらしい。何を戯けたことを!本当に悲しくなってくる。其れより市民の生活に影響が出ているのを回避するのが先ではないか。自衛隊を出動させて復旧を急ぎ、安全対策には運輸省の係官を運転室に同乗させればよい。直ぐに処置する事を危機管理というのだ。
 
 確かに今回の事故は人災であ。しかし、これまでの対応を見てみるとJR西日本を責めるよりも迅速に対応しない行政を責めるべきであろう。厳しい規制を作っても意味がないし其れは立法の問題である。行政は市民の安全ために素早く行動する責務がある。いつまでも異常事態を続けることが異常なのだ。右左あんつぁんとしてはマスコミがそこに視点をもって行かないことに疑念を感じる。
# by antsuan | 2005-05-07 00:44 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)

こどもの日の一日

 連休最後のこどもの日に五月人形の前で恒例の家族写真を撮った。デジカメで撮ったので早速パソコンに取り込む。当然の事だが去年の写真と比べて子供たちは成長し自分は年を取って髪が薄くなり白髪が増えた。パソコンですぐに見られるようになり便利になったが、その分子供たちのアルバムの写真が減ってしまった。それを整理しようとして昔の写真を見るとついつい懐かしくなってゆっくり眺めてしまい、ちっとも捗らない。しかし、その写真を暑中見舞いに使っているお陰で、久しぶりに人に合っても吃驚されないので心配ない。

 午後には庭でバーベキューをして楽しんだ。風は少し冷たかったけれど炭の火が心地よい。去年は子供の学校の友達と横浜の公園でやったが、今年は家族だけで気兼ねなく食べた。長男も中学三年生だから来年はもう家族全員が集まってこんなにのんびり食事をする事は無くなるかも知れない。しかし三男はまだ小学校に入ったばかりだ。暫くはこどもの日を家族で祝う事が出来る。

 夜に風呂へ入ろうとすると蜂がいた。何を間違って風呂場に紛れ込んだのだろう。ひょっとしたらそばに巣を作ったのかも知れない。恐る恐る入った。

 もう家族は寝息を立てている。静かにパソコンの前でキーを叩いている変わらぬ日々、此のありふれた家族の団欒の喜びを胸に抱いて床につくとしよう。
# by antsuan | 2005-05-06 00:03 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

ツバメがやって来た

 此の連休中は何処にも行かず船の上で子供たちと釣りをしていた。
あんまり釣れないので子供たちを帰してデッキの上でうたた寝をしたが、日差しが強いのと日ごろの疲れがたまっていたせいか、船酔いをしてしまった。体力が弱っているのをつくづく感じる。

 仕事場までバスを使うと四十五分、歩いても同じくらい。車では十五分。自転車でも同じくらい。通勤時間を利用して身体を鍛えるには自転車が一番いいのだが、背広を汚したくないとか荷物が有るとか、いろいろ自分に言い訳して実行していない。

 海岸までたった五分の所なのだがこのところ散歩していなかった。久しぶりで歩いてみるとこのわずかな道のりの風景でもいろいろ変わっている。とうとう最後まで残っていた第一勧業銀行の保養所も壊されマンションになるらしい。日動火災保険会社の保養施設も閉鎖されてしまった。嘗ては海岸のバス停までには服部時計店の敷地、三菱商事の寮、長期信用銀行の保養施設、松竹の社長の家、その他名前の知らない会社の施設などが並んであったが、総て壊されマンションか分譲地になってしまった。此の十年以内の事である。

 しかし、建て替えられたイタリアレストランの建物にはまたツバメが巣を作り始めた。緑はだいぶ少なくなったけれどもそれでも若葉がまぶしく感じる。昔から居ると住み辛くなってきているのだが、都会の人から見るとまだまだ天国に見えるのだろう。今日も朝から道が混んでいる。一時の憩いを求めてやって来る人たちのために、こちらはひっそりと家の中にいる事にしよう。
# by antsuan | 2005-05-05 09:20 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

夏の商戦、前倒し。


 コンピューターは夏の商戦の前倒しが始まって、此の連休中も新商品が続々と発売されている。もうCPUの性能は頭打ちになってきて、外部から取り込む画像や音声の便利さが売りになっているものが多い。昔からあったのだが、今や日本のパソコンはテレビチューナーが一体化してしまったかのようだ。それとインターネットを通じたテレビ電話用のマイクが付いている小さなカメラも安く売られている。
 先日も、友人の息子さん用パソコン選びを頼まれて店に行ったのだが、ノートパソコンでこんなのまで付いているのかと、その高性能に吃驚してしまった。初心者にはとても使いこなせないだろうと思ったが、逆にパソコンの能力を最初に認識するには使えるということだけでも大事だろう。
 更にパソコンは二極化してきて、二台目三台目ように安いパソコンがかなり出回ってきた。本体だけだったら五万円を切るものがゴロゴロある。パソコンを改造して性能をあげるより新品を買ってしまった方が安い時代になった。若者は既にそうしているかも知れないが、いよいよ使い捨ての時代だ。
 こうなってくると古いOSでしか動かない大きいマシンは邪魔になってくる。しかしそのマシンに入っている資料を移し替えなくてはならない。此れが結構大変なのだ。新しいマシンは欲しいが、古い資料は新しいマシンのソフトでは開けない事も多いにあるし、そのためにはソフトの買い替えも必要となってくる。悩ましい。
 古いソフトもそのまま使えるマシンというものもある。マックのOSである。古いOSのソフトでも動くように考えられた新しいOS。そのうちウインドウズマシンでも似たようなOSが発売されそうだ。
 と、くだらない事をぐだぐだと書いた理由は、そう新しいマシンが欲しくなったからなのだ。iMacG5が性能アップして新発売、うーーん、とっても魅力的。
# by antsuan | 2005-05-04 07:03 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

Yahoo!BBの親分

 孫正義、この名前を知らない人でもYahoo!BBを知らない人はいないでしょうと、笑って見せる彼は、今、日本で一番成功した人物として世界にも名を馳せている。事業家はこうでなくてはならないと思うほど大志と情熱を持った人だ。あの穏やかな写真の顔にも其れらしいものが垣間見える。
 在日韓国人三世の彼が、十代の時にマイクロコンピューターのチップを見て身震いしたそうだが、そこに無限の夢が込められていることを知っていたからだろう。大志を持っていればマイクロチップの石が宝石に見えて当然だ。しかし、其の彼が石そのものに執着せず情報(ソフト)の方に情熱を注いだことが、他の人には真似の出来ないことではなかったか。

 初めはコンピューターソフトを作り、其の次にコンピューター関連の雑誌を売り、それからソフトの代理店を始めているのだが、最初から情報を得る商売をすることを目指していたようである。その辺が日本のお家芸の技術屋さんと違ったところではないか。

 米国で学位を取ったほどの彼だったら、日本で活躍するよりもアメリカの方がもっと才能を延ばせたのではないかと思うが、人種差別が暗に見え隠れしている米国よりは日本の水の方が合っていたのであろう。銀行や証券会社を含む大複合企業体の経営者として、今や、トヨタや松下電器、ソニー等の日本の一流企業の社長よりも実力と風格を備えた人物となった。彼と比べると総理大臣なんてものすごく小っちゃく見えてしまう。

 彼のような新しい時代にふさわしい人物が育って行く日本はまだまだ捨てたもんではないなと思うのだが、韓国の人も孫さんの日本での活躍を見て、もう少し冷静になれないのだろうかと余計なことも考えてしまうのだ。
# by antsuan | 2005-05-03 07:18 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(0)

旅行シーズンなんて誰が作ったの

 いよいよ始まりましたゴールデンウィーク。不景気だ、お金がないと云いながらも皆さん、今度は何処に行こうかと計画を立てて旅行しているようですね。わが家も子供がどこかへ連れて行けと言っておりますが、混んでいる時に行ってどうすると知らん顔をしております。

 しかし何時ごろからなんでしょうね。庶民が観光旅行なんてものを出来るようになったのは。やっぱり世の中が平和でないと出来ませんから日本では江戸時代からでしょう。お伊勢参りが一番の観光旅行だったようですね。大名の参勤交代は別として、雲助とか山賊とか多少危険な輩は居たのでしょうが、関所もあり結構治安は良かったようです。

 諸外国では何時ごろから何でしょうか。バカンスとかハネムーンなんていう旅行の習慣があったところを見るとだいぶ古そうですが、何時ごろからでしょうね。もともと大陸で陸続きな分けで道路も整備されていたようですし、キリスト教が欧州全体に行き渡った頃には庶民もあちこちに行っていたのではないかと思います。音楽を習いにドイツからイタリアへとか、もちろん交易目的の旅行は頻繁に行なわれていたはずですから、観光地なんてところもとっくにあったような気がするのですが、その辺がよく分かりません。

 一説に依ると、近年までつまりフランス革命が終了するまでは旅行は冒険であったといわれています。知らない土地へ護衛なしで行こうものならば、直ぐに略奪され身ぐるみはがされて殺されるのが落ちだったとか。言葉の通じない所へ行くのは決死の覚悟がいったそうです。よく考えれば、第一次大戦が始まるまでの欧州はその領地の貴族が日本の大名みたいに幅を利かせていて、国という単位が出来ていたとしても決して安定した安全が約束されていた訳ではなかったようです。つまりは、産業革命によって鉄道があちこちに繋がるようになってから観光旅行が一般的になったという事でしょうか。

 それが今では観光が唯一の産業なんていう国があるし、旅行に駆り立てる時代になってしまいましたなー。
# by antsuan | 2005-05-02 05:57 | 身の回り・思い出 | Trackback(1) | Comments(0)

昭和初期の右左的時代考証

戦前の日本の自由について

 戦前の日本については、東京裁判という勝者からの徹底的な歴史わい曲を強制されて来たがために、今の日本人においても暗い抑圧的イメージで戦前の社会を想像しているところがあると思う。確かにそういう事例は少なくはなかったが、国全体としてみた場合に、果たして"其の当時の諸外国"に比べて見劣りしていたのだろうか。

 私ははっきり言いたい。否と。

 「当時の諸外国に比べて」と言う前提条件で判断した場合には、戦前の日本ほど自由で民主的な国はなかったと断言したい。
 
 まずもって人種差別が無かったことを上げよう。帝国植民地主義の欧米諸国は酷い人種差別をしていたことは誰しも知っていることだと思う。日本では朝鮮人でも台湾人であっても参政権があったのだ。しかもハングル文字での選挙まで認められていたのである。ただし内地(台湾、朝鮮を除く日本本土のこと)と云う条件付きだが。これも内地以外の日本人は選挙権が無かったことを考えれば、地域差別はあっても人種差別ではなかったことははっきりしている。

 次に思想の弾圧だが、共産主義者は投獄されたが裁判で死刑になった者はいないそうだ。赤紙一枚で戦地に行かされる者より、遥かにマシな待遇を受けていたとある党員は証言している。当時の共産党は破壊的政府転覆を是とし、オーム真理教と同じだったと考えても差し支えない。また、国会においては軍国主義一色であっても戦争反対を論じる議員もいたのである。
 
 確かに経済的には貧しかった。しかし此れは、逆に言えば植民地からの搾取を行わなかった証拠なのだ。満州国においても現地人を虐殺、略奪したわけでなく、馬賊が横行している無政府状態を安定化させた功績の方が大きい。台湾、朝鮮では社会的基盤整備を充実させたことは周知の事実である。
 
 ハワイ王国を米国は武力で併合したが、日本は朝鮮を帝国国家として独立させているのだ。併合はその後の出来事なのである。
 
 ところで、普通だったら戦争に負ければ国土はもちろん人権までもが略奪、蹂躙されるのが当たり前のことだったが、太平洋戦争ではそうならなかったのは、日本が大東亜共栄圏という、アジア地域における自由と民主主義の確立を唱え、表明したことと無縁ではない。不思議なことに東京裁判では石原莞爾という満州国設立の首謀者である軍人を戦犯として逮捕しなかった。其の理由は、陸軍きっての哲学的理論家で大東亜共栄主義者であったがために、連合軍が東京裁判で証言されるのを恐れたためと云われている。此れからも分かるように連合軍は植民地主義という後ろめたさを認識し、日本はそれに対し武力以外では反論できる道筋を立派に歩んで来ていたのである。
 
 更に、軍部の台頭というのも民主主義に因るものであり、帝国主義的な天皇の権力に因るものではない。天皇の強権が発動されたのは終戦の時だけであった。先に述べたように普通選挙は行われ朝鮮人が立候補し当選までしている。絶対的排日移民法を制定した米国の映画でさえ上映され、クラーク・ゲーブルや、ゲーリー・クーパーは日本女性を魅了していたのだ。外国雑誌だって自由に読めたし、江戸川乱歩のような廃退的な小説も発売禁止にはならなかった。天皇を批判すること以外、信仰の自由も保証されていた。義務教育制度は勿論、高等教育においても台湾人であろうと朝鮮人であろうと差別なく施行されていた。米国の黒人や英国領であったインド人を考えてみるが良い。こんな国が当時他にあっただろうか。
 
 連合国はこの自由で民主的国家を潰したがために、自らはそれ以上の民主国家であることを表明しなければならなくなった。ここに帝国主義は崩壊し、世界は民主主義に変わって行ったのである。

 「当時の諸外国に比べて」日本は最先端を行く自由で民主的国家だったのではないかと思う。昭和の日にちなんで、昭和初期の時代をじっくり考えてみようではないか。
# by antsuan | 2005-05-01 07:36 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(5) | Comments(0)

車の無い写真から

 今日はみどりの日、いや、昭和の日で湘南の海は行楽客でにぎわっていた。ヨットは余り出ていなかったけれどもウインドサーフィンがアメンボーのように海岸付近を行ったり来たりしていた。海には少し靄がかかって富士山はおろか江ノ島も見えない。海は何の変哲もないが、気象によって景色は大きく違って見える。そう云えば、江戸川土手を歩くの気象の時間の写真を拝見して、二通りの思い出で感慨にふける事があった。

 一つは、幼少時代の福島の風景を思い出した事である。福島市の中心部を流れる阿武隈川の河原の風景も四季折々に内陸地特有の気象変化があって懐かしく思い出される。此れはどうやら自動車が写っていないせいもあるようだ。自分の小さい頃は福島市内でも乗用車は殆ど見かけず、エンコして乗客が降りて後ろから押すのを手伝ったりしていた貧弱なバスか、オート三輪車ぐらいだった。そんな訳で車の無い道路を見るだけで簡単に昔に戻れるのかも知れない。

 もう一つは停泊中の船からの眺めに似ている事。朝日夕日は、停泊中の船上から見る眺めも中々おつなものがあるのだ。日が落ちて夜の団らんの家々に明かりの灯る頃も、音の聞こえないテレビのような、うまく表現出来ないけれども、何かほっとする眺めで時が止まった気がする。白い闇の静けさ、自分が別の時空に行ってしまうかのような錯覚を起こしてしまう朝霧は厳かな恐怖である。

 違う所と云えば、雨だろうか、海の上の雨は雨粒が大きくどちらかと云うと雨らしい雨なのだ。しかし、これは場所によっても違うかも知れない。残念ながら東北や日本海側の海は航行した事が無いので分からない。いずれにしても四季折々と云うよりも日々によって刻々と変わる景色、その素晴らしさは自動車社会の喧騒から離れた場所だから言えるのだろう。
# by antsuan | 2005-04-30 07:46 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

日本のプロ野球だって面白い

 日本のプロ野球が始まってセ・リーグはジャイアン君が最下位になっている。また、パ・リーグでは新球団のうちゴールデンイーグルスが順当に負けている!? 結構面白いじゃないですか。弱ければ弱いほど応援したくなるのが人情と云うものです。

 選手ではあの選手会長でライオンズオーナーの仮面を引きはがした、スワローズの古田捕手が大学卒業した選手としては初の二千本安打を打ったそうで、こちらはお目出度い事です。アレッ、長嶋茂雄は二千本安打を達成していなかったんでしょうか。確か長嶋さんは立教大学を卒業して二千本安打を達成していますよね。山本浩二だって確か・・。記事の読み間違えかも知りません。此れはあとで調べる事にします。此の古田捕手が、理想の上司の人気ナンバーワンになったと云う記事も読みました。分かりますよね。あの野球ファンの事を全然考えないオーナーどもを相手にして、堂々と選手の代表を務めたのですから。私だったら国民栄誉賞をあげちゃいますね。

 ところが、こういう良い選手がいるのに日本放送協会は外国に行っちまった選手の追っかけで大リーグの放送何ぞをやっている。かなりの放送権料をアメリカ大リーグに払っているんでしょうね。しかしですぞ、公共放送をうたい文句にするならば、国内のプロ野球をまんべんなく放送する方が先だと思うのですがね。人気選手の追っかけは民放に任せて、新たなスター選手を見付けるような放送をやってもらいたいものです。
# by antsuan | 2005-04-29 06:05 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)