あんつぁんの風の吹くまま

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平穏無事な夏の一日

 警察本部からこんなのが届きましたが、特に問題があるわけではなく、平穏無事な一日でした。
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 この封書は、駐車違反に対しての異議申し立てだったのですが、簡単に却下されてしまいました。ま、こんなものだということは想像がついていたので、別に怒りもありません。

 この頃の天気予報は外れていて、週末の土曜日の今日は晴れて、相変わらず行楽客で交通が渋滞していました。
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 港に行ってみると、愛艇は鳥たちの食卓の場と化していました。そして、食べ残しの飛び魚が干からびていました。
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 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]
by antsuan | 2012-06-30 22:59 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Comments(2)

かくしてコミンテルンの陰謀は成就した

 野田政権は、旧ソビエト連邦が送り込んだ、コミンテルンの残党だったに違いありません。

 国民を騙して政権をとり、国民を騙して税金をむしり取り、国家予算を社会主義国を含む国外にばらまき、国土を放射能で汚染させ、国民の生命と財産の安全に対する責務を完全に放棄しました。

 これを国家転覆といわずにおかれましょうか。

 防共のために満州国を設立した石原莞爾は正しかったのです。彼が戦犯で逮捕されなかったのは、コミンテルンの暗躍を明確に説明出来た人物だったからなのです。

 日支紛争はコミンテルンの謀略だとわかっていたからこそ、石原莞爾は深入りすることに反対したのですが、手柄を焦る将校らはそれに気付かず、石原莞爾を陸軍の中枢から遠ざけてしまいました。

 翻って、二十一世紀の今日、民主党が国際共産党(コミンテルン)の手先であったことに気付かず、政権を委ねた日本国民は、石原莞爾を追い出した、陸軍将校とおんなじ間違いを犯してしまったといえましょう。



  過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ
by antsuan | 2012-06-27 08:39 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)

母が生まれたのは大正十二年

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 祖父の写真がいっぱい詰まった箱から出てきた母の写真。多分、お見合い写真ではないかと思うのですが、母は養女になっていましたので、家を守るために、夫となる人がどんなにいやでも離婚出来ない運命にありました。

 その母が生まれたのは関東大震災の年です。ご覧のように東京は見るも無残な姿になっていました。東京という街は、近年だけでも何度も災害にあっているのです。

 その事実を、いまの人々は、わざと思い出さないようにしているような気がしてなりません。しかし、政治家に限っていえば、そのことを考慮に入れないで政治を操っていては、危険を回避しようとしないその罪は重いと思います。
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[ あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい ]
by antsuan | 2012-06-24 22:40 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(8)

今度も負け戦だったな 勝ったのは儂たちじゃない あの百姓たちだ

 「今度も負け戦だったな 勝ったのは儂たちじゃない あの百姓たちだ」 このせりふは、言わずと知れた「七人の侍」の最後の場面で、志村喬が演じた主人公の侍がいった言葉です。

 今回の、紙おむつ不法投棄容疑で現行犯逮捕された事件は、新聞やテレビで大々的に報道されましたが、結局、「起訴猶予」ということで一件落着をみました。

 実質的にこちらの勝利と思っていますが、それはそれ、冒頭のせりふのように、負け戦だったのです。

 暴力装置を有する権力に対抗するには、実力行使も避けられないと考えています。それがデモなのです。しかし、デモの行為者が勝つことはまずありません。それで良いのです。デモをする目的は自分が勝つためなんかじゃありませんから。






  過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ
by antsuan | 2012-06-23 07:10 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)

ケーキは小さくなったが、声は大きく

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 昨日は、六十二回目の、この世に産んでくれた母に感謝する日でした。今年は長男と次男が戻ってきていませんので、ケーキもかなり小さめです。

 しかし、そんな贅沢はいうべきではないでしょう。珍しく六月にやって来た韋駄天台風で大変な被害を被った人々や、東日本大震災の爪痕で今なお避難生活を強いられている人々、更には、福島原発事故の放射能汚染の恐怖に曝されている多くの国民を思えば、理想的幸せというものです。

 ついでといってはちょっと変なのですが、今日は横浜検察庁横須賀支部の検事さんのところへ行ってきます。どうやら、逗子警察署のあの方が気を利かせて報告書をまとめてくれたようなのです。

 依頼した弁護士によると、あの検事さんも、長引かせるつもりはないといっているようなので、今日で解決すると思っています。

 しかし、事件が解決しても日本の政治が腐敗しているかぎり、日常的な生活に戻るつもりはありません。棺桶に足を突っ込もうと、蓋を閉められようと、これから日本で生きて行く人々のために、声をあげ続けていくつもりです。





[ あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい ]
by antsuan | 2012-06-22 06:23 | 身の回り・思い出 | Comments(12)

欧米人のために作った「日本史入門」があった

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 新渡戸稲造の「武士道」もそうですが、この原勝郎の「日本史入門」も英文で書かれた本です。そして残念ながら日本語には訳されていないようです。

 この歴史通という本は、かなり右がかって、読みたくないと抵抗を示す方々も多いと思いますが、近代史に興味のある方には、是非、渡部昇一の「マクニールからハンティトンまで世界史の読みかた」を、一読されることをお勧め致します。

 はっきり云えば、近代の世界史を変えたのは日本であり、それは紛れもなく誤魔化しようの無い事実なのです。





  過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ
by antsuan | 2012-06-21 12:30 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)

現代文明の発達しているところには女神崇拝が存在している

 六十をとっくに過ぎても、女性の繊細なところがちっとも分かっていないことに、時々気付くことがあります。しかし、逆に言えば、島崎藤村が年老いてから「初恋」の詩を書いたように、女性に対する純粋さを失っていないのだと思います。

 また、女性の美しさは女心だと以前に書いたことがありますが、その本物の美しさを理解出来るようになるには、やはり男も相当の年月を要するのです。

 仏教哲学者の鈴木大拙は、「霊性の自覚」を仏教に見いだしていますが、その根源はといえば、暗黒の世界(光の無い宇宙)であり、カオスであり、そして子宮であると、述べているように思えます。

 わたしも同じ思いを持っていて、霊が最初に宿るところは女性の子宮であり、故里は霊がこの地に出てきた場所として神聖なところなのだと思っています。

 これは、あくまで仏教的神道的思想によるものだと思うのですが、それゆえ、男にとって、女性はみな女神なのであります。

 そして、文明の発達しているところには、必ずといっていいほど、女神崇拝が存在しているのです。


[祈りとは自然との対話のこと 
 こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる]

by antsuan | 2012-06-19 17:15 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(14)

早くも夏バテしてしまいました。

 土曜日は、三男の野球の応援に朝早く出かけたのですが、生憎、雨で中止になり、かえって疲れてしまいました。

 日曜日は次男のバイクの修理の手伝いやら、これまたいろいろと雑用があって、朝方までの雨は上がったものの、日本の夏の蒸し風呂状態。冷たいものを飲み過ぎたせいもあって、完全にバテてしまいました。


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 ところで、新型のMacBook Airを手に入れました。これでようやくiCloudに対応出来ます。また、家では子供たちにMacBook Proを使われていたので、これで暑いパソコンの部屋まで行かずに、涼みながらインターネット三昧を楽しむことが出来ます。


 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]
by antsuan | 2012-06-18 19:00 | 身の回り・思い出 | Comments(4)

新しい時代の 新しい日本の夢を 描こうじゃありませんか

 日本は、刑事裁判で起訴されたら九十九パーセントが有罪となる、異常な国家でした。しかし、小沢一郎の陸山会事件など誰が見ても検察の横暴とわかる、司法の腐敗をまざまざと見せつけられて、道徳観を失わない市民たちは、自由が消滅するかも知れないという危機感を募らせました。

 さらに、それを監視する役目であるはずの報道界も、完全に腐敗しきっていることが分かり、良識ある報道関係者の勇気ある者が、新しい形の報道体系を日本に作り上げました。それが、既存の報道体系と完全に分離された、日本におけるインターネットメディアです。わたしはそれを草の根報道社会と呼ぶことにしています。

 もちろん市民の一人ひとりは、ケイタイメールやブログ、ツイッターなどを使って自由に情報交換を行なっているのですが、それは結局二チャンネルの発展形であり、掲示板的な要素が主で、報道というにはまだまだ未熟なのです。

 しかし、政界や報道界、法曹界に身を置いていた人々が、次々と立ち上がり、ブログやツイッターなどをとおして、今迄のマスメディアが隠していた真実を次々に暴露し始め、その検証を市民がじかに行ない、信頼性を確立していく方式が、ここに来てようやく完成したのでした。

 ですから、後の世の人々は平成二十三年を日本における自由な報道の元年とみなすことでしょう。

 日本は時代の分水嶺を昨年に遂に越えたのです。もう新しい時代は始まっているのです。今こそ、新しい時代の新しい日本の夢を描こうではありませんか。



 
[祈りとは自然との対話のこと 
 こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる]

by antsuan | 2012-06-17 05:45 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(2)

運命は皮肉なもの

 平成の年になって、何一つ良いところがないと、嘆いている昭和生まれの日本人は数多くいると思います。確かにそれは当たっていることでしょう。しかし、それだけ昭和の年代に、我々日本人はたくさんの蓄えをこしらえていたということでもあります。

 昭和三十九年の東京オリンピックが、日本にとって、一つの転機になったことは誰しも認めることでしょう。その東京オリンピックのヨット会場及び選手の宿泊施設として、味の素の支援を受けて、葉山マリーナは建設されました。

 ですから、葉山マリーナは最初からホテル付きのマリーナであり、デンギーヤードが整った施設だったのです。当然のこととして、大企業の社会人のヨットクラブも、ここを拠点して活動していました。逆の見方をすれば、この葉山マリーナに、たとえディンギーであろうとも、ヨットを置くことは格式のあることだったのです。

 この近くに住んでいたわたしは、前にも書きましたが、父のロータリークラブの伝手で、上手くここ葉山マリーナにシードという横山晃さん設計のディンギーを置くことが出来ました。新規でそこにデンギーを置くことが出来たのは、後にわたしが大変お世話になる鴫原さんとわたしだけでした。

 そのうちに、葉山マリーナのディンギー仲間が集まり、葉山ブルーアンカーディンギークラブというものを発足させました。レースや納涼パーティーなどいろいろな企画を立てたものです。その時に支援をして下さった、秋葉原に会社を持つ、クルーザーの伊藤さんという方がマッキントッシュをわたしに奨めて下さったのです。

 葉山マリーナに行く時は、大抵はバイクを使っていました。スズキのオフロードタイプのハスラー二五〇です。わたしのハスラーはテールランプを改造してあって、ベンツのトラックに使っていた丸形の真ん中が黄色のウィンカーランプになっているものでした。ですからオフロードというよりもラフロード仕様にしてあったのです。

 ところが、その葉山マリーナのバイク置き場に、気になるバイクが時々置いてあることがありました。それはホンダのバイクで、恐らく日本製では初めての集合マフラーを取り付けたバイクでした。

 しかし、乗り手は誰だかずーっと分かりませんでした。一度だけ途中ですれ違ったことがあり、どうやら女性が乗っているらしいことだけは分かりました。

 そのバイクはシーズンオフの季節でもよく見かけることがありました。ヨットはクルーザーならば、釣りをしたり、冬でもそこそこ楽しめますが、ディンギーはよっぽど海が好きなものでない限り乗りに来ません。わたしは地元ですので、天気が良ければ冬でも乗りに行っていました。

 そういう時にディンギーヤードにいるのは、シーホースという木製のディンギーを整備している人たちです。シーホースはわたしの艇とおんなじ、横山晃さんの設計の艇なのです。

 この艇をこのように認識して大事に乗っていた人はどれぐらいいたことでしょう。そんなに多くはないと思います。もし、そのことをわかっていたら、ニス塗りやオーニングの掛け方から違ってくるからです。

 しかし、日本航空のヨット部はこの値段の高いシーホースを入れ替えたりして、ほかの企業のヨット部よりもきちっと整備していました。そして、意外と女性のクルーが多かったのです。

 当時のわたしは三十を過ぎていましたが、まだ独身でした。当然、はつらつとした日航のヨット部の女性に目が行きます。その中でも凛々しくキビキビしている女性が気になってきました。ところが、相手の方はこっちの前を通り過ぎても、全くの知らんぷり。声のかけようもないくらい、すーっと通り過ぎて行ってしまうのです。

 ま、しかたのないことです。こちらはレース派ではなく、普通のディンギー乗りと違って、釣りを楽しんだり、強風の時に出かけたり、頭の髪の毛もその頃から薄くなってきていましたから、変人に思われて当然なのです。

 しかも、その女性は日焼けしてとても健康的でした。出来ればレースの終わった後のパーティーの時にでも話をしたかったのですが、レースの時は、大抵こちらはマッキントッシュを使ってレースの順位を計算したり、その結果を印刷したりしていて忙しく、そんなチャンスはありませんでした。

 となると、ますますシーズンオフに顔を合わせた時がチャンスだったのですが、会う度に「高嶺の花だよなぁ、俺にとっては」と、「老人と海」の漁師が釣り上げたカジキマグロに話しかけるように、つぶやくだけでした。

 あぁ、その女性があの集合マフラーのホンダのバイクに乗っていたことがわかっていたら、絶対にバイクのところで待ち伏せして話しかけていただろうに。

 運命とは本当に皮肉なものです。





 [ 分かち合うことが出来れば、悲しみは半分に、喜びは二倍になる ]
by antsuan | 2012-06-15 12:51 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Comments(8)