あんつぁんの風の吹くまま

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古い葉山と新しい葉山

 まわりの緑が濃くなってきた。一度刈った庭の草もまたあっという間に伸びてしまっている。そう云えば、何年か前までは家の前にある川には紫陽花がそこかしこに咲き誇っていたけれども、下水道工事で土手を整備してから全く姿を見なくなった。

 マンションが建ち並び、道路が拡張され店並みも洋風になって、葉山が葉山でなくなってきたように思う。住んでいる人々もだいぶ変わってきてしまった。葉山の生活が伝承されるのではなく、新しい生活環境が入り込んできている。時代の流れが速く感じるのは年をとった証拠だろう。

 私の結婚した当時も、既に"ばば抜き"新婚生活と云うのが当たり前になっていたけれども、八十をゆうに過ぎた祖母と脳腫瘍の手術をして障害のある母が居るわが家に来た、嫁さんの新婚当初は、タヌキが庭にいただけでキャー!雨戸にヤモリが張り付いているとキャー!風呂場にナメクジ、蟹や蛇など、家のまわりに野生の生き物がいっぱいいるので、田舎のこの葉山に慣れるまでは、逆に祖母や母が傍に居るのが心強かったようだ。

 そんな家内も、今では葉山に緑が少なくなったと嘆いている。時が経つのが早い。

   祖母の忌の 夏場所映す テレビ消す
by antsuan | 2006-05-31 20:02 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Comments(4)

来月は誕生日で酒が飲めるぞー

 君が代の替え歌が出てきたそうだ。君が代を意に反して歌わされる人の抵抗の歌として人気が出ているようだ。お好きなようにやりなさい。それが日本の民主主義でもあるし自由なところなのだから。しかし、どうして日本語ではなく英語なのか。君が代が嫌いな人は日本語も嫌なのか。日本人ではなく地球人でありたいと云っている人は何語を思考言語とするのか。そういうふうに考えて行くと、替え歌を歌う人は殆どが似非社会主義者ではないかと思う。

 今、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいる。やっと下巻に入った。もう一つ図書館から本を借りているのだが、とてもそれを読むまでになっていない。町立図書館までは歩いて五分。我が家はみんな図書カードを持っていて誰かしらの名前で借りている。公共施設をすぐに利用出来るのは、考えてみればこれはかなりの贅沢の部類に入るのではないだろうか。こういうのも一つの幸せと云っていいのだろう。

 君が代の替え歌を歌う人は日本史をどれだけ学んだのだろうと思う。きっとそういうことを学ぶ時間がなかったの何も知れない。私は何も知らないと云うことを知っていると言った人は誰だったっけ。やっぱりその人は偉い。

 あぁ、何とか月末を無事に過ごせる。来月の月末は分からない。零細企業経営者の宿命は何とかならないものか。今日はまだ火曜日、酒を飲んで仕事の悩みを忘れるしかない。こういう酒は美味しくないなぁ。
by antsuan | 2006-05-30 23:36 | 身の回り・思い出 | Comments(6)

日本の戦略、小泉は米国を手玉に取っている

 「何のために米軍は日本にいるのか」 誰しもがそのように考えたことが有るに違いない。一応、日米安保条約によって日本を守るために駐留しているのだけれども、自国を直接戦場にしないための戦略であることは殆ど公になっている事実だ。しかし、先の9.11同時多発テロによってその戦略が無意味だったことが明らかになった。

 無意味化した戦略に狼狽した軍部が、ネオコン政治家の意見を大幅に取り込んだのが今度のイラク戦争でもある。そして今、新たな戦略を構築し軍部を再編し出した。最早、前線基地が必要なくなったことは明白で、沖縄や韓国から米軍が撤退するのは時間の問題なのだ。

 しかし、お人好し日本は撤退費用を出すことにした。一兆円近いお金である。我が国民は無駄遣いだといきり立っているけれども、小泉総理は全く意に介していない。もともと小泉総理は米国の軍資金のために何十兆円とも云う巨額な米国債券を買ってやっている。はっきり云ってこの債券がただの紙くずになることは覚悟の上であろう。だから、当てにしていない債券の利息分もくれてやろうとしているのだ。

 こんな重要なタニマチを大事にしない訳は無い。米国は必ずや日本を戦火から防いでくれる筈である。こんなことを考えると、日本は米国政府に手玉に取られているように思うけれども、本当はそうでも無いような気がしてくるではないか。
by antsuan | 2006-05-29 17:56 | 政治・経済 | Comments(0)

前方後円墳の意味するもの

 今、日本の古代史に興味を持ち始めています。それは自分の住んでいる近くに前方後円墳が二基有ることが分かって、何か古代人が身近に思えてきたからです。日本の古代も神話の時代が有り、それが今に繋がっていると思うだけで気持ちがワクワクしてきます。

 蘇我馬子の時に仏教を取り入れ、前方後円墳を築く慣習が廃止されるのですが、その最後の時代の円墳と方墳は、天皇に近い氏の墓が方墳で他の豪族のものが円墳であることが、今年に入ってほぼ明らかになったようです。

 となると、ここからは勝手な想像ですが、方墳と円墳が一緒になった前方後円墳はすべての部族の合同による葬儀の証ではないかと思うのです。そして、いろいろな前方後円墳の形が一定でないのは、埋葬された人がけっして同じ部族同じ氏の人ではなかったことを意味しているのではないでしょうか。

 つまりこの前方後円墳の形は、日本に王族間の争いはあったにしろ、何処かの王族が他の王族を征服して統一国家を築いたのではなく、互いに和を結んで統一国家を築いた証ではないかと思うのです。そう考えると八百万の神の神話もすんなり受け入れることが出来ます。

 そしてよく云われる卑弥呼と邪馬台国の場所ですが、日本国内の大乱が治まって王族同士が和を結び、九州の高千穂辺りに居た卑弥呼の王族が都を近畿の大和に遷した或いは遷しつつあった時期に大陸から使者が来た為に、卑弥呼は大陸からの使者に会わず魏志倭人伝の記述が不正確になったと云う説がもっともらしく思えます。

 とにもかくにも、前方後円墳の意味するところは、違う神を祀る民族が一緒になって国家を築いたと云うことであるとすれば、平和共存の象徴にふさわしく、それこそ世界遺産として残すに相応しいものであると思います。
by antsuan | 2006-05-28 23:04 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(5)

キッシンジャーの本心

 昔から今に至るまで、米国が日本を対等の同盟国とは考えていないことは十分承知している。しかし、ロッキード疑獄が起きた時、政治の世界も節操がなくなったと嘆くと同時に、田中角栄政権が米国にとって邪魔な存在になったのだなと感じた。それを裏付ける記事 が昨日のエキサイトニュースに載っていた。それは、当時のキッシンジャー大統領補佐官が日中正常化交渉を「ジャップの裏切り者」と罵っていたと云う文書が公開され明らかになったという記事だった。

 キッシンジャーと云えばあのウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領の懐刀であった。彼は今のブッシュ政権を支えているネオコン軍団の元祖と云っていい。円を固定相場から変動相場へ無理やり移行させたドルショックを演出した張本人である。米国人は人の嫌がることを平気でするところがあるが、彼は政治の世界でもそう云うやり方を平然とやった教養の無い人間だ。ドル本位制放棄(ドルショック)の発表もわざわざ八月十五日を選んだ。また、共産政権のチャイナとの関係改善も"頭越し"であったし、最近では日本に核兵器を造らせないとチャイナに密約したらしい。

 しかし、そう云うやり方を続けて行けば、結局は日本国民の反感を買い友好関係を壊すことにそろそろ気が付くべきだろう。中曽根元首相も小泉首相もけっして米国を敵に回すことをしなかった。だから政権を維持することが出来たのだが、この両人が安保条約とのセットである日本国憲法の改正論者であることは何を意味しているのか、我が国民だけでなく米国民もはよくよく考えるべきだと思う。
by antsuan | 2006-05-27 12:26 | 政治・経済 | Comments(0)

前方後円墳の謎

 以前「春の淡雪」にも書きましたが、逗子と葉山の境に前方後円墳が二基確認されています。ところで前方後円墳を築く習わしは仏教伝来の頃に廃止されたのではないかと、今日の読売新聞の「蘇我氏を掘る」に載っていました。となると、この逗子・葉山の前方後円墳は三世紀から六世紀頃のものと云ってよさそうです。

 その古墳のある桜山と云う地名も相当昔からの名前のようですし、この三浦半島一帯もかなりの文化を持つ一族が支配していたところのようです。しかしその一族とは天照大神を神とする大和民族だったのでしょうか。どうも神道と前方後円墳の関係が分からないのですが、日本で初めての伽藍、飛鳥寺を建立した蘇我馬子や聖徳太子らが前方後円墳の廃止を決めたとなると、それは明治時代初頭における排仏毀釈の逆の大改革と云うことになりそうです。

 しかし別の見方をすると、天皇と仏教の関係は七世紀から続いていたわけですから、それを明治維新の時に何故わざわざ排仏毀釈までして切り離さなければならなかったのでしょう。古い歴史と新しい歴史、その歴史が繋がっている日本はやっぱり凄い文化の国なのだと思います。
by antsuan | 2006-05-26 19:54 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(6)

日本人による世界基準を

 今国会において、教育基本法が改正されようとしている。多い結構なことだと思う。別に中身が結構だと言っているわけではない。陳腐化した法律を後生大事に守っていて、その法律を無視するより改正したほうがましだと言っているのだ。アインシュタインの相対性理論によれば、運動(変化)しているのが自然な姿なのだ。とは云うものの、教育基本法は昔の教育勅語みたいなものであろうから、そうだとすれば、憲法に匹敵するぐらい重要な規則である。十分審議してもらいたい。

 昔から日本はダブルスタンダードの国だったという人がいる。神仏習合を成し遂げたのと同じように、聖徳太子の時代から憲法と武家諸法度のような道徳規範の二つの決まりが日本にはあって、現実には法律というのは他所の国のものを真似た形だけのものだったらしい。明治時代になっても帝国憲法よりも日本人の行動規範は「教育勅語」によって縛られていたといってよいようだ。そこに問題があって、占領軍のGHQはこの教育勅語を諸悪根源のように忌み嫌い、粉砕し抹殺するのである。

 ところが振り返ってみると、この二重基準のおかげで日本人は宗教的戒律とも違った文化人的な生き方をして来たのではないだろうか。野生動物と変わらない本能に赴くままの生き方を規制する法律は、高い伝統文化を築き上げた日本人には最早どうでも良かったのではあるまいか。幸いに、近隣諸外国の理不尽極まる態度を見て、野生動物的西洋文化による法律のいやらしさに気付き、日本の伝統文化を踏まえた規範が見直されつつある。

 ISO何とかだの、グローバルスタンダードだの、揚げ句の果ては世界遺産だの騒ぎ立てていたけれども、それがどうなのだと云いたい。日本人の生き方を世界基準にするぐらいの気概がなければ、まともな教育基本法など出来るわけがないと思っている。
by antsuan | 2006-05-25 16:39 | 文学・教育・科学・医療 | Comments(2)

「格差」というよりも「不公平」

 ここ数年、「勝ち組・負け組」「下流社会」などの言葉が流行している。そして、今度は「格差」という言葉が話題に上ってきた。

 しかし、ニートとかフリーターとか横文字の自由人が増えている現実は、人の生き方が多様になった証拠で何をもって格差が有ると云うのか曖昧だ。若い女の子などは所得が少なくても有給休暇をバンバンとって海外旅行などをして楽しんでいる。男の子だってそうだ、お金を貯めることに執着せず遊ぶことに忙しい。

 このような今の社会の現実を表すならば「格差」というよりも「不公平」という言い方の方が適切ではないかと思う。パートや自営業の人が一生懸命働いても報われない社会になってきている。これを「格差」と云う言葉で誤魔化してはいけない。「不公平」とはっきり云うべきなのだ。

 一昔前までは「能力主義」と云う言葉が流行った。これも誤った考え方で、これを徹底させた企業は業績が悪くなって立ち直れないでいる。長い目で見れば能力を発揮する人材がみんな辞めてしまったのだ。

 そのことから考えるに、「格差」と云う言葉が独り歩きしないようにしなければならない。「格差」つまり「不公平」が広がっているのは、公務員と民間人の間だけだと考えている。最近まで「同和」と云う言葉を悪用して社会主義者と称していた人間が甘い汁を吸っていた。同じように「格差」という言葉を悪用すると働かない似非社会主義者までも優遇してしまうことになりかねない。
by antsuan | 2006-05-24 19:37 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(4)

またまた海の神様に感謝

 一昨日の日曜日はちょっと風が強かったのですが、子供のために釣りに出かけました。知り合いの人によく出会ったのは日曜日に晴れたのが久しぶりだったからでしょう。息子が誘った友人は釣りざおを新調しておまけにでっかいクーラーボックスまで持って来ました。これではキスの二三匹でお茶を濁すわけには行きません。また沢山の釣りボートが出ていましたので、海岸近くを避けてちょっと沖の岩場の方へと船を進めました。

 前日までの大風の名残で海は濁りうねりも結構ありましたが、子供たちは元気で船酔いもせず釣りを始めました。息子の友人は早々とベラを釣り上げ、まずは一安心。しかし釣れるのはそのベラばかり。おまけに口うるさい次男が全くの坊主でぼやくこと頻りです。
 
 そこでうねりも風もおさまらないこともあって釣り場を変えることにしました。しかし、いつもそうなのですが、水深二十メートル近くに下ろした錨を引き上げるのが大変なのです。覚悟を決めて大人二目がかりで引き上げ始めました。流石、二人がかりだと結構楽に上がってくると思いきや、上げてみてびっくり。なんと錨の爪の部分が無くなっているのです。
 
 あーぁ、またやってしまいました。これで錨を何個落っことしてしまったことでしょう。三つではおさまりません。前にも書いたことがありますが、この海にはいろんなものを落としているのです。よく風に流されて岩場に乗り上げなかったものです。残った棒の部分と鎖でかろうじて止まっていたのでしょう。この幸運にまたまた海の神様に感謝です。
by antsuan | 2006-05-23 08:54 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Comments(2)

名刺と名札

 エキサイトブログにネームカードを付けられるようになった。多分に商業的でこちらの素性やら情報をプロバイダーが収集するために使っていると思われるのだが、このブログというものは本人の自己紹介が明確でないと云うこともあって、改めてこう云うものもあっても良いかななんて思っている。しかし、政治家や芸能人でもないので赤裸々に自分がばれてしまうのも少々抵抗がある。また、よいイメージを持ってコメントを下さる方に恥ずかしい気もする。

 ちょっと話が変わるのだが、名刺ではなく本人の胸に付ける名札が、この頃仕事をする上では一般的になってきたけれども、あの首にぶら下げるIDカードにはいまいち馴染めない。最近はカッコ付けみたいに外でもひけらかして歩くのを見かけるがどうだろうか。また、ああいうのを持ち歩かないと身元が保証されないと云う職場にもかなり抵抗がある。そのうち、生体認証の方法がもう少しスマートになって、近づくか触れば本人と確認出来る手段が普及して、あのぶらぶらカードが無くなることを期待している。
 
 しかし、個人の情報だけが怪しげに独り歩きしてしまうこの時代に、"生体"認証なんて手段を利用するよりも、ブログで自分の"正体"をバレバレにしておいた方がいいのかも知れない。やっぱりあんまり良い世の中じゃないなぁー。
by antsuan | 2006-05-22 12:09 | 情報通信・パソコン | Comments(2)