あんつぁんの風の吹くまま

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葉山の夕焼け

 平成十七年大晦日
   森戸神社からの夕焼け
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by antsuan | 2005-12-31 20:42 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

来年に向けて考える

 今年も押し迫ってきました。自分自身の大きな出来事を振り返ってみると、まずは恙なく健康で家族と過ごせた事に感謝したいと思います。ありふれてはいますが平和を噛みしめた一年だったと思います。次に、このブログを始めて今まで心の中に納めておいたものを思いっきり掃き出し、気持ちの整理を着けられた事です。その他は重大事件と言う訳でもありませんが、家族旅行をかねて新潟でJ1リークのサッカーの試合を観た事。秋田の田舎へ三男を連れて墓参りをした事です。

 平成もいつの間にか十八年目を迎えようとしています。今年は日露戦争の日本海海戦百周年と云う節目であったので、祖先の偉業を振り返る良い機会になりました。そして敗戦後六十年目の節目でもあり、戦後の社会を見つめ直す機運も盛り上がりました。さらに総選挙が実施され、財政不安が大きく影を落としていますが、民意が反映されて、来年はいよいよ停滞から脱却して新たなる前進へ一歩を踏み出す一年になるのではないかと期待されます。

 国際社会においては、今年は不安定要因がますます増加し、新しい正義を模索しているかのようです。しかし、我が国は国際的には平和の国として大きく評価されています。我々が考えている以上に世界平和への牽引役としての期待がかけられているのです。出しゃばり過ぎないようにその平和への牽引役を担って行くのは決して容易な事ではありませんが、やらなければならないと思います。

 これからの人間社会は一人勝ちをしてはいけないのです。八百万の神が共存する国、将棋文化の国、自然を畏れ怨霊を鎮める国、日本は祖先がそれこそ捨て石になって築いてきたこの共存への道を、今こそ世界に向けて切り開いて行く時ではないかと考えます。
by antsuan | 2005-12-30 16:25 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

 悲しき外務省

 日本の外務省ほど戦前の古い体質を残している官僚組織はないのではないか。そう思える事件がまた明らかになりました。上海の総領事館員が昨年に領事館内において自殺していた事が三流新聞にすっぱ抜かれたのです。それもチャイナの情報機関の美人局にあって国家機密を強要された事が原因であると云う、外交上無視出来ない事情によるものであったと云う事です。

 総領事館内における公務員の自殺は秘密にしてはいけない出来事です。しかもこの事に関して外務省が正式に抗議したのであれば、なおさら国民に明らかにするべき重要な事件です。自殺した事も抗議した事も国民に明らかにしていない。このような体質の官僚組織は即刻廃止するべきです。

 外交官などと云う存在は帝国時代の遺物です。今は貿易担当官で十分役目を果たす事が出来ます。しかし本当に日本の外務省は腐り切っている。官僚腐敗記念日でも述べたように真実を明らかにしない組織は国民を地獄に導く使者です。

 どんなに優秀な人の集まりであっても、能力があっても、国民のために努力しないものは公務員である資格がないのです。
by antsuan | 2005-12-28 18:56 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

地域医療を忘れていませんか

 もうじき新年を迎える。しかし、この一年を振り返ってみてもいろいろな事件や事故があって多くの方が亡くなっている。悲しい事だが冥福を祈るのみだ。

 床の上で死ねるという事はやはり幸せの部類なのだと思う。これが当たり前だと日本人の多くは思っているようだが、それが当たり前でなかった時代が日本でもホンのちょっと前まであったのだ。そして更に核家族化が進んで、親族に看取られて亡くなる場所も家から病院へと代わってきた。

 御上は在宅医療を盛んに推奨するけれどもこの魂胆は見え透いていて、はっきり言えば、死んで行く者には医療費など払わないつもりなのだ。

 そのせいか、このところ本当の地域医療をする医療機関も少なくなってきた。在宅医療を掲げる開業医も本当の地域医療をやっていない。本当の地域医療というのは最後の最後まで看取る医療の事を云うのだ。そんな医者がどれぐらい居るのだろうか。臨終に立ち会う事を厭わない医者は本当に少なくなった。医療機関を経営する者として悲しみよりも怒りさえ覚える。

 安らかに死を迎えさせる事も医者の役目なはずなのに、そういう医者や医療機関を尊敬するどころか軽蔑する世の中なのだ。間違っていると思う。しかし、どんなに軽蔑されようとそういう本当の地域医療をやっていきたい。そういう仕事に誇りを持っている。
by antsuan | 2005-12-27 17:46 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)

第三の「母のフットプリント」(その二)


  小茜娘雑記(華やかなひと)-2

 その昔、同じ学校のコーラス部で教わった”第九”や”アベ・ベルム”を耳元で歌うと、”よく覚えているわね”と微笑する。長い間、重度の脳性マヒの子供や大人の人たちと関わりを持ってきた私ではあるけれど、あの華やかだった姉がこのようになるとは信じられないことであった。”着物が沢山欲しい!おいしいソーセージが沢山食べたい!”と戦後の便りの中に書いてあったのがつい最近見つかった時、あぁ欲しいだけ着物も持ったし、食べたいだけおいしいものを食べてしまったのだろうか・・と妙な納得をして姉の姿を見た。

 静かにしずかにこの世を去っていくのだろうか。苦しみもなく、痛みもなく・・そして元気な時は気にしていたシワもシミも消えて、唯々細い折れそうな身体を横たえている姉は”来世でも又姉妹でいてね、忘れないでね”という私に”どうも有り難う、忘れるものですか”と答えてくれた。出来ることなら姉の魂が肉体を離れる時は手を握っていたいと強く思う。時間的に離れた場所に住んでいる私だけれど、何時でも行けるように付き添いさんに電話番号を書いて頼んで来た。生死は大いなる者の司る事だけれど、願わくば母の時のように見守りたい。この世を去るよりも残される者の方が寂しくて辛いものだと思うのは姉妹の中で私だけのように思える。肉体を離れた魂の自由を何故か昔から疑った事がなかった。あの故郷の自然の中にきらめくように感じるように美しい魂の数々を私は確かなものとして感じる事が出来た。

 今、この世でそのような事柄を信じる風潮が広がっている。すべての存在はそのままで意味があり価値があり、人間の尺度では計る事は出来ない。母のようにこの姉も又、私にそのことを教えてくれる存在なのだと思う。華やかな美しい姉の変わりようも、ただ魂の浄化を得るためのプロセスのように私には思える。

 私をじっと見つめる茶色の瞳は遠くのものを見つめるように動かない。瞬きもせず、何を見つめているのだろうか・・と問うてみたい気もするが何故か私はいつも聞きそびれて別れてくる。言葉にならないものが見えているのだろうと感じるからかも知れない。華やかな美しい姉の姿が日の光の中で踊って見える。そう云えばモダン・ダンスも習っていたっけ・・・。ヴァイオリンもピアノも絵もお茶も・・そして乗馬もスキーもスケートも・・なんと多くの青春を持った姉だったのだろう。戦争中の私の青春は夕焼けの空と星と、そして雪の青さの中に憧れの姿を見ていたような気がする。いろいろな意味でこの人生はそれなりの収支決算が着くのだろうか。私には健康な身体と心を与えられた。それがこの世でもっとも大きな贈り物だと教えてくれたのは他でもない母と姉であった。その与えられた身体と心とで私は他にお返しをして生きねばならないのだと思った。どんなに小さな事でも、ささやかな事でも・・それでいいのだ・・と華やかな女人の茶色の瞳の中に読んだような気がする。
                        一九九〇年 十月二十八日

   *  *  *

 母にはずいぶんと心配や苦労をかけたけれど、病で床に臥していても安らかな顔だったのは、この叔母の姉妹愛があったからに違いありません。この世に生まれて愛という絆をもてる事が一番の幸せなのだと思います。
by antsuan | 2005-12-26 18:26 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

第三の「母のフットプリント」(その一)

 秋田に住んでいる叔母が、昔に私の母のことを書いたものが出てきてといって送ってくれました。母のことを知る貴重な資料になりました。私から見た母のことは、「第一歩のフットプリントは母のこと」(その一)(その二)に書いたことがありますので、今度は叔母から見た母のことを、第三の「母のフットプリント」として残しておきたいと思います。

     *  *  *

  小茜娘雑記(華やかなひと)-1

 その名のように華やかな女人であった。五人姉妹の二女と五女という間柄であったから、その姉とは六歳も年齢が離れていたけれど、中の一人が幼い頃に亡くなり、その上が叔母の養女になっていたから、学校も同じ・・・疎開したのも一緒・・・と姉妹としては一番接触が多くあった。色が白くて茶色の目をしていて姉妹中で一番大柄であったからハーフのように見られた程で、その頃、原節子等の所属していたP・C・L(東宝の前身)の社長さんの娘さんと同級生であったので、”女優さんになさいませんか”と母に話があったそうだけれど、その頃は女優になるのは普通の家庭では考えられない事であった。

 着飾ることが好きで、学校から帰るといろいろなファッションで身を飾り、メーキャップをして宝塚の人のように私達を楽しませてくれた。女学校を卒業して洋裁学校に入った姉は、私の洋服も作ってくれたし、食べることも好きな人であったから、お八つもお弁当も作ってくれた。疎開中は炭も焼いたし力仕事もしたし、本当にマメマメしい姉であった。深く物事を考えるということが苦手な人だったので、ただ華やかで楽しいことがあれば幸せそうな姉であった。絵を描くのが本当に上手で先生がその道を進めてくれたこともあったそうだが勉強が嫌いだから・・・といろいろな習い事だけをして青春を過ごしていた。

 華やかに音楽会に出かけたりスポーツをしていたわりにはおとなしく、一度のお見合いで結婚した。戦後二人の息子を育てている時も、夫が病院長になって何回も外国に行くようになっても、華やかで楽しいことだけに幸せを求めていたようでも、その中の心の中はいろいろな気苦労でいっぱいらしく、だんだんと食も細くなり痩せていった。自分で深く考えない人であったから父の存命中はその庇護を多く受け、その上の姉もまた父を頼っていたから、末っ子の私は両親には何事も心配をかけるのを止そうと心に思った。親というものは離れて見ていると幼い私にもなんと大変で切ないものだろう・・と思えたからである。

 その姉が、父が亡くなって十七回忌を迎えた時、脳腫瘍になり手術をすることになった。手術の前日に病院であったのがその華やかな姿の最後であった。全く別人の様相になり、病院での生活の方が長い年月を経て七年目を迎える。今は骨と皮だけのような姿になってしまい、やっと聞き取れる程の声しか出すことが出来ない。その時ははっきりと受け答えするが、自分で”頭を手術したからパーになってすぐ何でも忘れるの”という。涙を拭く指も曲がり、動かすことも出来ない顔の中で茶色の瞳だけがじっと見つめる。悲しみも切なさも、いとしさも痛々しさもも何も彼もがないまぜになって頬を付けると私の涙が溢れる。
by antsuan | 2005-12-26 18:15 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

デッキでの至福な一時

 このところ吹いていた強い西風も今日はおさまり、葉山の海は穏やかで白い帆のヨットがのんびりと漂っていました。こんな穏やかな休日は滅多になさそうなので、調子の悪かった船外機を急いで直し、係留してある艇の整備に出かけました。

 我が愛艇は毎冬の事ですが、海鳥の休憩所になっていて糞害でデッキは汚れ放題になっています。デッキ掃除をしながらエンジンをかけてバッテリーを充電し、もやいの絡まりを直すと、もう昼過ぎになってしまいました。キャビンに入ってコンロにヤカンをかけ、お湯を沸かしてカップラーメンをすする、冬の船上の定番の一時です。
 
 潮風にカップラーメンはぴったりなのです。もうちょっと時間があったらお鍋などもいいのですが今日はクリスマスです。晩にクリスマスケーキを食べる事にして、また艇の掃除にとりかかりました。

 船齢二十年を越える艇なのに、前のオーナーが丁寧に乗っていたので少しも具合の悪いところはありません。この安心感。至福の時です。遠くに富士山が見えます。そろそろ西風が吹き始めました。今年一年何事も無かった事に感謝しつつ艇を後にしました。
by antsuan | 2005-12-25 17:36 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

倫理なき法治国家の問題

 地球温暖化をあざ笑うかのような、厳しい寒さの日々が続いています。当初の予想ではこの冬は平年並みかやや暖かいとしていた気象庁が、一転して厳冬の見通しを発表しました。これで冬物が売れる事は間違いなし。景気回復に一役買うでしょう。

 しかし、世の中は二極化が進んできているようで、資本主義の原理とはいえ民主主義を脅かす風潮が気になります。さらに国際社会はいまだに「力こそ正義」と云う考えが支配的です。このような倫理なき法治国家は果たして民主主義国家と言えるでしょうか。

 考えてみると、どの国でも基本的に二重の規則があって、一つは宗教に代表される倫理的規範であり、もう一つが明文化された法律です。ところが日本においては、宗教と言う規範は神仏習合を受け入れてきた社会であるゆえに強制力が弱く、もっと人間的と言うか道徳的な規範を練り上げてきました。明治以降ではそれが教育勅語として表され、帝国憲法と併せて日本人の規律を守って来たと考えられています。それが大和魂と云われるものです。
 
 ところが日本人は敗戦によりその大和魂を否定され、明文化された法律のみに従う国民になってしまいました。これが、大和魂を知る者がいなくなった今日の、日本の社会を歪なものにしていると言ってよいのではないかと思います。
 
 平等なあるいは中流的な社会を守るためにも、来年には検討されるであろう憲法改正に併せて、もう一つの道徳的規範を作る事が出来ればと願わずにはいられません。
by antsuan | 2005-12-23 21:50 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

靖国問題の解決方法

 今日は冬至です。そして明日は天皇誕生日なのですが、同時に明日は巣鴨プリズンでA級戦犯が処刑された日でもあります。どういう訳か米国人は好んでこういうイヤらしい事をするのです。歴史の浅い国民の醜い面です。ドルショックといわれたドル紙幣と金の交換をやめた日も、わざわざ八月十五日を選んで発表されました。はっきり言って相手の感情を逆なでする事を好む性格があります。

 チャイナも同じ事をする傾向にありますが、教養ある日本人は不愉快に思ってもそれ以上事を荒立てる事をしません。報復が報復を呼ぶ事を歴史の上で学び取っているからです。

 日本には昔から鎮魂の精神があります。過去の事を忘れるのではありません。水に流すのでもありません。そういう鎮魂の気持ちを表す手段として、明治以降では、戦争で亡くなった方を靖国神社へ祀ってある訳です。このことで戦勝国や第三国に文句を言われる筋合いは全く無いのですが、国際的な政治問題にしてしまったのは今の政治家に責任があります。

 鎮魂の意味を持つ靖国神社の存在に肯定的な人々も政治問題にしてしまった今の政治家の対応には批判的です。しかし、梅原猛氏や山折哲雄氏のような哲学者や思想家、さらには上坂冬子氏のような評論家は、何とか靖国問題を解決し静かな鎮魂の場に戻るように、この問題に対して提案をしています。それは信仰の対象から外す手段の模索と言っていいかも知れません。具体的な提案はなされていないようですが、明治政府が、江戸時代まで続いてきた神と仏の共存を否定する廃仏毀釈をして、神と政治を直結してしまったことに、問題の種が潜んでいると云うのです。

 成る程と思いました。其処まで分かると問題の解決はそれほど難しくないでしょう。つまり神仏習合の昔の例に倣い、靖国神社を神社から神宮寺にしてしまえば良いのです。鎌倉の鶴岡八幡宮だって、排仏毀釈の前は宮寺だったのですから。寺であれば戦死した人であろうと、処刑された人であろうと其所に霊魂が納められていてもなんら問題ないはずです。
 
 政治的外交的な問題になってしまった靖国神社ですが、今一度、日本人は戦死者と戦争受難者に対して鎮魂のあり方を、昔の人の知恵を参考にして見直してもよいのではないでしょうか。
by antsuan | 2005-12-22 19:10 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(0)

衝撃的な第一報

 一九六三年十一月二十三日、私はある意味で決定的瞬間に立ち会っていました。その日は日本で初めて米国から衛星放送で生中継される日だったのです。ただ我が家ではそのような技術の歴史的快挙に興味を示すものはいなく、白黒テレビの前を一人で占領することが出来ました。

 そしてそのテレビから流れてきた衛星放送の第一報が、なんと大統領暗殺の報道だったのです。一瞬この歴史的快挙にそんな大事件が起きるはずは無いと思いましたが、逆にこれが本当の技術的快挙の賜物だと感じました。

 最近一冊の本を買いました。それは「ケネディを殺した副大統領」という題名の、今なおくすぶり続けてるケネディ大統領暗殺の真相を暴露した本です。自分自身、衝撃的な第一報を知ることになった事件をやはり忘れることは出来ないのです。

 そしてこの本には、テキサスという土地は開拓地であって、法と秩序がほとんどなかった無法地帯であったこと、そのような状態が長く続いていた地域であったことなどが書かれています。正義は力次第。さらにテキサスは良心的な移民よりもどちらかというと東方から逃れてきた悪者の隠れ家になっていたのです。

 ケネディ大統領暗殺に、この本の指摘通り、ジョンソン副大統領が関与していることは間違いないでしょう。このことはジャックリーン大統領夫人もはっきり認識していましたし、ケネディ大統領の側近も知っていたようです。

 それにしてもなんという民主主義国家である米国の恥部でしょう。「正義は力次第」、これを改めるためには、やはり国家がこの大統領暗殺の真相を自らさらけ出し、反省することから始めなければならないのではないかと思います。
by antsuan | 2005-12-21 08:20 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)