あんつぁんの風の吹くまま

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遠い蝉の鳴き声に思う

 今年は蝉の泣き声が少ないようだ。年の周期によって蝉が多い年と少ない年があるようだが、やはりそれだけではなく、開発と云う名の自然破壊が進んでいるせいだろう。そういえば、最近は自然と云う言葉の変わりに環境と云う言葉を使うようになった。何故か。自然が破壊し尽くされていてイメージが湧かないのだろうか。
 
 環境と云う言葉の意味には多少身勝手な部分も含まれているような気がして、正直言って余りなじめない。環境がいいと云う事は、大抵自分にとって都合がいいと云う意味で使われるし、あくまで自己中心的な表現のようで、本当は使わない方がいいと思う。

 元々人間が住むのにいい環境とは、自然破壊をした、他の生き物を排除したところではないのか。科学的に言ってしまえば、人であっても生き物の一種でしかなく、自然の中の環境を考えれば、環境破壊をする動物の最たるものであろう。そんな身勝手な動物には、やはり神様は何時か天罰をお与えになるに違いないと思う。
by antsuan | 2005-07-30 13:55 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

儒学は宗教にあらず

 チャイナは古代においては素晴らしい文明の発達を見たけれども、近代になってそれは見る影も無くなってしまったのは何故だろうか。中華思想については以前「中華思想における正史」として少しだけ論じた。しかし、その文明の衰退についてはよく分からない。考えられるのは科学の発達がなかった事ではないだろうか。では何故科学の発達がなかったのか。それは儒学の影響があると考えるのだ。

 儒学は宗教ではないので一神教のような一つの真実を追求する厳しさは無かった。
これが儒教社会において日常生活のみならず周囲の自然を見る姿勢が受動的なものとなり、存在する唯一つの真実追求のエネルギ−を人々は持たず、科学の発達する社会にはならなかった。

 むしろ、その必要がなかったといえるようだ。なぜならば、儒学の要素は先王、過去の聖人君子の道を正しく受け継ぐこと、先人の道を祖述することであって、普遍的真実を追求して成立する科学とは異質の世界なのだ。
 
 その事を思うと、過去の正しい道のみを追求し、新たな正しい道を探求しない今のチャイナや韓国の大衆の心理が何となく理解出来るような気がする。
by antsuan | 2005-07-29 17:06 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

ふうてんの寅さんの思い出

 銀行に寄って呼び出しを受けるまで、ステラと云う雑誌を見ていたら、ふうてんの寅さんの記事が載っていました。映画「男はつらいよ」は数編しか観ていませんが、庶民の代表と云っても良い、渥美清の裏表のないあの笑顔、肺が半分無い身体で、そんなそぶりは少しも見せず自然体で世の中をあるがままに飄々と生きて行く姿に、心を洗われる思いがします。

 もう今の日本には本物の俳優はいなくなってしまったのではないかと感じる事があります。戦争とその後の混乱した社会を見つめながら俳優になった人は、人間味と云うか、心を打つ演技を見せてくれたと思うのです。映画「男はつらいよ」には、そのような名優がたくさん顔を出していた気がして、もう一度観たくなりました。
 
 それとあの風景、東京の下町と云うより、江戸の下町と云った感じがぴったりの庶民の生き生きとした生活ぶりを目で納得させてくれます。そうです。日本には昔から庶民の文化が息づいていたに違いないのです。一瞬にして破壊され、一夜にして焼き尽くされても、庶民の心の中に根付いている文化は蘇り、涙の中に笑いをもたらす希望のある生活を必死に築きあげてきたのです。
 
 それは政治家の力ではない役人の力でもない、この地に活きる民衆の力そのものなのです。ふうてんの寅さんこそ、大衆の中に埋もれた「シェーン」であり、「椿三十郎」であって、民衆の力そのものを表現しているのだと思います。
by antsuan | 2005-07-28 11:09 | 身の回り・思い出 | Trackback(1) | Comments(2)

変わらぬ山河

 台風一過の今日は、葉山から見る相模湾も穏やかに波ひとつ無く、いつもなら夏の賑わいで多くの釣り船が出ているところ、避難していて一艘も見当たりません。その海の向こうには、伊豆半島の青い山脈が、更に富士山が、梺に雲をたなびかせながら、澄んだ空気の中に浮かんで見えます。

 中学生の時に読んだ「愛と死を見つめて」と云う本の中で、大阪の病院に入院している恋人へ、「一緒に富士山を見よう」と、励ましの手紙を書く場面がありますが、何時も見ている自分でさえ感動するのですから、初めて観る人はどんなに感動する事でしょう。
 
 この富士山、江戸時代の中頃までは煙を吐いていました。ですから歌に詠まれていた頃は、鹿児島の櫻山のように不死の山として恐れられていたと思います。しかし、太平洋戦争中は、高々度を飛べるB29爆撃機にとっては格好の目印となって、関東地方に爆弾の雨あられを降らせました。
 
 台風の襲来や爆撃機の襲来が遭っても変わらぬ富士の山、変わらぬ山河。無常の世界。浜辺に立って相模湾を見渡す度に、己の小ささを感じます。
by antsuan | 2005-07-27 10:07 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(5)

古い体制の崩壊(歴史は繰り返す)

 IT革命は本当の革命であると、何度もこのブログでも書いているが、やはりその流れが顕著になってきた。

 「プロの権威への反乱(ブログ爆発的な伸長)」と題して、讀売新聞の地球を読むのコラムに米国未来科学者アルビン&ハイディ・トフラー氏が寄稿しているのを読むと、グーテンベルグの印刷革命により、聖書が普及しキリスト教会の権威が失墜した事を思い起こさせる。

 知識をもたらす新技術(IT)によって、職業的な専門家に対する懐疑心の高まりは一気に噴出し、医師や弁護士のような「資格」要件に対する疑惑が、資格の無い素人のブロガーによって白日の下にさらけ出されるようになった。
 
 情報と資格制度に関する独占体制に再び風穴が開いたのである。権威への挑戦である。これが革命なのだ。
 
 今、チャイナでは日本より一世紀以上も遅れて産業革命が進行中である。と同時にIT革命も進行中である。そのような社会がどのようになるか。過去のヨーロッパを見れば良い。古い体制は崩壊寸前なのだ。下手に手出しをしない方が良い。
by antsuan | 2005-07-26 18:50 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

小泉総理の自信

 日本の政局は流動化してきたと世間は囃し立てている。果たしてそうなのだろうか。小泉総理は郵政民営化を総理大臣になる前から叫んでいた。そう言う人物を党の代表に選んでおいて、その政策に党員が反対している。そんな党は本気でぶっ潰すつもりでいると思う。
 
 自民党のごたごたはさておき、小泉純一郎はもっと大局的な思索を練っていると思うのだ。少なくとも野党の民主党は、これで総選挙になったとしても勝てはしない。なぜなら、小泉総理は外交と云うカードをいつでも切れる立場にあるからだ。この事について米国政府が反対している気配は無い。米国政府が後押しをしている内閣は絶対安泰である。

 民主党は、小泉総理が外交カードをいつでも切れる状態に有る時に、総選挙をしても勝ち目がない事を悟るべきだ。今度の六カ国協議で拉致問題が進展すれば、小泉総理の支持率は高まるだろう。あるいは拉致問題が進展せず、単独で経済制裁を実施しても、総理の支持率は高まるだろう。選挙の争点を、郵政民営化の問題よりも外交問題にすり替える事が出来るのは総理大臣の特権である。小泉純一郎と云う政治家はそれを知っていて、それをやれる自信を持っている。
 
 小泉総理は八月十五日に靖国神社を参拝してあからさまにチャイナを刺激する事もやると思う。それによっても小泉内閣の支持率は確実に上がるだろう。いずれにしてもこのような外交カードを懐に持っていると云う余裕が見えるのだ。
 
 今迄の総理大臣で外交カードを切れるものは一人もいなかった。それを使おうとすると、米国政府に潰されていたからだ。今は米国の力が弱くなり小泉内閣の力を借りたがっている。小泉純一郎と云う男はよくよく運の強い政治家だ。
by antsuan | 2005-07-25 19:24 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

墓守をする

 今、家庭に神棚や仏壇がある家はどのくらいの割合なのでしょうか。
昨日の千葉市直下でおきた震度五の地震で我が家の位牌が倒れたようです。

お施餓鬼の案内も届きましたので、少々早いのですが、寺へお参りして
きました。

 晩涼や 後れて一人 坊を出づ
                 加賀谷凡秋
by antsuan | 2005-07-24 22:45 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

二十世紀を生き抜いてきたけれど

 企業を経営するのと、国の政治を行なうのは本質的に同じ事だ。生産性を上げるか否かの違いだけであって、組織を安定的に維持発展させる事の基本的目的は変わらない。問題なのは企業や国の持ち主が誰なのかと云うところなのだ。企業の場合は出資者の物である事がはっきりしている。つまり出資者が最終的責任を持つ所有者なのだ。しかし、国の場合はそれがはっきりしていないところが未だ数多くある。世界中の国が民主主義国家であるとは限らない事を再認識する必要がある。今の日本人は平和ボケしていて、そこのところをあらためて確認する必要があるのではないか。

 王族の国家もあれば、一党が独占している国もある。また、独裁者のものだったりもする。更に厄介なことに宗教指導者が国を支配しているところもある。しかも民主主義的国家でないところほど、発展が遅れていて、国際摩擦、つまり紛争を起こしやすく安定している国家とは言えない。
 
 二十世紀における、資本主義と共産主義の国家運営については、優劣がつき決着したかに見えるが、古くて新しい命題である、この世をまた人間を支配するものは神なのか自然なのかについては新しい世紀に突入しても解決どころかますます複雑になるばかりだ。
 
 今、国どおしの対立から思想の違いによる対立へと、再び昔からの争いへと逆戻りする傾向にある。恐らく、この昔からの命題が解決しない限りこの地に平和は訪れないのではないか。もっと悲観的な事を言えば、この命題が解決しないうちに人類は滅亡するであろう。
 
 国を治める者も企業を経営する者も、やはり思想的悟りを会得しない限り、何時かは滅亡を免れないのだと思うのだ。
by antsuan | 2005-07-23 17:04 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(0)

清廉な人

 宮沢賢治、松下幸之助、土光敏夫の共通点は信心深くて、若いときは下積みの仕事をしていたことではないでしょうか。三人とも清廉で庶民のことを想う心を燃やし続けていました。

 この清廉という言葉はもう死語になってしまった感があります。一番悲しいのは、聖職と云われる宗教人に清廉という言葉が不似合いになって来たことです。
by antsuan | 2005-07-22 22:10 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

家族旅行のつづき(その二)

 この湯沢は旧七夕祭りの絵灯籠が有名です。畳一畳ほどもある絵灯籠を太い竹に吊るして街道のあちこちに飾るのです。ホテルで窓の景色を見ていた息子が鳥海山を見付けました。山のあちこちに見える万年雪を不思議がっていましたが、そのうち雲がかかり山も見えなくなって、まるで紙芝居の絵を見ていたような気分です。
 
  うたたねの背や 一筋の汗流れ

 盆地特有の蒸し暑さの中、法要の読経を聞いていました。街中に清流の小川があり、トンボが飛んでいます。時の流れがゆっくり動いているような静かな人気の無い街、都会生活に慣れた家内や子供たちには物足りないかも知れないけれど、生まれ故郷は昔のままであって欲しいと勝手に願っております。
 
 親戚からどっさりお土産を頂いて故郷を後にしました。私の小さい時から変わらぬ風習に心が和みます。帰りの車窓から外を見ると、まるで田舎の人々と同じように鳥海山が裾野まで顔を出し、私たち家族を見送ってくれるかのようでした。
by antsuan | 2005-07-21 11:12 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)