あんつぁんの風の吹くまま

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男の居場所

寝苦しい夏の夜、窓を開けると波の音が聞こえ、浜風が心地よい。
来週はもう海開き。いよいよマリンレジャーの季節がやって来た。
海水浴にヨットにウインドサーフィン、ジェットスキーに水上スキー。
この季節の海や海岸に、オジン、オバンは用無しだ。

面白いことに、この時期といえば大抵のパワーボートやヨットのオーナーは、高原などの避暑地に行っている。そこで加山雄三の海の若大将ではないが、ドラ息子やただのクルーが乗り放題使い放題、若者の世界なのだ。

そう云う若者たちの、海岸の近くを見せびらかして走っているボートやヨットの間を縫って、ソーッとセールを上げて沖を目指す。

そう、沖のこそが海の男の居場所であり世界なのだ。
今日も太陽が眩しい。レイバンのサングラスが欠かせない。
by antsuan | 2005-06-30 19:31 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(0)

アメリカ兵は平和の使者ではなかった

 天皇陛下がサイパンを慰霊のために訪れ、バンザイクリフを眺める場所で黙祷を捧げたられた。

 だいぶ前のことになるが、家内の実家にお邪魔しているとき、サイパン旅行が九州や北海道に旅行するよりも安いという話になった。私がサイパンや沖縄には観光で行く気はしないと言ったことろ、東京大空襲を間近に体験した岳父は頷いてくれたが、家内は全く其の気持ちが分からないと言った。

 どんな戦いでも悲惨である。まして市民を巻き込んだ戦いは酷いの一言でしかない。私自身も陛下と同様、慰霊の気持ちの区切りを付けないかぎり、サイパンには旅行する気になれないのだ。

 しかし、このような酷い戦いを強いた日本軍が悪いのだという話は、歴史を歪曲することに成るので注意が必要だ。
 
 確かに日本軍は捕虜になるなという指示を出している。何故か。
 
 支那で日本兵が捕まるとどうなったか。「死者の首を切り、面皮を剥ぎ取り、或は男根を切り取り、胸部を割て入るるに石を以てす」と云う残虐極まれない仕打ちを受けたのである。また歴史的に抹殺されようとしている「通州事件」では多数のコリア人を含む日本人居留民が惨殺された。婦女子に至るまで二百六十人もの民間人が人間がするとは到底思えないような酷い行為をもって殺されたのである。
 
 アメリカ兵においても、投降した日本兵を英語がわかる者以外は捕虜にすることなくその場で射殺したのである。此れはリンドバークの従軍記に書いてある。勿論、無差別空襲や無差別艦砲射撃もアメリカ軍は躊躇無く実行した。

 其れと比較して、当時の日本軍はもっとも戦時国際法を理解し、世界のどの国の軍隊と比べても、それを守った軍隊であった。今風に云えば、グローバルスタンダードを一番遵守していた軍隊であるといえる。それは識字率の高さだけから云うのではない。鹿鳴館の時代からその意識はあったし、義和団の乱の鎮圧においては、英国紳士がほれ込むほどの最高のマナーをもって行動し、それが日英同盟に繋がる結果を生み、日露戦争においてもその国際法遵守は遺憾なく発揮され、世界の一等国の仲間入りをすることが許されたのである。その流れは日中戦争においても太平洋戦争においても変わることのないものだった。

 慰安婦問題一つについてもそのことがはっきりしている。日本軍は現地の女性を慰安婦として調達することなく、自国から慰安婦を募り連れてきている。こんな軍隊が他の国にあっただろうか。民主主義国家と云われる米軍ですら日本に進駐した際、現地である日本の女性を慰安婦として調達させているのだ。

 翻って、当時の支那大陸では、ほとんど内戦状態であっただけでなく、国民党の軍隊でも、共産党の八路軍においても、戦時国際法などを理解し遵守し得る組織ではなかったと断言して良いだろう。
 
 従って、このような戦時国際法を守らず、虐殺を平気でしてくる国を相手にした日本軍としては、捕まって惨たらしい目に会うよりも潔い死を選べとしか云えなかったのである。(詳しくは「渡部昇一の昭和史」を読まれたい)
 
 バンザイクリフの惨劇は戦時国際法を守らない国の軍隊から逃れる手段として生まれたのだ。
 
by antsuan | 2005-06-29 17:09 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

夏のご婦人

 いよいよ夏本番、梅雨の晴れ間とは云え真夏の日差しが眩しくて、ご婦人方のさっぱりした服装についつい見とれる此頃です。この間はスーパーでつば広の帽子をかぶった若いご婦人に挨拶されてしまいました。其の爽やかな笑顔と服装についうっとり。レジでお釣りをもらうのを忘れるところでした。何方だか分からないところがますます魅力的に感じてしまいます。

 今日の朝もバス停まで小一の子供を送りに行ったら、同じ学校へ行く子のお母さんと会ってしまいました。別に当たり前のことかもしれませんが、其の若いお母様が妙に眩しく見えて、何とも言えなくなります。

 今度、朝、子供を連れていくときには顔を洗ってヒゲを剃って、そうだ、薬屋で育毛剤も買ったほうが良いかななんて、変な気心を持ち始めてしまいました。

 若いご婦人が気軽に挨拶してくれるのは、そう言う不純な関係にもう成りえないことの証明なのですがね。分かっていても、いゃ、分かっています。
by antsuan | 2005-06-28 13:04 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

破れ網戸から風が来る

 いゃー暑い! 真夏の暑さになってしまった。この蒸し暑さにはまいる。ビールだビール!と叫びたいところだが、重量オーバーの体重のことを思い出し、冷蔵庫に頭を突っ込んだだけで我慢した。

 家の周りの草むしりは暑さのせいにしてサボってしまったが、網戸が破けて何とかしてくれと言われて、確かめてみると見事に破けている。昔の網戸なので金網の網戸なのだ。あーぁ、去年の台風で庇が壊れ雨漏りがして、修理が終わった途端、今度は網戸ですか。次から次と修理するものが出てくる。

 しかし、この古い家を出たいとか、建て直したいとかの気持ちは全く起きない。やっぱり日本の家は木の家に限る。網戸が破けていたって良いじゃないですか。南と北の戸を開け放てば涼しい風が吹き抜ける。木造の家は湿度の調節をしてくれるのだそうだ。夏は湿気を吸い、冬は乾燥を防ぐ、此れが木の作用なのだ。

 都会で育ったうちのカミさんもようやく古い家に馴染んできたようだ。開け放った座敷で、座布団を枕にして団扇で仰いで寝そべる。こんな行儀の悪いことをしても文句を言わなくなった。ふうてんの寅さんの夢のように心地よい。
 どうか、夢から醒めないでおくれ。
by antsuan | 2005-06-27 14:56 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

留学生の受入れと世界平和

 ちょっとまえに聞いたことだが、チャイナの留学生を受け入れる学校には補助金が出るらしい。これはチャイナだけでなくほかの外国の留学生にも当て嵌るのだろうか。ちょっと気になることだが、とにかく留学生を積極的に受け入れることは、長い目で見れば決して悪いことではない。日本においても、戦後の復興期にはフルブライト留学生という制度を利用して海外に学んだ者が、日に影に産業や文化の発展に寄与したことは事実なのだ。

 教える内容や質についてはいろいろ注文したいところでもあるが、少なくとも日本の現実を海外の人に見てもらうだけでも理解を深めることが出来るはずだ。細かいことを云うのはしばらく止めにしておこう。

 日本は今や世界が羨望するような平和な国になった。それを嫉む国や恨む国もあると思うが、留学生の一人ひとりが、その平和を体験し、自国においてもそれを実現するように活躍することを期待する。

 イランの大統領選挙でイスラム革命推進派の人が大統領になった。しかし、これも民主的選挙で選ばれた結果であり、イランにおいて民主主義が後退したわけではない。核開発の疑惑はあっても、よその国が取り分け米国はイランの政治に干渉するべきではないと思う。
by antsuan | 2005-06-26 10:56 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)

白足袋とステッキ

 有名人を知っているとなるとついつい吹聴したくなる自分も、でんでんむしさんが「有名人やタレントならなんでもありか」に書かれているように、やはりミーハー族の部類なのだろうと思うが、テレビタレントにはてんで興味が無い。

 もっとも、ここは太陽族だった石原裕次郎の地元なので、その辺の関係の人はウヨウヨいる。昔の話になるが、加山雄三などは愛艇光進丸を沖合に泊めて、その頃出立てのダックスと言う小さな原付きバイクをテンダーに乗せて海岸に上陸し、近くを遊び回っていた。あれは格好良かった。さすが海の若大将って感じだった。

 オッと、そんな自慢話をするつもりではなかった。
ここ葉山は前にも書いたように皇室の憩いの場所でもあり、保養所や別荘も沢山あった関係からか、文化人が割と多く住んでいた。詩人で文化勲章受賞者の堀口大學も其の一人。先生の家は目の前なのだ。今日の読売新聞の編集手帳にも、大学全入時代と今昔についての話に堀口大学先生のことが載っていた。

 堀口先生と祖父は家が向いというだけでなく、同じ洋行帰りの教養人として親交が厚かったようである。二人とも着物姿でステッキをもって散歩するのだが、白足袋の堀口先生はすらっとしていて気品があり、祖父は葉巻を口にくわえて貫録があった。

 我が家には祖父が亡くなったときに堀口先生が捧げて下さった挽歌を額に飾って家宝としてある。
 
 
     国手のみたまに捧ぐる挽歌
                    堀口大學
                
  さはやかにおんしはぶきに目ざめたる
              森戸川べの朝よかえへり来よ
  
  ひと筋に貫きましぬよくぞ智と学の光を高くかかげて
  
  或る時は梅花を語り或る時はさかづきふくみ世をば歎きぬ
  
  かりそめといかで思はんこの君と十歩にありてととせ生せしを
  
  となりしておはすと知れば安かりし宵の出水も朝の嵐も
by antsuan | 2005-06-25 11:27 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(2)

危険重量オーバー

夏至を過ぎてから本当に暑さがやって来たという感じがします。
愛用のパワーマックG4のファンが唸りをあげています。

このところブログを書始めてから運動不足で、せっかくデジタル体重計を買ってきたのに危険重量を越えてしまいました。それだけでもがっくり来ているのに風呂の蓋を開けたらお湯が抜けていて空っぽです。
本当に疲れがどっと出てしまいました。

そういえば日が長くなったので、仕事から帰ってもまだ明るさが残っていて家の回りの雑草が気になります。週末は運動不足の解消をかねて草刈りをするとしますか。

  寿福寺の 御僧と見ゆ 草引ける
                 加賀谷凡秋
by antsuan | 2005-06-24 23:03 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)

人種差別のある平和を認めない

 古代ギリシャのアテネにも民主主義はあった。しかし、その市民という定義の人間とは、限られた人種でその中の限られた民族で、そのまた限られた階層の人をさしていた。ローマ帝国時代においても然り。しかし、時代とともにキリスト教文明の社会においては、市民とされる人々の範囲がだんだん広がり、二十世紀に入るとおおよそ白人だけはその範疇に入るまでにはなったが、その他の人種はまだまだ市民どころか、人間とも見做されない状態だった。さらにキリスト教文明社会以外では、昔ながらの王族か庶民に分けられ、庶民は人間扱いを受けていなかった。

 つまり、世界中に人種差別は残っていて、産業革命が広がり近代国家が形成され、民主主義を掲げたアメリカが独立し、そのアメリカの南北戦争が終わっても、そして第一次世界大戦が終わっても、民主主義は特権階級だけのものであり、古代ギリシャの時代と大して違いはなかったのである。

 そのような時代に人種差別をなくそうと提案した国がある。大日本帝国である。第一次世界大戦のパリ講和会議において、国際連盟の規約に「人種差別撤廃条項」を織り込むよう提案した。しかし、これは否決され、逆に米国では排日運動が勢いを増し、大正十三年(一九二四)に「絶対的排日移民法」を成立させた。米国は歴然とした人種差別国家だったのだ。

 何故、太平洋戦争に至ったか。何故、米国と戦う気になったか。もうお分かりだろう。

 人種差別のある社会を平和というのならば、戦争を否定する者は特権階級の人間である。人種差別のない社会を平和というならば、この世は平和ではない。
 
 戦争を美化するつもりはないが戦争を否定するつもりもない。なぜなら人種差別のある平和を認めないからだ。
by antsuan | 2005-06-23 23:11 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

神々の祟り

 現金なもので連載がストップしてしまった途端に原稿を書く意欲が萎えてしまった。しかし、別に書きたいことが無くなってしまったわけではないし、一応区切りとしていた百回目の投稿を過ぎたが、成る可く続けられるだけ続けてみたいと思う。

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 さて日韓首脳会談も終わり、靖国問題を取り上げるのもうんざりするのだが、これは日本人の生き方、主義、思想に及ぶところなので言挙げしないわけには行かない。

 靖国問題は東京裁判の正当性について検証する機会を戦後生れの日本人に与えてくれた。ここで、週刊新潮の変見自在(連載137)に帝京大学教授の高山正之氏が載せている「靖国の神々」の一部を抜粋して紹介しよう。
          ★   ★   ★
 日米戦争の末期、コーデル・ハルは「日本をアジア開放に殉じた国と思わせてはならない」とルーズベルトに言った。大統領はそれを占領政策の柱にした。
 それが「War Guilty Information Program」。日本は侵略戦争を仕掛け、アジアを戦場と化し、残虐非道を働いた。そう日本人にも吹き込んだ。
 日本軍は略奪し、女を強姦しまくったと、そのプログラムをまだ信奉する朝日新聞は書く。おまけに多くの女性を従軍慰安婦にして連れて歩いた、とも。
 強姦するなら有料の慰安婦はいらないのに。そういう矛盾も気づかない。
 東京裁判ではハルの狙い通りに日本は我利我欲に走った侵略国家に仕立てられ東条英機ら七人は平和と人道に対する罪で死刑に処された。
 彼らは白人国家とその尻馬に乗る中国が着せた濡れ衣に一言の文句も言わず処刑台に立った。
 その無念を思えばA級戦犯者こそ靖国神社に最も相応しい人たちなのだ。
          ★   ★   ★

 人が神として祀られるのは無念の死を遂げた者たちの霊を鎮める、あるいは祟りを封ずるためだ。

 東京裁判を取り仕切ったマッカーサー元帥は、朝鮮戦争を体験して、太平洋戦争が日本にとって自衛のためのものであったことを認め、それを米国議会において証言し、祟りを鎮めた。しかし、チャイナや韓国は東京裁判の欺瞞を認めようとしない。

 可哀想に、チャイナの国家主席よ、韓国の大統領よ、あんた方は祟られているのだ。
by antsuan | 2005-06-22 22:57 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

個人情報保護法なんて意味ないじゃない

個人情報保護法の効用でしょうか、このところめったやたらに個人情報の漏れがマスコミを賑わしています。しかし、やっぱり怖いですねぇー。あくまでコンピューターに入っている情報ですから、改竄されても当の本人はさっぱりわからない。そして其の偽の情報が独り歩きしてしまうと、自分が自分でなくなってしまうことにもなりかねません。

 ちょっと考えて見ても、この個人情報保護法とやらの法律は到底守られるとは思えないのですが、其れも、個人情報の元締めである住民基本台帳そのものが、きちっと保護されているとは考えられませんからね。

 人間自身は間違えるかもしれないという予防的考えが働きますが、コンピューターは間違えているかもしれないという判断は殆どなされません。自分が自分であることの証明は絶対コンピューターに依存させるわけにはいきませんね。昔、海上自衛隊で艦橋の見張りをやらされていたときに、レーダーがあるのに何で見張りなんぞやるのか疑問に思っていましたが、基本的に敵か味方かの判断をするのは人間でしかないということでした。機械に其の判断の責任をとらせることは出来ないわけです。
 
 コンピューターに責任を取らせることは出来ないとなると、やはり其の責任は情報を保管している組織が責任をとるしかないわけですね。情報が漏れるのは致し方ないところがありますが、其の情報が改竄されないように絶対守って欲しいと思います。しかし、其れって可能なことなのでしょうか。やっぱり心配です。
 
 つらつら考えるに、身元を確かめるための指紋とか手形とかを考え出した日本は、昔から凄い情報化社会だったのではないでしょうか。
 
 
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 exciteのプログ用のサーバーを新しくしてくれたのはいいのですが、古いMacでは画像が見えなかったり、文字化けしてしまったり(どうも英語と日本語の混在はいけないらしい)、入力した漢字と違う漢字になってしまったり、いやはや何ともはやこちらも頭が混乱してしまいました。其のうちオールドMacはインターネットに接続しないでくださいなんて警告がマイクロソフトのサイトだけでなく掲示されるかもしれない。怒っていいのか、悲しむべきなのか、悩みますなぁー。
by antsuan | 2005-06-21 09:08 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(2)