あんつぁんの風の吹くまま

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カテゴリ:思想・瞑想・時代考証( 613 )

憲法改正を待ち望む

 どうもこの頃の国会議員を見ていると、議員としての素質にふさわしくない人物が多いように見受けられて仕方がない。とは言っても民主主義の世の中、国民が選ぶのだから、それも何万人、何十万人もの支持者がいるのだから、国会議員は国民そのものであるわけで、議員の素質は国民の素質そのものといっていいのかも知れない。そう考えると、学歴詐称の議員やら、最近のお乳モミモミの議員さんはごく普通の国民のやっていることだと思って嘆くわけにも行かない。
 歴史書に拠れば、日本は八百万の神の時代から、集まって議論をし決定することを是としてきた。素晴らしいことだと思う。しかしながら、近年においてその機能が十分うまく果たされていない。それは何故だろうか。太平洋戦争は残念ながら、普通選挙において選ばれた国会の内閣によって実行されたものだ。
 その原因は三権分立が確立されていないためだと思う。米国のように予算案たりとも議員が立案し提出して、議会の運営は議長に委ねる。法案が間違っていれば裁判所が明確に無効の判決を下す。今は法案の作成も議会の運営も法律の解釈もみな役人に権限を与えてしまっている。戦後、復興を急ぐあまり官僚主体の統制体制を認めてしまった。あれから60年を経た今、この間違いを正すのはやはり国民の責任であろう。
 憲法改正が、この間違いを正し、新しい日本の礎になることを祈るのみである。
by antsuan | 2005-03-22 06:52 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)

万博のディートリッヒ

 愛知万博がいよいよ開催される。日本では過去にも結構いろんな大博覧会が開催されている。大阪の万国博覧会、沖縄の海洋博覧会、筑波の科学博覧会など大きなものだけでもこれだけあって、また二十一世紀にもやるのかとちょっと溜め息をついてしまうのだが、夢を広げるのにはこんなものが必要なのかも知れない。と、あまり興味が湧かないのは、今までにどの博覧会にも行ったことがないからなのだ。
 しかし、万国博覧会といえば思い出す本がある。それは、「南京大虐殺のまぼろし」を書いた鈴木明著の「リリーマルレーンを聴いたことがありますか」である。その本の内容にちょっと触れてみたい。
 大阪の万国博では著名なアーティストを呼んでイベントを盛り上げていた。そして、万博の最後に往年の名女優で、歌手のマレーネ・ディートリッヒを呼ぶことにしたのである。しかし、この企画に非難の声が上がった。いかに有名女優であっても、もう60歳を過ぎた歌手の歌をわざわざ聴きに来る人はいないだろうというのが大方の意見だったのだ。ところが、切符を販売し始めると5枚、10枚と売れて完売してしまった。また、ディートリッヒの公演のことを知った各国大使館の関係者が切符を欲しがって、主催者を慌てさせるまでになった。 そしてその日、公演に集まった客は皆、正装の紳士淑女ばかり。ディートリッヒは張りのない声でボソボソと歌いつづけ、いよいよ最後の曲になった。多分、客の多くは最後に彼女が何を歌うのか知っていたのだろう。いや、絶対分かっていたのだ。ディートリッヒが歌い始めると次々に観客が立ち上がり、一緒に歌い始めたのである。あのリリーマルレーンを。 第二次世界大戦中、前線の兵士たちは、ラジオから流れてくるディートリッヒのあの歌を聴けることが、生きている証だったのだ。だから、あの時の苦しみを知っている人たちにとって、絶対忘れられない歌なのだ。 公演は大成功のうちに終了した。
 今度の万博でもこのような素晴らしいイベントがあることを祈っている。
by antsuan | 2005-03-21 06:01 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)

自浄能力

 科学は進歩するが人間の生き方というのはそう簡単に進歩するものではありません。となると、歴史は繰り返すというのは当たり前のことなのでしょうね。つまり自分が身をもって体験したことは教訓に活かすでしょうが、先人達の経験については伝え聞いたとしても、体験していない以上痛みが分からない。だから、痛みを感じている人や地域が傍にあっても、それを教訓にすることもしないのでしょう。
 サラリーマンは、会社が火の車でも給料をもらっているうちは自営業者と違って殆ど危機感を持たないと云うか分からないでいます。もちろん役人も同じでしょう。こういう人たちが経営に携わることは危機意識の欠如により、おうおうにして会社や組織を危うくしてしまうのです。もちろん国においても同じことです。
 今の日本人が一番苦手としていることは被害者の気持ちを理解することです。いつか自分がその被害者になるかも知れないという危機意識が欠如しているのです。
 組織の中で居心地のいい者は、悪いのは一部の人で他は皆いい人だからという論理を唱えますが、それは明らかに間違っています。他の良い人が悪い人を排除しなくなったとき、良い人とは言えなくなるのです。自浄能力を失った組織は癌と同じで悪性化して社会に影響を及ぼしてしまうのです。
 大東亜戦争の痛みが余りに酷すぎたがために、そして戦後、米国が守ってくれたがために、我が国民は、昔、痛みを感じ危機意識を持って国を守ってきたことを忘れようとしています。竹島問題では、痛みを感じている一地方が立ち上がり決意を表明しました。しかし、国民が痛みを感じている人の危機意識を理解するのはいつのことになるでしょう。北朝鮮の拉致問題を6カ国協議の場に委ねているのを見てそう感じます。
by antsuan | 2005-03-19 07:42 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)