あんつぁんの風の吹くまま

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カテゴリ:思想・瞑想・時代考証( 622 )

神と平和について悩む

神とは何か。
 最近この命題にようやく自分なりに解答を付けられるようになったと思う。幼稚園と小学校をカトリック系の学校で、中学高校はプロテスタント系の学校で学び、天皇陛下の御用邸の近くに住んで、家には神棚と仏壇がある環境に育った。それらを特に排除することなく、総てを受け入れてきたのだが、やはり心の中には神と云うものの存在をどのように受け入れたら良いか決められないでいた。

 神とは心を平和にするものである。
此れが結論であるが、実は前からそのように解釈していた。しかし、今迄その答えに何故か納得していなかったのだ。理由は多分、平和の意味を理解していなかったからだと思う。それは自分だけが幸せであっても平和とは言わないからである。つまりは周りの人の心が平和で無ければ、平和は存在しないのと同じではないか。そこで本当の神とは何だろうと思い悩んできたのだ。
 ヨミウリウィークリー(2005.4.17)の著書からのメッセージという欄に「日本文明とは何か パクスヤポニカの可能性」を書いた宗教学者、山折哲雄氏のインタビューが載っている。山折氏は日本の平和(パクス・ヤポニカ)の意味を、ローマ帝国支配下のパクス・ロマーナや大英帝国によるパクス・ブリタニカ、そして現在のパクス・アメリカーナと比較し、覇権的軍事力を背景にした平和と、日本が今迄経験してきた平和とは持っている意味が違うのではないかと述べている。
 此れこそが、今迄悩み続けてきた疑問だったのだ。「日本は共存システムをつくる伝統を持っている。現代にどう生かすかはわれわれの課題」と、書かれているように、日本人はもともと覇権主義を持たず、共存することを是とし、平和を求めてきた国なのだ。従って平和のために、いろいろな神々を受け入れてきたのである。
 平和を築く、此れが本当の神の仕事だと思う。
by antsuan | 2005-04-06 07:15 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

NHKは反省しているか

少しずつ...この項目は、はーふ・しりあす(フライト009さん)の「少しずつ・・・」に付けたトラックバックです。

 日本放送協会(NHK)は税金と同じように国民から視聴料を取っていることからして公共性を全面に押し立てていますが、此れが、道路公団のように腐ってきた原因だと思うのです。国民が豊かになり自立性が高まってきた今、公共性とは何かをもう一度考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
 公共性を謳い、情報を報道することを生業とするところが、自分の都合の悪い情報は隠そうとした。庶民に対する官僚統制が強まる中、旗本のように御用商人と組んで好き勝手なことをしていては、庶民の怒りが爆発して当然です。
 私自身、古いネタをあたかも最新情報のように扱う間違いをしてしまいましたが、その「アイリス・チャンの死」においても、話はずれますが、彼女の著書「レイプオブ南京」が余りにいい加減で、堪忍袋が切れた日本の有識者に、間違いを具体的に学問的に指摘されて、とうとう日本では翻訳本を発刊出来ませんでした。自虐的性格の強い日本人ですら受け入れられないほどのめちゃくちゃな内容だったからです。
 政治家も役人もそして日本放送協会も気付くべきです。おとなしい日本人であっても主体性を持っていることを。それを踏みにじられたとき、周りがビックリするほど怒りをあらわにします。
 人間ですから間違いを冒すのは避けられません。しかし、それを認識し正しい方向にもって行く姿勢が見られなければ、怒りは収まらないでしょう。日本放送協会も身内に甘いという疑惑を払拭できるような、目に見える改善をして欲しいと思います。
by antsuan | 2005-04-05 07:11 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(1)

残業ってなあに

サービス残業とカラ残業
 最近、新聞を見ているとむかつく記事ばかりだ。いつものことだけど。どうして新聞はこんなに昔と相も変わらぬ大本営発表をしているのだろう。サービス残業は民間企業ばかりではないんだぞ。都市部の比較的経営状態の良い公的病院の医師は殆どがサービス残業をしている。労働基準監督署が調査に入っているが、こういうことは大きく公表されない。まして改善されたかどうかの突っ込みはまるで無い。はっきり言えば法律の方が悪い。お役所のカラ残業もそうだ。職員も悪いが、それを認めた上司の責任はどうなんだ。企業では背任で懲戒免職のところが役所では一ヶ月の減給だと。役人に甘い法律が悪いんじゃないか。事実にもあきれ返るが、報道する新聞にもあきれ返る。責任の追及がおざなりだ。責任の明確化が必要だなんて解説に書けば済む問題なのだろうか。「重箱の隅でごろごろごまめかな」のでんでんむしさんが言われるように、エッチな週刊誌の方がよっぽど事実を報道している。
新聞もテレビもラジオも未来は無さそうだ。
by antsuan | 2005-04-02 07:21 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

誤報ではないが

アイリス・チャンの死について。まず、読者にお詫び申し上げます。
この情報は真実ですが、発信された時期が昨年11月のものでありました。
アイリス・チャンが車の中でピストル自殺したのは、2004年11月9日のことです。
従いまして、写真の検証本は見ていなかったことになります。

インターネットで入ってくる情報はたとえニュースという形をとっていても最新のもの
とは限らないと言う教訓を得ました。
しかしブログは凄い。あちこちでこのアイリス・チャンの死について論評しています。
しかも冷静な目で。ブログの力は恐ろしい。まさに「ペンは剣よりも強し」だ。
by antsuan | 2005-04-01 18:40 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

アイリス・チャンの死

 「南京大虐殺ーー第二次大戦の忘れられたホロコースト」を1997年に書いたチャイナ系アメリカ人、アイリス・チャンが自殺した。36歳で、夫と子供を残して。この自殺を日本の報道機関はまだ発表していないらしい。
 実は、この本を論評抜きで紹介したNewsweek日本語版に対して、抗議の内容の投稿をしたことがある。昨年末には「南京大虐殺の写真を検証する」と言う本が出た。百パーセント偽の写真であることが裏付けられたと云う結果を書いた検証本だが、アイリス・チャンが此れを見てどう反論するだろうかと、ふと頭をよぎった。
 正直言って、この事実が自殺の動機になっているかも知れないと思うのだ。歴史的問題を書くには、彼女は若すぎると当時から思っていた。まるで大学の卒業論文みたいに、教授から資料を提供されて書いたような感じが拭いきれなかった。勘ぐって言えば、この資料提供元がバレるのを恐れて殺されたのかも知れない。
 日本人は前にも書いたように、自分たちの国の歴史を十分に習ってきていない。南京大虐殺については殆ど冤罪に近いと断言したい。そのことを知りたいのならば、真っ先に勧めるのが、鈴木明著の「南京大虐殺のまぼろし」という本だ。その他、歴史全体を知りたければ、ここにも載せた「渡部昇一の昭和史」が、きわめて時代考証を踏まえた名著である。
 アイリス・チャンの死はお気の毒だが、日本人にとって、出版された本だけが独り歩きし始める恐れの方が心配だ。

 ※ 年齢が間違っておりました。32歳ではなく享年36歳ということです。またお子さんの年齢も定かでないので削除しました。お詫びして訂正いたします。
  また、題名もあちらでは「レイプオブナンキン」という衝撃的な内容の本であることを付け加えます。
by antsuan | 2005-04-01 00:31 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

いろいろ言いたいペイオフ解禁

 とうとう来月からペイオフ制度が実施される。日本の金融問題はこれにて一件落着と言うことなのだが、果たしてそうなるだろうか。まず解禁と言う言葉がおかしい。正確には「ペイオフ制度施行」だろう。禁止が解かれても喜ぶことではないからだ。
 次にやはり昭和大恐慌の「金解禁」とイメージをダブらせてしまう。政府はこの制度を施行するために、金融の安定化を必死になっていろいろやってきたが総ては逆効果だった。体力の無い銀行を潰したり、あるいは不良債権を早く処理させて体力のある銀行にさせようとしたが、かえって不良債権を生む結果になり、いまだに銀行の体力は弱ったままである。こんな状態でペイオフを解禁したら、取り付け騒ぎがいつ発生してもおかしくない。確かに株式市場は7000円台から、1万1000円台にまで回復したが、これは民間企業の体力がついてきただけであって銀行の体力がついて来たお陰ではない。
 それと、またまたタイミングが悪い。原油価格が高騰し円安になっている。輸入品の物価が上がるのは目に見えている。銀行に金を預ける余力など市民には無くなってしまうのだ。どんな小さな銀行でも、今度潰れたらペイオフが実施される。その時の国民の不安心理は相当なものだろう。
 最後に「ペイオフ解禁」はやっぱり国民のためにならないと言いたい。資本主義国家であり、企業が責任を負うのは銀行と言えども当然なのだが、銀行の頭取など経営者に責任を厳しく追及する制度が出来て実施してきた以上、今の段階ではペイオフは必要ないと思う。
 いよいよハイパーインフレーションの時代がやって来るかも知れない。
by antsuan | 2005-03-31 07:39 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(2) | Comments(3)

散る美学

 日本では桜の開花もそろそろの今日この頃だが、小さい頃に福島で育ったものだから、桜と云うとサクランボの実の方を思い出すことが多かった。もちろん、福島では阿武隈川の辺の桜も忘れることが出来ない。桜自慢を言い出したら、それこそ全国あちこちから手が上がるだろう。海の向こうのワシントンは、ポトマック川のソメイヨシノは何時ごろ開花するのだろうか。ブログをつけ始めてから、外国に住んでいる方も見て下さることがあると思うと、妙に地球規模で考えるようになったみたいだ。
 あちらの桜は、直ぐには散らず2週間以上は咲いているのだとか。日本から持って行ったものなのに不思議な気がする。いや本来は、日本の桜が散るのが早すぎるのかも知れない。そうでなければ、散る美学が生まれる訳は無い。さらさらと桜吹雪に舞って散る桜。あの爽やかさを、死に際と対比させるのは何故なのだろう。年を取ってくるとどうしても死を身近に感じぜらるを得ないのだが、でんでんむしさんの「無理しないで安楽に死にたいな」にあるように、さらっと死を迎えたい日本人の願望と一致するからだろうか。
 また、日本放送協会の前会長のように不祥事を起こしても恋々と椅子に噛りついているような姿を嫌う日本人の性格が、桜の散り方に想いを寄せるのだろうか。
 しかし、どんな人であれ人生を全うしたいと思うのは当然なのだ。だが、いつそれを全うしたかを見極めるのは難しいことである。だから任務について言えば、任期をつけるのは妥当なことだと思うし、敢えて言えばその任期中に辞めさせるのは勝手すぎるのではないか。そのようなことを考えると、職務に就いている者は常に後継者育成を心がけておかねばならないと思う。軍隊では指揮官が倒れたら次に誰が指揮をするかを必ず決めている。
 死は突然訪れることもある。蕾のまま萎れてしまうこともあると思えば、たとえ一瞬であろうとも咲くことが出来るのは幸せなのだ。また桜の季節がやって来た。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず哉
by antsuan | 2005-03-29 05:32 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

何処まで教わったか

あなたは歴史を何処まで教わりましたか。
 ある調査によると、戦後生まれの日本人は、中学高校で歴史教科書を最後の所まで教わった者は二割程度しかいないらしい。吃驚したと同時に恐ろしいことだと思う。歴史教科書を云々言う以前の大問題である。実は、自分も最後まで教わらなかった。それは先生が時間配分を間違えたからだと思っていたのだが、真相は違っていたようだ。どうせ教えないのだったらその分授業を減らそうと云うことで、土曜日も学校を休みにしたのだろうか。こう言うふうに話をずらして行くと、じゃぁ授業料を安くすりゃいいだろうなんて、問題をすり替えてくるので、冗談はさておくことにして。
 今まで余り問題にしなかったのは、少なくとも50過ぎの年配者は、その教わらなかった部分と云うのが、親の世代のことであり、周りに直に聞くことが出来たからだと思う。だが、それ以降の者にとっては教わる伝手が無い。彼らがシラケの世代になったのはよく分かった。
 こりゃ、韓国の大統領に歴史を反省しない国民と言われても仕方がないわけだ。歴史を教わっていないのだから反省なんか出来るわけが無い。それで知らない以上、声高に言われればそうだろうとしか言えないのも当たり前のことだ。
 どうやらマジで、歴史教育をやめ、道徳教育をやれという意見も教育界でささやかれているらしい。此れは外国の陰謀ではないのか。この国の将来は如何に。かなり心配になってきましたょ。                   右左あんつぁん
by antsuan | 2005-03-27 05:37 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)

チカラについて考える

 力と力、圧力と能力、外向きの力と内向きの力。日本語で言う「力」には何種類かの意味が込められていて、本質を見失うことがある。
 いま問題になっているのは、日本の外交力という言い方をするときの力である。特に武力と対比されるのでややこしくなるのであるが、外交的圧力と外交能力あるいは外交手腕が混同されやすい。もちろん外交能力がなければ外交的圧力など発揮されないので同じことであると大まかに言えば言えないことはない。
 しかし、武力、軍事力による圧力を否定した日本にとって、国民は政府の外交的圧力の発揮に期待していた。ところが、北朝鮮や中国、更には韓国の居丈高な恫喝を受け、政府あるいは外務省の外交能力の欠如にようやく気付き、武力による自衛権の容認という方向に動き出してきた。振り子を元に戻す動きであり常識の範囲内である。だが、やはりここで忘れてはならないのは、外交力、外交能力、外交手腕が弱いと、武力に頼りがちになり、それが戦争になり、結果的に社会全体を不幸にするという過去の経験である。
 実は今日においても、外交能力の欠如は米国の核の傘と云う武力に頼ってきた結果であると云って過言ではないと思う。日本は米国の武力の傘からはみ出るほどに経済が発展したことに気付かず、外交圧力においても米国依存の考えから脱し切れていないのだ。当然、米国からの外交圧力にはほとんど無抵抗となる。
 これからの日本は、武力の有無に係わらず、国民の立場に立った外交能力を高めることのみが自国を発展させる鍵であり、国際交流を盛んにすれば解決すると云ったものではない。それは政治能力を高めることをせずして実現するものではなく、国民一人一人に課せられた究極の課題なのである。
by antsuan | 2005-03-26 01:29 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)

憲法改正を待ち望む

 どうもこの頃の国会議員を見ていると、議員としての素質にふさわしくない人物が多いように見受けられて仕方がない。とは言っても民主主義の世の中、国民が選ぶのだから、それも何万人、何十万人もの支持者がいるのだから、国会議員は国民そのものであるわけで、議員の素質は国民の素質そのものといっていいのかも知れない。そう考えると、学歴詐称の議員やら、最近のお乳モミモミの議員さんはごく普通の国民のやっていることだと思って嘆くわけにも行かない。
 歴史書に拠れば、日本は八百万の神の時代から、集まって議論をし決定することを是としてきた。素晴らしいことだと思う。しかしながら、近年においてその機能が十分うまく果たされていない。それは何故だろうか。太平洋戦争は残念ながら、普通選挙において選ばれた国会の内閣によって実行されたものだ。
 その原因は三権分立が確立されていないためだと思う。米国のように予算案たりとも議員が立案し提出して、議会の運営は議長に委ねる。法案が間違っていれば裁判所が明確に無効の判決を下す。今は法案の作成も議会の運営も法律の解釈もみな役人に権限を与えてしまっている。戦後、復興を急ぐあまり官僚主体の統制体制を認めてしまった。あれから60年を経た今、この間違いを正すのはやはり国民の責任であろう。
 憲法改正が、この間違いを正し、新しい日本の礎になることを祈るのみである。
by antsuan | 2005-03-22 06:52 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)