あんつぁんの風の吹くまま

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2005年 12月 01日 ( 1 )

森の中の神社と荒野の神殿


 私の友人に材木屋の社長がいて、ちょっと俗世間から離れているような変わった人物なのだが、思想信条をしっかり持っているので話をすると結構面白い。その彼が十年ほど前から廃材を使って地藏さんを造っている。もう百体以上にもなり、作り始めの地藏さんはお人形のようだったが、最近のものは仏像のような立派なものになって売り物にもなるくらいだ。

 その彼が最近の大工は木材で家を建てる事が出来なくなってきたと嘆いていた。いろいろ理由があると思うけれども、一つには建築基準法と云う法律によって木材による建物を造りづらくしているのではないかと思う。建築基準法が悪いとは言わないけれども、木の文化によって日本は支えられてきたと考えると、やはり何とかしなくてはいけないのではないだろうか。

 欧米の文化は石の文化だと思う。勝手に解釈しているだけで別に根拠はない。日本は木の文化であって、つまり、無機物の文化と有機物の文化と云う事になる。この違いは神様の違いでもあると思う。なぜなら日本の神様は森の中に祀られていて、他の神様は殆ど石の神殿に祀られている。ギリシャの神殿やイスラムのメッカ、ユダヤのエルサレムなどがそうだ。
 
 絶対的な宇宙を創造した神と、何やらはっきりしないけれども宇宙と云う世界が在ってそれを支配している神の違いなのだろうか。そんなことはどうでもいいのだが、どちらの神によって人間は救われるのかと考えてみると、無機物的な神よりも有機物的神の方に親近感を抱いてしまうのはやっぱり日本人である証拠なのだろう。

 木で作られた建物はその切り倒された木の寿命と同じだけ持つものだそうだ。最近、永久建築物と言われる鉄やコンクリートで出来た建物がどんどん出来ては次々と壊されて行くのを見ると、有限的な木の建築物の方が、神と共に生活するには相応しいのではないかと思うようになった。
by antsuan | 2005-12-01 18:27 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)