あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

2005年 07月 13日 ( 1 )

私の茶色の写真

 最近、年のせいでしょうか、昔の少年時代のことを思い出すようになりました。一番小さい頃の記憶は多分五歳前後のことだと思います。昭和三十年頃に福島駅裏の三河南町と云う辺りに住んでいて、その社宅の廻りで遊んでいた記憶が残っています。

 社宅の前のドブ川は本当に汚かったのですがドジョウはいました。ドブ板を踏み外して足を汚すのはしょっちゅうの事で、そんなことぐらいでは親に注意された事は無かったと思います。道路の向かい側には鉄材を扱っていた小さな工場があって、愛用の三輪車、といっても、もちろん中古品でサドルは板がむき出し、ペダルもハンドルの握りも、ただのパイプのみというポンコツの代物だったのですが、壊れてもその工場のおじさんの所へ持って行くと直してくれるので、本当にボロボロになってもとことん乗り回していました。

 夏の暑い日の事です。秋田のおばあちゃんが遊びに来ていて、一緒に昼の食事をしていた時、同じ社宅の子が、火事だ火事だと泣きながら叫んで家の前を通り過ぎて行きました。飛び出してみると真っ黒な煙が上っています。バス停に行く途中の綿工場からでした。従業員が慌ててドブ川の水をバケツにすくってかけていますが、あっという間に窓から炎が噴き出し、もう手が付けられなくなってしまいました。ぼう然と立ち尽くす従業員の姿がとても印象的で、私の後で見ていたおばあちゃんが、かわいそうにあの人達はこれからどうなるんだろうという言葉の意味もよく飲み込めないまま、その姿を見ていました。焼け跡は、何ヶ月も経っても焦げた柱が何本か残ったままでした。冬になってもそのままです。そこだけが人気の無い空間で、怖くて近づくことが出来ませんでした。

 そう言えば、その頃はまだ夜になると辺りは真っ暗で、夕暮れまで遊んでいて友達と別れるとひどく怖くて、一目散で家に帰った記憶があります。街灯など全く無く、田んぼ辺りで遊んでいたりすると肥だめに落ちる事があり、それこそべそをかきながら帰ったものでした。

 夕焼け小焼けの日が暮れてーと歌いながら、友達と手を繋いで道幅一杯に広がって自分の影を踏みながら歩いても、自転車一台通る事も無く、とても広い道のように思えたバス停までの道が、私の子供の頃の原風景として、焼け焦げた綿工場とともに残っています。

 あれから数十年経って、新幹線の駅がその福島駅の裏側に出来た時、秋田へ行く用事の途中に下車し、独りそっと昔の住んでいた辺りを歩いてみたのですが、小鮒をとった小川もドブ川ももちろん無く、住んでいた所も駐車場らしき広場になっていて、全く昔の面影を見る事は出来ませんでした。

 今、わが家では三人の息子たちが無邪気に遊び回っていますが、もう二十年もすれば、この辺もすっかり変わり、自分たちの小さい頃を懐かしむ事だろうと思います。そんな思い出の一つに、穴の開いたふすまも懐かしむ事だろうと、そのままにしてあります。

 こんな言い訳に、もう家内も呆れて何も言いません。
by antsuan | 2005-07-13 19:07 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)