あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

ブログは続く

個人史から見た社会

 「マッカーサーの日本」という新潮社から出した本の前書きだったと記憶しているのですが、敗戦後の日本人は、文字通り生きることに精いっぱいで、日本という社会のことを考えたり見つめたりする余裕などなかったけれども、やはり、そろそろ自分が生きた時代がどういう時代だったかを見直してみるのも、価値があるのではないだろうか、と書かれていたように思います。

 個人史にとって、殆ど全てが未曾有の経験なのだと思います。その体験を他の人たちと共有したという社会観が、新たな未来を築く上で、必ず何かしらの役に立つのではないでしょうか。

 私はと云えば、"朝鮮戦争"が勃発した月に生まれたという社会観から始まるのですが、幸いというか、敗戦に打ち拉がれた悲しみ悔しさは無く、我が国の高度成長期の波に乗り、自信と喜びに満ちた社会観ばかりを共有してきました。

 昭和三十四年四月十日の皇太子ご結婚のパレードはテレビで観たし、従姉妹が青山に住んでいたので、そのパレードの様子を叔母からつぶさに聞きました。

 昭和三十八年十一月、初の日米宇宙テレビ中継がつながったと同時に、ケネディ米国大統領暗殺の緊急放送があって、本当に鳥肌が立ちました。

 昭和三十九年の東京オリンピックの開会式のテレビ中継も観ました。夜半までの大雨が嘘のように晴れ上がり、「まさに天皇晴れであります」と、アナウンサーが万感を込めて言うのを聴いています。

 昭和四十四年の東大紛争による安田講堂占拠事件は、高校三年の卒業を控えた時でした。

 昭和四十五年の大阪万博が始まった次の月に海上自衛隊に入隊し、同年、十一月二十五日の三島由紀夫割腹事件の時には、護衛艦隊旗艦「あきづき」の一水兵として事件の推移を東京湾上で見守りました。

 しかし、それ以降の時代については、自分の個人史と社会が重なり合いません。自分は自分、社会は社会の覚めた関係になってしまったようです。それが何故だか分からないけれども、多分、それ以降はがむしゃらに自分が生きた時代だったからではないでしょうか。いや、自分にとって、社会の出来事がもはや未曾有のものではなくなってしまったからかも知れません。

 天皇陛下御成婚五十周年記念の年、日本の社会も一区切りがついたような気がします。そのせいでしょうか、何となく、私自身、もう一度自分史をたどってみたい想いに駆られています。

 ということで、私のブログはまだまだ続きます。
by antsuan | 2009-04-14 19:43 | 情報通信・パソコン | Trackback | Comments(2)
Commented by yuuko-11 at 2009-04-15 11:57
うん、続けてください(笑)
ついでに、↓のコメなんですが
「献」は恐怖の漢字だワン!怖いよ~(夕子より)
(気にするのはココじゃないような気がするが…)
Commented by antsuan at 2009-04-15 14:32
・よっしゃ! 勇気百倍
yuuko-11さん、発情したわけではないのですが、ちょっと血の気が多くなってきたようなので、抜いてもらいました。(笑)