あんつぁんの風の吹くまま

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過去の賞罰

 今年は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決が下って六十年目に当たる。おそらく十一月や十二月二十三日にはそのことの話題が世間にも上ることであろう。

 パルの「予言」にも書いたように、この長い年月を経て、当時の機密文書が公開され、ようやく「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平行に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」時がやってきた。

 マッカーサー元帥はウェーキ島におけるトルーマン米国大統領との会談で、「東京裁判は平和のために何の役にも立たなかった」と述べていたことが、当時の機密文書が公開されて明らかになった。想像するに、フィリピン統治時代にマッカーサー元帥は反乱軍の首謀者を処刑しなかったことを念頭に置いた発言だったのではないか。この後、解任されたマッカーサーは米国議会の公聴会で、「あの戦争は日本にとって主に自衛のための戦争であった」と述べたことは、良く知られている。

 また、無罪判決を下したインド人のパール判事に対して、マッカーサーはその労をねぎらう感謝の手紙を送っている。この様に、占領軍総司令官であったマッカーサー元帥自身も、あの東京裁判の不正を十分認識していたのだ。

 しかし、熱狂と偏見をやわらげるには十分な時が経ったと云うのに、敗戦国民の我々のなかに、あの政治ショーであった東京裁判を肯定する人々が未だにいるのは残念なことである。
by antsuan | 2008-09-18 10:22 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)
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Commented by nakanokeiichi at 2008-09-18 21:38
京都の東山には霊山護国神社があり
   立派なパール博士顕彰碑があります。 2度ほど上らせていただきました。 京都盆地が一望できて良いところですよ。  こうして歴史の事実を残しておられることも有りますが、その逆に  敗戦国と言うことが必用な人々も多く入るでしょうね、戦勝国としての立場を必要とする人々と共に。
Commented by antsuan at 2008-09-19 05:03
・誤った歴史を学んでしまったら、そこから得るものは悲劇でしかないと思います。 自虐意識が心地よい人もいるでしょうが、健全な国際交流を妨げる一因でもあることを理解して欲しいですね。
Commented by sweetmitsuki at 2008-09-19 05:35
少々話は逸脱しますが、インド人のパール博士としては、イギリスがインドに対して行った蛮行を今一度国際社会で問い質したかったという想いがあったと思います。
イギリスはインドに対し第一次世界大戦への協力と引きかえに戦後の自治を約束しておきながら、令状なしの捜査・逮捕と裁判なしの投獄を認めるというローラット法を制定し、1920年にはパンジャブ州のアムリッツァーで開かれた抗議集会で民衆に発砲し1,000人を超す死傷者を出す事件を起こしています。
パール博士はそんなイギリスに他国を裁く資格はないと言いたかったのかも知れません。
Commented by antsuan at 2008-09-19 05:50
・おっしゃる通りだと思います。
sweetmitsukiさん、実はフィリピン人に対してアメリカもイギリスと同じことをやっているんですね。時の統治者はマッカーサーの父であり本人でもありました。
東京裁判は白人に反抗した原住民に対しての見せしめみたいなものがあったに違いなく、しかし、それは逆効果だと云うことをマッカーサーは知っていたのだと思います。