あんつぁんの風の吹くまま

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第一歩のフットプリントは母のこと (その二)

 母は五人姉妹の次女で、もともとは三女の妹が養女に行っていたところへ、その妹が十歳になる前に結核で亡くなってしまったために、代わりに結婚前に行くことになったようだ。その事が余計に母の心中を複雑にしたのではないかと思う。

 養女になり結婚しても、戦時中のことであり、また敗戦と云う大混乱、大不況という状況で、その養女となった先の親戚の世話や面倒を殆ど全部見る破目になった。当時の悲惨な状況を考えてみれば、他の家族の面倒を見れると云うことはそれだけ裕福だったことを意味していて、十分幸せな部類であったのだろうが、やはり割り切れない思いを持っていたようだ。

 養女として来たところの親戚の家族と、そして夫の親戚の面倒を殆ど全部見ていたようである。それは福島へ夫が転勤するまでの新潟に住んでいた時期、長男が生まれても続いていた。しかも、夫は博士号を取得するために殆ど研究生活をしていて収入などなかったのだ。

 つまり、実家からの仕送りや援助を当てにして生活していたのである。このことがますます母の肩身を狭くする思いを募らせたに違いないが、実質的には養女になった先の親戚を含めた家族の大黒柱だったわけである。今だったら胸を張って大威張りするところであろうが、その時代は養女として、妻として当然のことと見做されていただけでなく、後々まで、実家から可愛がられていたとして、面倒を見ていたまわりの家族や姉からもそして夫からも嫉まれてもいたのだ。

 娘時代は何不自由することのない幸せな生活をしていたに違いない母が、死ぬまで実家に足を向けて寝られないと言っていた意味はここにあった。そのことを理解出来るようになったのは、母が脳腫瘍で手術をして寝たきりになってからのことだった。

 おわり
by antsuan | 2005-06-05 08:29 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)
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