あんつぁんの風の吹くまま

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海神を見た

 このところ宴あとの虚脱感で仕事に身が入らない。それほど楽しい充実したパーティーだったことは事実だが、この脱力感は多分それだけではないと思う。あのケンノスケカップレースのマークとなったブイ回航時の危機と、翌日の各艇それぞれのレース、即ち、母港へ戻る帰路の体験が、心を虚ろなものにしているのだ。

 宗教心についての世論調査を讀売新聞がやっていて、昨日の朝刊に、今年の結果と山折哲雄氏の論評が載っていた。その山折氏は論評の冒頭でこう言っている。「日本人の信仰は多くの神々を信じる多神教だ。日本の豊かな自然は人間をその懐に包み込んで、神や仏といった人間を超えた存在を感じさせる力を持っている。日本人は唯一の超越的な神を信じる一神教を求める必要はなかった。 多神教が『感ずる宗教』だとすれば、一神教は『信ずる宗教』だと言える。・・・」

 あの、コースが短縮された単調なはずのレースと、それぞれの艇の帰路の船旅は、実は海神との戦いであったのではないか。そう思わざるを得ないのだ。

 通称パヤオと呼ばれる巨大なブイを反時計回りで方向転換するとき、海神は我々を試したのだ。ブイを回ろうとすると、艇の速度はぐっと落ちてどんどんブイに吸い寄せられて行く。慌てて元の方向に戻る。なかなか離れない。どん尻にいた我が艇は、先行艇がブイの周りで右往左往しているのを遠目で見ていたのだが、この神の試練に気がつかなかった。それどころか先行艇に追いついて来たのを小躍りして喜んでいたのだ。

 ブイに泡立つ波を見ると、潮の流れはあたかも雨上がりの水嵩を増した急流のようだ。緊張が走った。躊躇は許されない。レースを放棄する覚悟で方向転換する。十分にブイから離れたところでもう一度方向転換を試みる。すーっと船と船がすれ違うようにブイは遠ざかって行った。

 あそこには海神がいたのだ。そして、人間を超える存在感を示した。翌日の帰路については前に書いたのでここでは省くが、波風の脅威を乗り切って我が港に戻ってきたとき、自分は海神に許されて生かされたのだと思った。私は「感ずる宗教」の信者なのだ。
by antsuan | 2008-05-31 14:29 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(2)
Commented by syenronbenkei at 2008-05-31 17:51 x
うちは読売取ってないけど、その記事読みました。
(どこでだろう?)
「信じる」と「感じる」。
わかりやすい区別と思います。
信じても感じることのできない人が盲信して道を誤るような気がします。

今日の記事のサブタイトルはポセイドンアドベンチャーワールドですか?
海神も怪人には勝てなかった?(笑)
Commented by antsuan at 2008-06-01 06:21
・>信じても感じることのできない人が盲信して道を誤るような気がします。
なるほど、そうですね。では、感じても信じることの出来ない人はどうなるんだろう。誤る道が無いから気にしない?
いやいや、勝ったのではなくて許してもらえたんだと思っています。ポセイドンって、ホンにどんな顔しているか分かんないドー。川釣りではカッパに気を付けてね。