あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

それぞれの宴後

 海の女神の配慮なのか、ケンノスケカップヨットレースは天気予報を覆し、無事雨に見舞われることなく終了した。表彰パーティーの時に降ってきた雨を見て、誰もがホッとしたに違いない。しかし、華麗なるパーティのあとにもう一つのドラマが待っていた。それは、あたかも出場した船に課せられた終幕であり、このレースの本当のクライマックスだったのである。

[・レース艇がスタートするか否か、またレースを続行するか否かは全て各艇の責任のみで決定される。] 本競技の帆走指示書にはこのように書いてある。それは終わったあとも全く変わらない。つまり各艇の責任において決定されるものなのだ。参加艇の「福丸」は、林賢之輔設計の船を信頼し、家族を陸路にて帰宅させ、自己責任の下に嵐の闇夜を出港した。詳しくは「福丸」のブログを読んでいただければ分かるが、これが海の男の決断なのだ。

 我が「しおかぜ」はどうだったか。パーティー終了後は、近くの旅館に一泊してレースの疲れを癒した。翌朝、朝市のやっている広場を見たが、一向に天気の回復する兆しは見られない。桟橋に行ってみると、大型艇は殆ど母港へ帰港の途についたようで、数艇が舫っているのみである。天気が回復してくる確信はあったが、港の外を見てみると山のような波が岸壁をたたきつけているのが見える。仲間の助言に従って三男を陸路で帰すべく自宅に電話して迎えに来させた。正午を過ぎても未だ風が治まらないが、出港するかしないかは午後二時に判断することを皆に伝えた。

 昼食後、腰の強い風が治まってきたので出港を決意する。機走にするか帆走にするか迷うところだが帆走の準備をした。延長の停泊料を払い、いよいよ出港だ。港内は機走でなければならない。八馬力のエンジンを信頼して港外に出る。途端に波に突き上げられ波間にたたき落とされる。我慢して航路標識を過ぎるまで機走し、嵐用のストームジブを上げた。心なしか艇が安定したようだ。メインセールも上げようか迷ったが、陸から十分に離れるまでこのまま機帆走で行くことにした。一路、GPSに入力してある葉山を目差したいところだ。しかし、定置網に引っかかるのを恐れて沖だしのコースをとった。

 乗り組んでいるのは、海を知っている気心の知れた友人と十七歳の長男である。長男は相模湾を横切ったことも東京湾を渡ったこともある。「しおかぜ」にとってベストメンバーと言っていいだろう。舵は長男に取らせてスクリューに藻がからまないように気をつけながらそのまま機帆走を続けた。

 荒崎沖の亀城礁の灯台を過ぎた辺りから風も波も治まって来た。空が明るくなり、時おり雲の陰に白い太陽が見える。葉山までもう一息だ。しかし辺りには一艇の船も見えず、嵐の余韻が残っている。すっかり波風の鎮まった泊地に着いて、ブイに舫ってみると、繋いでおいた小舟が水船になっていた。

 着いたのが午後五時、たった十六キロの航海だったが、無事着いた安堵感は何とも言えないものがある。みんな顔をほころばせて見合った。また一つ海に学んだ。

 海よ「しおかぜ」よ、有り難う。
d0001610_843192.jpg

by antsuan | 2008-05-28 08:17 | 自然・ブルーウォーター・競技 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://antsuan.exblog.jp/tb/7988910
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by molamola-manbow at 2008-05-28 13:27
antsuanさん、お疲れさんでした。
それぞれのレース、真の本番は翌日でした。
日本の海、海図上の沈み根、岩礁よりも滅多矢鱈の定置網の方が怖いものになってしまった。
ご苦労さんでした。
下田、西伊豆の船、あの海の中で下田まで十時間強の我慢を強いられたらしい。
真向かいでしたから、キッチングも半端じゃなかった筈です。
Commented by antsuan at 2008-05-28 18:20
・今度、ハーネスを用意します。
みんなが出てしまったので、こちらも危うく出港しようかと思ってしまいました。自己判断、自己責任、出港する勇気、とどまる勇気、海は偉大なる教師ですね。