2008年 04月 17日
後期高齢者、その昔国家を再建した紅顔の美少年
医療・福祉行政に何が起こっているか。もうみんな気がついていると思います。お年寄りが増えるということは、治療や介護の必要な人々が増えるということでもあります。そんなことはお役人はとっくの昔に気がついているのに、その医療費を抑えようとしているのです。
それは何故でしょう。健康保険制度が破綻してしまうからという理由なのですが、それが間違っていることを、国民ははっきり云うべきときに来ているようです。国民の健康を維持するのが目的であり、健康保険制度はその目的を達成させるための一手段でしかありません。 「手段」を維持するために「目的」を捨てることをしてはならないのですが、困ったことに、この手段には美味しい蜜がしみ付いており、それを食い物にしている公的機関が沢山存在しているのです。その最たるものが社会保険庁です。国民や企業が納めた年金をきちっと管理するのが役目の国家組織ともあろうところが、その職務を遂行せず、誰から預かったか分からないと言って、預かっているお金を払おうとしません。 その額を政府は未だに公表しようとしていませんが、少なく見積もっても数十兆円に上る筈です。さぁ皆さん、その宙に浮いた年金のお金は金庫の中にしまってあるでしょうか。政府が額を公表しないことから容易に想像出来ますよね。 じつは昔のことですが、南米でも同じことがあったのです。役人が、積み立てていた年金を自分たちで使い込んで、金庫の中を空っぽにしてしまったのです。このことで国家は借金を払えなくなって債務不履行(モラトリアム)を宣言し、アメリカでは深刻な金融危機に陥ったほどです。ちなみに、その時には米国政府はこっそり大手民間銀行に財政支援をしていたのです。 我が国民は、諦めるのではなく、怒るべきでありましょう。そうでなければ、第二第三の役人による国家財政の使い込みが起きてしまいます。それを許してはなりません。すくなくとも、年金問題で支給先の国民を特定出来ないのであれば、その宙に浮いたお金をお年寄りの医療・介護のために使おうではありませんか。だって、崩壊した国家を建て直したのは、役人が後期高齢者と呼ぶ、その昔、紅顔の美少年、美少女だった方々なのですから。
by antsuan
| 2008-04-17 11:13
| 政治・経済
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Trackback(1)
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Comments(15)
Tracked
from 墓の中からコンニチワ
at 2008-04-17 16:12
タイトル : 新たな流行?
「後期高齢者医療保険」の保険料天引きに関する騒動はようやく静まったように見えます。 そして、騒動の鎮静化と共に現役世代、特に20代30代の若い人たちのネット上における発言に見られる「誤解」が「正解」として定着し始めたように感じます。 厚生労働省の見込では、この保険における給付の原資の1割が被保険者が支払う保険料、4割が現役世代(とその雇用者)が支払う健康保険料、残りの5割が公費(所得税、住民税など)となっています。 マスメディアは「保険給付の9割が現役世代の負担」ばかり言っています。実際には...... more
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Count_Basie_Band at 2008-04-17 14:03
要は、国というシステムが何を「目的」として構築されているか、ということですよね。
たとえば天皇制というような「「国体」の護持が目的であれば、たとえ人間であろうと目的を満たすのに役立たないものは不要であり、処分すべきなのです。 どこかの知事が「あぁいう人には人格があるのかね」と疑問を呈した脳障害の人々や、生殖年齢を過ぎた人間は処分すべきなのです。「国に命を捧げられない」人間は処分すべきなのです。 そして、目的遂行を担当する立場の人々の間で「目的」の認識がマチマチであればシステムは迷走します。 非常に分かりやすい話でしょう。
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antsuan at 2008-04-17 16:45
・国家とは、国民の平和と安全を守るための手段であって目的ではないのですが、議会(集団指導体制)ではその「目的」が党利党略によってブレてしまうことが問題なのだと思います。
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saheizi-inokori at 2008-04-17 22:56
お年寄りの医療費の収支だと伊吹何がしがほざいていましたが、それをいうなら我々のすでに払ってきた年金掛け金はどこに計上するのだろう。
この金で昔の年寄りは安穏な老後を送ったはずだ。 今まで年金に払った金を銀行貯金をしていればずいぶんこれから楽になるはずなのに。
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syenronbenkei at 2008-04-17 23:21
国家とは、国民の平和と安全を守るための手段であって目的ではないという意見、しっくりきます。
でもそうなると、国家の目的って何になるんですか? 平和と安全を得ることができるなら、国家という手段を選ばなくてもいいという逆説が成り立ってしまいます。 カウントベイシーさんの言われるような「国体」の護持を目的としてるなら、なんだか本末転倒ですよね。 だから今の理不尽な社会があるんですかね。 それをただすことができるのは国民のはずですが、選挙という消極的な手段以外に国民にその権利を持たそうとしない議会というのはもう少しどうにかならないんでしょうか。 うーん、何を言ってるか自分で読んでもわからんコメだ(笑)
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Count_Basie_Band at 2008-04-18 05:09
>国家とは、国民の平和と安全を守るための手段であって目的ではないのですが、
それ、どこの国家の話ですか。 「国家の目的」は各国の憲法または憲法と同等の効力を持つ文書に明記されています。 日本の場合は「個人の尊厳の確立」が「目的」です、 そして個人の尊厳の原理の具体化手段としては、 基本的人権尊重主義 自由主義 福祉主義 平等主義 平和主義 権力分立制 民主主義(国民主権主義) 法の支配 とされています。 現在の問題は、この「福祉主義 」に沿っているかどうかですね。 アメリカに押し付けられた憲法だの何のと言っていますが、とにかく現時点で有効な憲法であることは確かです。
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antsuan at 2008-04-18 14:57
・左平治さん、宝くじじゃあるまいし、てら銭のつもりで取るにも程があるって云うもんですよね。松下翁の「無税国家論」って、アラブやチャイナがやっているファンドのことなんですから、極めて現実的なんですが、彼らに運用を任せていたら、いまと同じことになっていたでしょうね。
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antsuan at 2008-04-18 14:58
・セイロンベンケイさん、そうでしょ。そしてそういう疑問も出てきて当然です。その逆説も“可なり”なんです。平和で安全である目的が達成されるのなら、国家なんて要らない。発展的解消することになります。パクスロマーナがそうであったんではないでしょうか。そして平安時代のこの列島においても。
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antsuan at 2008-04-18 15:23
・現憲法が現時点で有効であることに異論はありません。しかし(日米安保)条約も憲法と同等の扱いを受けていますね。ですから、「国家の目的」を哲学(宗教)、自然の摂理と言う意味では科学的に論じたいと思います。以前にも書きましたが、憲法改正の前に“新五箇条の御誓文”を創るべきと考えています。http://antsuan.exblog.jp/5724594
Count_Basie_Bandさん、「国家の目的」即ち「国是」は、憲法に先んじるものとして明記すべし、というのが持論です。
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syenronbenkei at 2008-04-18 23:28
憲法には「個人の尊厳の確立」なんて書かれてるかどうかしりませんが、それはあんつぁんの言う新五箇条の御誓文に道徳として書いておけばいい話だと思います。
僕はカウントベイシーさんが言われるようなイズムはどうでもいいなぁ。 イズムに振り回されると人殺しに行かなきゃならなくなりますから。
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Count_Basie_Band at 2008-04-19 07:36
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syenronbenkei
at 2008-04-19 11:59
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Count_Basie_Band様。
いくつかのブログでお名前拝見しております。 さて、お名前拝借とコメントの引用をさせていただきましたが、Count_Basie_Bandさんへの横レスではないのですよ。 お気を悪くなさらないでくださいね。 Count_Basie_Bandさん、あんつぁんの記事の内容に対して、福祉主義というものを出すためにいろいろな主義を羅列したのだろうとは思っています。 ただ、私のコメントはそれからずれたところのもので、国家の目的とはなんぞや?なんです。 で、私の言いたかったことは、法律で決まっていることを目的としてしまっては、例えば戦争が始まれば人を殺しに行くことが目的となってしまうというおそろしさについてです。 主義主張はけっこなことですが、法で決められた主義主張にふりまわされるのはまっぴらだということを言いたかったまででして。 その意味で、個人の尊厳の確立などというものも法で定めるべき筋のものではないと考えています。 以上、ハテナが並んでいるだけですのでCount_Basie_Bandさんが何を疑問に思われているのかわかりかねますが、想像できる範囲でお答えに代えて。
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Count_Basie_Band at 2008-04-19 14:00
>Count_Basie_Bandさんが何を疑問に思われているのかわかりかねますが、
どうにも文意がわからなかったんですよ。私は「イズム」なんて書いてませんしね。 >法律で決まっていることを目的としてしまっては、例えば戦争が始まれば人を殺しに行くことが目的となってしまうというおそろしさについてです。 それは対60年までの日本の現実ですよ。法律で決まっていたからです。法治国家というのは「国の行動を法律で定める国」という意味です。法律が決められたら遅かれ早かれ実施されます。 だから憲法を制定している国は、概ね、国の目的が憲法の前文に書かれています。 たとえばアメリカの憲法では 「より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって...」(訳文はWikipediaよpり) とあります。イギリスには憲法がないことはご存じですよね。
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Count_Basie_Band at 2008-04-19 14:00
日本国憲法の前文は
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」 となっています。そして本文には私がコメントに列挙した基本思想が書き列ねられています。 従って、憲法以下の法を改廃することは国民の選択です。 >個人の尊厳の確立などというものも法で定めるべき筋のものではない 憲法で定めてあっても侵されているものが、何の拘束もなくして守られるかどうか、それこそ”国民の代表者”が行使する権力次第ですね。 個人の尊厳を侵す”代表者”を選んでしまったら”自業自得”のそしりを免れないでしょう。 私の世代には時間が残っていませんから「しょうがねぇな」と諦めることになりそうですが、時間がたっぷり残っている皆さんは「権力の行使」という言葉から噛みしめて考えてください。
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Count_Basie_Band at 2008-04-19 14:20
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antsuan at 2008-04-19 14:51
・Count_Basie_Bandさん、セイロンベンケイさん、コメントは大歓迎ですが、今回のコメントに対して返事はいたしませんので、悪しからずご了承下さい。
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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