あんつぁんの風の吹くまま

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『恋文』日本人の魂の記録

 昨日は、讀売新聞の[編集手帳]に載っていた「忍ぶ恋」の事を書いたけれども、先日買った文芸春秋には、「世紀のラブレター50通」という題で、梯久美子が有名人の愛の告白について書いているので、今回はその一部を転記する。

 この題の枕詞は"これは日本人の魂のドキュメントだ"となっているように、日本人の心の素顔を表している。だから、出来れば、作家の梯久美子にはラブレターとかドキュメントとかの軽い感じのする横文字を題名に使って欲しくなかったという思いが残る。読んでみれば分かるが、内容からしても「昭和の恋文」とした方が相応しいように思う。その中にあっても、『遺書としての恋文』にはやはり心を打つものがあるので、少々長くなるが、[戦犯法廷での再会]の部分を抜粋して紹介したい。

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 戦犯法廷で裁かれ、死刑となった将官の夫婦愛を伝える遺書もある。バターン死の行軍を含む捕虜や民間人への残虐行為の責任を負わされ、銃殺刑となった陸軍中将・本間雅晴。ただしこれらの行為は実際には本間の指示で行われたことではなく、裁判は、フィリピン攻略の緒戦で本間に敗北を喫したマッカーサーによる、いわば復讐劇だった。
<過去二十年ノ家庭生活ヲ顧ミレバ茫々夢ノ如シ。
 御身ハ温良貞淑ノ妻トシテ能ク家ヲ修メ子女ヲ養育シ唯々感謝アルノミ。
 予ノ亡キ後ハ一家ノ責任悉ク御身ノ双肩ニ懸カル。願ワクハ自愛自重長寿ヲ完フセラレヨ>(巣鴨遺書編纂会『世紀の遺書』より 以下同)
 妻・富士子への遺書は簡潔だが、子供たち宛の遺書に、次のような一節がある。
<母ははるばるマニラまで来て実に立派に働いて呉れた。法定に於ける母の証言は完全であったと弁護団の人達は言った。母は他の私の友人達と共に人事の限りを尽くしてくれた。(中略)母の正義感は正しく強い。御身等は珍しく立派な母をもったことに感謝し孝養を尽くさねばならぬ>
 本間の妻・富士子は、証言台に立つため、東京からマニラに駆けつけた。そして、夫が開戦に反対していたことやフィリピンの人々に対し平和的であろうとしたことなどを懸命に述べた。最後に、本間雅晴の人間性を問われ、富士子は毅然としてこう言った。
「私は夫が戦争犯罪人として被告席にある今もなお、本間雅晴の妻であることを誇りに思っています。娘は、本間のような人に嫁がせたいと存じます」
 被告席の本間は涙をぬぐった。この証言は法廷中を感動させ、『タイム』誌にも紹介された。敗戦国の女性が、もと敵国の法廷で、夫への愛を高らかに歌い揚げたのである。
  大役を終えた妻が帰国する日、本間は獄の中で<空の旅に弱い妻が飛行機に酔いはせぬかと心配だ>と日記に書いた。富士子の証言から二ヶ月後の昭和二十一年四月三日、本間は処刑された。五十八歳であった。

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 忍ぶ恋に比べて、こちらは品格のある愛の告白である。それも、覚悟を決めた、本当に魂の底からのまばゆいものを感じる。それだからこそ、このような記録は日本女性の文化の高さを世界の人々へ知らしめたに違いなく、戦勝国の政治家は恐れ戦き、歴史を捏造することにより、己の文化の正当性を叫ばざるを得なかったのだ。
by antsuan | 2007-12-23 22:43 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)
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