あんつぁんの風の吹くまま

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水漬く屍、草生す屍、そして巣鴨プリズンの「忍ぶ恋」

 この頃の新聞は、報道機関というよりも広告業に成り下がったような気がするけれども、読売新聞の[編集手帳]は、時々乙な事を書くので面白く読んでいる。先日も、作家、城山三郎の遺稿に絡めた「恋の至極」を書いているので、転記しておきたい。

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 「葉隠」は武骨な書物のようでいて、時折、思いがけない文章に出会う。「聞書第二」の条に、「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」とある。無上の恋とは、胸に秘めた片思いのことだと◆青春期は片思いの季節といわれるが、老いのなかで再び、その季節を知る人もいる。伴侶に先立たれた人が天上に寄せる思慕の情もまた、呼んで届かぬ「恋の至極」に違いない◆今年三月、七十九歳で死去した作家、城山三郎さんの遺稿が見つかった。四十六年間を連れ添い、七年前に六十八歳で亡くなった妻、容子さんの面影がつづられている。「そうか、君はもういないのか」。題名が心にあいた深い空洞を伝えている◆「天から妖精が落ちてきた」と胸をときめかせた出会いを語り、がんと分かって、「大丈夫。おれがついている」と抱きしめた悲しみを語る。「五十億の中でただ一人『おい』と呼べるおまえ・・・」にあてたラブレターでもあろう◆浜口雄幸、広田弘毅、石田礼助・・・男の人生を原稿用紙に彫り刻んできた城山さんは、菊池寛や吉川英治、松本清張などのいわゆる"男子専科"の系譜に連なる作家とみなされてきた。「女を書けない」と評されたこともあった◆書けなかったのではあるまい。無上の恋を、「恋の至極」を書く対象は城山さんにとって、この世にたった一人しかいなかったのだろう。

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 やはり、城山三郎に武士道精神があったに違いない。いや、大和魂とはそういうものだったと言った方が適切なのかも知れない。

 幼少の子供三人と若き妻を見捨てて、仕事のために満州にとどまった夫の新田次郎を、二十五歳の藤原ていは、非情な男と恨みに近い念を持ったと書いているが、それこそが「葉隠」に書かれた極意であったのだ。新田次郎は"恋を忍ぶ"覚悟を決めたのであって、それは戦地に赴く多くの妻帯者の心得でもあった。もちろん、「女」を知らない若き特攻隊員も、母への愛を忍び、まだ見ぬ恋人への想いを忍び、死んで行ったのだ。

 明日二十三日は、城山三郎が『落日燃ゆ』に書いた広田弘毅が巣鴨プリズンの露となった日でもある。
 
by antsuan | 2007-12-22 18:32 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)
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