あんつぁんの風の吹くまま

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至高の恋愛

 knaito57さんのおっしゃる 「至高の恋愛はならぬ恋・不倫の愛でこそ生まれるもの」(注)を理解出来ないで五十数年の歳月を生きてきた私にとって、山折哲雄氏の「幸福と成功だけが人生か」(旧題、悲しみの日本精神史)は、ますます私を女心の不可思議さの迷宮に誘い込んでいく。大変な本を買ってしまったものだ。

 女の男に対する希望は、執著(しゅうじゃく)深いことらしい。執著深い人こそ男として信頼出来るのだそうだ。しかもその執着の深いねちっこい愛は酷薄・非情の愛の仕打ちと背中合わせになっている、私からみれば無責任この上のない色好みとしか思えない愛なのだ。

 「源氏物語」が女性によって書かれたわけはここに有ったに違いない。光源氏の色好みは激しく執著しこだわりつづけるからこそ、悲しく、もののあわれを感じると云うことらしい。源氏物語に見出される色好みの感情は、単なるドンファンの気まぐれの嗜好ではない。一種の愛のモラルと云っていいものとも述べている。

 ときに相手の心に進入し、ときに土足で踏み込んで傷つけずにはおかない、それによっておのれを孤絶の際に立たせることをいとわない愛執の哀しさ、蜘蛛の巣にからめ捕られるように身動きならぬ仕儀となるエロス。まさに女の愛は美しさと哀しさが一体となったものらしい。

 不思議なことに日本人は有史以前からこのような「もののあわれ」を知っていたようだ。古代から日本人が持っていた自然観、それは「天然の無常」なのだ。果てしない寂寥の漂う自然こそが哀しみを慰撫し美しく昇華してくれる。それは癒されることのないものだから、抱きつづけ、心の中で養いつづけるほかはない。この無常観こそが日本人の心の原点になっている。

 まだ、この本の触りを読み始めたばかりだが溜め息が出てきてしまった。読み切れるかどうか自信がないので、今のうちに感想を記しておくことにする。

(注)knaito57さんのブログのコメント欄をご覧下さい。
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by antsuan | 2007-11-01 23:45 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)