あんつぁんの風の吹くまま

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映画「シェーン」の解説 (その二)

(あの淀川長治さんが映画「シェーン」のプログラムに寄稿した解説「シェーンの舞台たるワイオミングとそしてこのアメリカの開拓の足跡」の抜粋です。)

 ワイオミング・・・・この「シェーン」の背景となっているアメリカ中西部は云うまでもなく東部からの開拓民が西へ西へと進んで行った云わば終着駅なのである。
 カルフォルニヤに黄金が発見され(一八四八年)狂気の連中が西へ西へとオレゴンの山脈越えにカルフォルニヤに進む。そのオレゴン・トレイルの延々たる道が実はワイオミングで行き詰まりとなってしまう。つまりワイオミングの西を縦に走っている険しいロッキー山脈の峰が彼らの行く手を手厳しく食い止めてしまうのである。
 西へ西へと一家をあげ命を賭けて進む開拓民はワイオミングで、さてこれからロッキーの峰越えをするのがいいか、それともワイオミングの緑なすこの神に恵まれた平原に落ち着いて新しい家を築くべきか・・・・ワイオミングはその彼らの運命的地点でもある。だからこそ彼ら開拓民のその地に落ちつこうとする根性は非常に強い。このジョーイ坊やの父も、そして母もその連中の一組だ。それでこのスターレット一家は誰がなんと云おうと「この地に!」と云う神かけた信念に生きている。
 ところが、ここに同じような気持ちで、この地を我がものと狙ったのが「牛飼いたち」だ。ワイオミングは今でもアメリカ第一の放牧地だ。自然のはるかなる大草原は牛飼いにとってもまるで神の恵みに違いなかった。
 だから開拓民の田畑や土地を邪魔する牛飼いたちも云わば命がけだ。まさにお互いが生きるための戦いだ。しかし牛飼いも開拓の土地を金で買おうと云うのである。
 盗むと云うのではない。けれども開拓民にとっては最早その土地は「生命」であって金ではないのである。ウェスタァンの真の姿がここにも見事に説かれているわけである。
         ***
 ワイオミングが州制になってアメリカ第四十四番目の州になったのが一八九〇年だから、この映画はちょうどその一年前の時代である。そんな頃なのになんと野蛮なまるで原始的な町らしい町も見当たらないこの映画のワイオミングに疑問を抱かれる人は、ワイオミングという中西部のその州の広さをご存知ないのであって、ワイオミングはなんと日本でたとえると本州にさらに九州を足したぐらいの広大な土地である。それで、あのような白雪の輝く山の峰々を遠く遙かに見渡す広い平原がいたるところにあって州制になってその州都のシァイアンは多少とも町らしくはなっただろうが、やっぱりまだまだ原始の地肌をむき出しにしていた土地が多かったのであろう。
 そんな広大な土地であるなら、なぜあの開拓民たちに牛飼いの嫌がらせを避けサッサッと逃げなかったかと云う疑問が出るわけである。しかし開拓者のフロンティアは、やがてこの時代には既に西と東を結んで彼らはもう「落ちついた生活」に必死に努力を注いでいた時代である。牛飼いに追われて移動すれば、またその新しく出向いた先々の土地でも追われる破目にあうかも知れない。彼らはもう根無し草には耐えられないわけである。それならばこそ・・・・ここで流れ者のシェーンの寂しさが一層きわだって感じられてくることになる。
 スターレットの家の前に二年かかっても掘り出されないような巨木の根が地面ふかく枯れた根を張っていた。スターレットはそれを取り除いて地面をならすことを二年がかりで願っている・・・けれど固く地下に張り付いた根はびくとも動かない。これをシェーンが手助けしてついに地面から掘り出して崩しとってしまうところがある。
 ここに「家」の土台をかくして築くスターレットのたゆまぬ精神が見られ開拓民の魂があふれしのばれるわけである。しかもそれを流れ者のシェーンが力を貸してそれを取り除くのも皮肉な悲しみであり、そうして、やがてシェーンはその開拓村の平和の地ならしをして去って行ったわけである。
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 つづく
by antsuan | 2005-05-21 00:14 | 身の回り・思い出 | Comments(0)