あんつぁんの風の吹くまま

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チカラについて考える

 力と力、圧力と能力、外向きの力と内向きの力。日本語で言う「力」には何種類かの意味が込められていて、本質を見失うことがある。
 いま問題になっているのは、日本の外交力という言い方をするときの力である。特に武力と対比されるのでややこしくなるのであるが、外交的圧力と外交能力あるいは外交手腕が混同されやすい。もちろん外交能力がなければ外交的圧力など発揮されないので同じことであると大まかに言えば言えないことはない。
 しかし、武力、軍事力による圧力を否定した日本にとって、国民は政府の外交的圧力の発揮に期待していた。ところが、北朝鮮や中国、更には韓国の居丈高な恫喝を受け、政府あるいは外務省の外交能力の欠如にようやく気付き、武力による自衛権の容認という方向に動き出してきた。振り子を元に戻す動きであり常識の範囲内である。だが、やはりここで忘れてはならないのは、外交力、外交能力、外交手腕が弱いと、武力に頼りがちになり、それが戦争になり、結果的に社会全体を不幸にするという過去の経験である。
 実は今日においても、外交能力の欠如は米国の核の傘と云う武力に頼ってきた結果であると云って過言ではないと思う。日本は米国の武力の傘からはみ出るほどに経済が発展したことに気付かず、外交圧力においても米国依存の考えから脱し切れていないのだ。当然、米国からの外交圧力にはほとんど無抵抗となる。
 これからの日本は、武力の有無に係わらず、国民の立場に立った外交能力を高めることのみが自国を発展させる鍵であり、国際交流を盛んにすれば解決すると云ったものではない。それは政治能力を高めることをせずして実現するものではなく、国民一人一人に課せられた究極の課題なのである。
by antsuan | 2005-03-26 01:29 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)