あんつぁんの風の吹くまま

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人間を無能化する官僚組織

 二つの月刊誌に、堺屋太一元経済企画庁長官と李登輝台湾前総統が同時に寄稿している。普段はPHPの新しい日本を作る提言誌という枕詞をつけている「Voice」の方を購読しているのだが、今回は二人の話を読み比べてみたいという思いから「文藝春秋」も買ってみた。
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 堺屋太一氏は、年金データの記録と管理というきわめて単純な作業さえ出来ないほど無能で、無責任、無駄遣いの、人間を無能化してしまう官僚組織をぶち壊さないと、未来は無いと断じている。昔、空から爆弾が落ちてきて、ようやく軍人は無能だったと気が付いた。今、消えた年金のおかげで官僚は無能だと気が付くときが来たようだ。

 そこで彼はこの二十年間、外交は何も進展していないといい、小泉内閣も官邸主導の政治をしたが、それは中央集権体制を強化した官僚主体の政治であったと手厳しい。確かに、どの法案にしても官僚への丸投げは目に余った。私もそのことを危惧し、規制緩和どころか職権乱用ともみえる行政指導に翻弄されたのだが、果たしてその評価は正しいのだろうか。

 外から日本を眺めていた李登輝台湾前総統の寄稿した文では、中東問題という足かせにより身動きの出来なくなった米国を見透かすように、覇権主義国家のロシアと、チャイナが幅を利かせており、第二次世界大戦の前のようになってきていると危惧している。その中にあって、小泉首相は、自民党の総裁選挙で地方の党員も含めた真っ当な民主的手法で選ばれた、普通の国の指導者として、多いにその存在感を見せた。このことは、国際間の力のバランスにとって非常に重要な事なのだ。

 普通の国であっても、小泉首相の靖国神社参拝に見られるような高い精神性をもつ、伝統を踏まえた実践こそが本当の進歩であると、李登輝氏は説く。つまり、官僚に丸投げをしたけれども、精神性に基づく「実践」により成長、進歩していると云うのだろう。詰まる所、「知性」では無く「感性」での責任ある実践こそが政治に求められるものであると思う。

 実は、従来の日本の伝統文化における社会、すなわち、日本型資本主義と日本型経営は、世界で企業の社会的責任の思想が語られる遥か以前、すでに「利益追求と社会貢献の統合」と「マネタリー経済とボランタリー経済の融合」の体現した思想を抱いていたのである。それが、松下幸之助の推奨した「無税国家論」につながる事は容易に想像出来よう。それを逆手にとって税金を食い物にしてきた政党と官僚組織は断固ぶっ壊さなければならない。
by antsuan | 2007-07-14 16:38 | 政治・経済 | Comments(0)