あんつぁんの風の吹くまま

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労働の自由化を考える


 女工哀史、たこ部屋、沖仲仕など、日本のあらゆる産業が発展していく過程で労働者の待遇が犠牲になってきたことは想像に難くない。彼らの安定した生活を求めるエネルギーこそが日本をここまでにしたといって差し支えないと思う。しかしながら高度成長を果たした途端、日本には国際化の荒波が押し寄せ、企業は息つく暇もなく生き残りをかけて資本を海外に頼り日本を出ていった。

 松下電器、キヤノン、トヨタ、日産など日本が誇る一流企業はみな国際企業であり、多かれ少なかれ外国の資本が入っている。そしてこれらの企業ばかりでなく、普通の日本企業も当然ながら国際化の波を受け、産業そのものが衰退してしまったり、海外に生産工場を移して国際競争を戦っている。

 世界第二の経済力を持っている日本だが、資本の自由化についてはつい最近達成されたと云うかしぶしぶ受け入れたというところだ。次に待っているのは労働の自由化である。フィリピンなどの発展途上国からの強い要望があり、いよいよ無視できない状況になってきた。日本の行政は何をやるにしても後手後手で、国際海運事業においては、今や船長までも外国人であり労働力としての日本人は完全に駆逐されてしまっている。ではどうするか、年金、健康保険、雇用保険などの社会保険は一本化してすべて税金から賄い、低賃金でも生活できるような環境を作ることである。そうすれば労働の自由化が実施されても平気だ。また低賃金であれば我が国に工場が戻ってくるだろう。

 しかし、発展途上国の産業が未成熟であれば、劣悪な労働条件であっても職を求めて労働者はやってくるに違いない。松下幸之助は、国際企業に脱皮する模範としてオランダのフィリップスと提携した。現地に溶け込む企業の姿をそこに目ざとく見つけたのである。日本の労働市場の質を守り、国民が安定した仕事につけるようにするためには、諸外国の産業の育成が欠かせないのである。

 後藤新平が台湾統治に成功したのは公共の精神で断行したからである。いや、『公共』を創り上げたのは後藤新平であったといったほうが相応しいかも知れない。巨額の借金を残した後藤新平と、莫大な資産を残した松下幸之助とを比較するのは間違っているかも知れない。しかし時代は違っても、国際社会における公共の使命については同じ星を見ていたように思うのだ。
by antsuan | 2007-05-26 17:21 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)
Commented by maron415 at 2007-05-26 21:45
うちの父は島育ちで、結局船乗りを仕事としてきました。
今は、船そのものの国籍も日本じゃないのが多いとか、
企業じたいに、残業さすのは、外国からの研修生にっていう考えみたいです。そうしないと、企業として成り立っていかないのかなって思います。
(外国からの研修生ってわりあい多いところなの。)
Commented by antsuan at 2007-05-27 07:39
・法律が未整備だからそういう歪な形になってきてしまうのでしょう。国際問題にならないうちにちゃんと考えておかないといけませんね。