あんつぁんの風の吹くまま

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遊撃手、存在感のないのが存在感

これは「迷子大好き by kazemachi」の『誰でもない』 へのトラックバックです。

 敷居が高いというか、窓の外からキレイなお部屋を覗いているだけでなかなか入り込めないような感じがする、あるブログに、「存在感のないのが存在感」という言葉を見付け、思わず読み進み、踏み込んでしまった。

 遊撃手を自認されているところがまたスマートに感じるのだが、残念ながら違う風に舞っているようでなかなか近づくことが出来ない。それでいいのだとも思う。

 ピンチヒッターでもなければリリーフ投手でもない「遊撃手」、「存在感のないのが存在感」に、流れ者のシェーンとその西部の時代背景を思い起こしてしまった。映画「シェーン」の淀川長治さんの解説(その一)(その二)(その三)を、ブログを始めた頃に書いたけれども、流れ者はまさに存在感のない存在感を身にまとった運命なのだ。

 シェーンはピンチヒッターではない、リリーフ投手でもない、なぜなら、球を投げたり打ったりする主役ではないからだ。大西部の、そこの土地に定着しようとしている農民ではないのだ。しかし、その存在感がやがて安定をもたらす。

 マッカーサー元帥は、まさにそういう寂しい結末を望んでいたアクターでもあった。彼はそれを運命だったという。日本という敗戦に打ち拉がれた国に君臨したけれども、本当は主役ではなかった。

 彼は流れ者だった。心変わりした米国政府や食い物にしようとした資本家と闘い、共産主義の流れを食い止め、新憲法という存在感のない存在感を残し去って行った。

 一大統領に解任され、「老兵は死なず」と風と共に去って行った彼は、まさにアウトを取ってピッチャーに球を返し、静かにダッグアウトに消えていく名遊撃手だったのだ。

 私は彼を忘れない。 
by antsuan | 2007-04-06 20:19 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 迷子大好き by kaz.. at 2007-04-07 10:54
タイトル : 誰でもない
宵っ張りな子供だった。 小学生の頃から、ラジオの深夜放送を聴いていた。 10歳以上も離れた兄の影響もあるし、呑んだくれて帰宅の遅い父が気がかりで眠れなかったというのもある。 小学生だったか中学に入っていたか定かでないが、当時の番組に「明日は帰ろうオデッセイ」というのがあって、「ナッチャコパック」(パックインミュージックの金曜担当、野沢那智&白石冬実)のふたりがメインとなったミニドラマ仕立てのものだった。 「オデッセイ」は「オデュッセウス」のこと。 ギリシア神話でたびたび登場する智将で...... more
Commented by kazemachi-maigo at 2007-04-07 10:58
TBさせていただきました。
とりあげていただき、光栄かつ恥ずかしいですが・・・(^^;)
敷居は高くありません。
住人自体、足が短いので(笑)。

遊撃手に憧れているんです。
だから、流れ板にももちろん用心棒にも憧れて、自分を流れ事務職人だと思いたいんです(笑)。

何か功を成して、それをことさらアピールせずに去っていく人・・・かっこいいです!
Commented by antsuan at 2007-04-07 11:42
・風待ち迷子さん、こちらこそ光栄です。澄んだ透明感のあるブログ、とっても素敵です。また、お邪魔させて下さい。
蜂が飛んできてこそ実を結ぶ花があるように、流れ者は必要なのです。
マックカーサー元帥という一軍人官僚が自らのしがらみを断ち、流れ者となって身を挺して守り抜いたエデンの園、それが日本だと思うのです。