あんつぁんの風の吹くまま

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自分史を検証する事をしてみよう

これは「江戸川土手を歩く」  ■歴史の共同研究なんて へのトラックバックです。

 昔読んだ「マッカーサーの日本」という新潮社の本のあとがきに、戦争、敗戦の激動の時代を生きた人たちは、自分史が余りにも劇的で激しかったために、広い目で自分が生きた時代を見つめることが出来なかったのではないかと記している。

 もう既に昭和の時代は歴史となった。いろいろな見方があるだろう。立場の違いによっても環境の違いによっても其の歴史の評価は大幅に違ってくる。しかし、後世に生きる者にとって其の時代の評価が、大事な道しるべとなる以上疎かにするべきではないと思う。

 戦争だけが歴史に刻まれると云っても過言ではないかもしれない。其れは時代の流れを変えたからに他ならず、どのように変わったかは誤魔化しようの無い事実として残る。しかし、其の評価は立場や時代によって逆転するのは世の常である。だからこそ評価するにあたって自分の立場を無視することは馬鹿げているのではないだろうか。

 先の大戦で云えば、戦いが終わった後に帝国国家が崩壊し、民主主義国家が数多く樹立した。白人支配が終焉し人種差別の時代が終わったのだ。其れが歴史的事実だ。此れに対する敗戦国日本の評価は戦勝国と違って当然である。自国のために歴史を評価するのは何処の国でも同じではないか。しかし、歴史的事実を歪曲して良いわけは無い。

 歴史研究は事実を検証するだけに留めておくべきだろう。本当に大虐殺をやったか。どっちが何人殺したか、そういう事実を研究すればよい。事実を歪曲して歴史を変えようとする行為はやはり止めさせるべきではないだろうか。
 
 しかし真実を言えないからこそ小説が書かれ物語が作られるのも、これまた歴史的真実なのだ。文明という大きな時代の流れの中には、あらゆる真実的歴史も埋没してしまうかも知れない。だが、其れを掘り返してみるのが歴史家であり哲学者なのだ。歴史的事実が歪曲される限り、人々は絶えず歴史の中にある真実を探求し続けることだろう。
by antsuan | 2005-05-11 07:40 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(2)
Commented by knaito57 at 2005-05-11 19:17 x
「自分史が余りにも劇的で激しかったために、広い目で自分が生きた時代を見つめることが出来なかったのではないか」とは、戦争の当事者であり直接的な被害者であった両親や兄姉たちを思うとわかる気がします。ひるがえって、働くこと以外に深刻な体験もなく、それなりの人生を送ることができたわれわれ世代はラッキーな巡り合わせだと思います。そして内心で、修羅場をくぐることなく「歴史的存在」になりつつあることを虚しく感じてもいます。だからこそ「戦争を知らない昭和人」として、大きな役割を果たさねばならないのでしょうね。
Commented by 右左あんつぁん at 2005-05-11 21:36 x
山本周五郎の「さぶ」のように、庶民が何事も無い平和な社会を築きあげてこそ立派な文明があるのだと思います。そしてその文明を誇りにする事が後世の人々の道しるべになるのではないでしょうか。