あんつぁんの風の吹くまま

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寿福寺は聖地

 ようやく庭の老梅の蕾が開いて一輪二輪と僅かですが咲いています。鎌倉の寿福寺の紅梅もそろそろ咲くのではないでしょうか。
 
 源頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは三方が山に囲まれ、もう一方が海の自然の地形を利用した、天然の城塞だからと云うのが定説だったけれども、今日の読売新聞の朝刊によると、それに異論を唱える説が出てきたようです。
 
 それによると昔は「城」と云うのは「武家の本拠」と云う意味で、その武家の本拠には昔から典型的な立地プランがあって、それは東西に延びる道の北側に武家の本宅と寺院を設置し西側には聖地があると云うもので、聖地とは父親である源義朝の館跡を指してなんら差し支えないらしいのです。
 
 寿福寺の住職のお話によると、寿福寺は当時は相当大きい寺で、いまの鎌倉駅までが境内だったとか。そしてそこから海岸方面が蔵所として一番栄えていたらしいのです。

 また明治維新の排仏毀釈の時に、源氏の菩提寺であった鶴ヶ岡八幡宮寺からいろんなものが寿福寺に移されてきたことも、寿福寺が聖地として昔から認められていたことによるのかも知れません。

 自然の要塞に相応しい場所だったら、京都に近い箱根の西側にも数多く似た地形がありますから、この新説の方がかなり説得力があるように思います。
by antsuan | 2007-01-19 20:44 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)
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