あんつぁんの風の吹くまま

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自己愛と武士道、それに愛国心

 「国家の品格」が今年のベストセラーになったらしい。私も読んで共感した一人だ。その中で藤原正彦氏は手垢のついた愛国心はやめて祖国愛と云う言葉を使おうと提唱している。家族愛、郷土愛、祖国愛は自然発生的なものでそのような愛は汚れが無い、同感だ。

 それでは自己愛も自然で汚れがないものと云える。じつは最近、cazorlaさんのブログで自己愛について論じさせてもらったが、昔から女性の気持ちが分からない唐変木な私は、困ったことに今もなお現在進行形で迷惑をかけているようで、本当に「愛」について分かっているかと云えば、男女間の愛についてはいまだに自信がない。

 しかし、幼稚園から高校を卒業するまでキリスト教系の学校でいやと云うほど神の愛について説教されてきたので、私なりに「愛」の概念は持っているつもりだった。それで、自己愛については我が儘、身勝手、うぬぼれと同意語と解釈していた。だが、どうやら神の創りたもうた我が身を愛すると云う意味に解釈するのが正しいようだ。

 それについても全く意義がないのだけれども、「国家の品格」にもたびたび出てくる"武士道"は自己愛を共有するものなのだろうか、逆に自己愛を否定するものが武士道ではないのだろうか、悩みがまた一つ増えてしまったのだ。この答えを探しているうちに、祖国愛と云う言い方よりも、自国愛と言ったらどうなのか、それも気になってきた。

 「国」とはそもそも人工的なものであって自然発生的なものではない。それを愛することは身勝手なことなのか。ある新聞に誰だったか分からないが、『愛国心とは自国だけを愛することを意味しない、他の国も含めて「国」という単位を認めて愛する心なのだ』ということが書いてあった。これも正しい解釈だと思う。

 しかし、自己愛と武士道、それに愛国心、頭の中ではいまだに整理がつかないでいる。
by antsuan | 2006-12-08 19:26 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)
Commented by cazorla at 2006-12-09 08:49
あんつぁんってキリスト教の教えが強いんですね。
私が書いた自己愛は仏教的立場で書いたので 食い違ったのだと思います。 
Commented by realutopia at 2006-12-09 11:14
自分を愛し、己の道を追求することが、同時に他者への慈しみ、世界の平和に繋がれば、これほど幸せなことはないと思っています。誰も犠牲になることがない社会。「お互い様」の精神が礎なのかと。
Commented by antsuan at 2006-12-09 19:18
・りろさんのおっしゃっている事はよく分かります。cazorlaさんのおっしゃりたい事も何となく理解出来るのですが、正直言ってピンと来ません。もう少し自分自身の自己愛を考えてみたいと思います。
Commented by antsuan at 2006-12-09 19:19
・夏目漱石が学習院で講演した「私の個人主義」と似たものだと思うのですが、仏教哲学を今一度考えてみたいと思います。