あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

小島新田にある会社 その三   修理工

 話を元に戻そう。この小島新田にある会社が修理をしているマルチプルタイタンパーという保線車両は日本製ではない。プラッサー&トイラー社というオーストリアに本社のある会社の製造によるものなのだ。

 建機メーカーでは、日本でも三菱キャタピラー、小松など、それこそ今は世界の一流メーカーとして名を馳せているけれども、その頃は、油圧による駆動装置メーカーで一流といえば、まだアメリカや欧州の方がダントツに上だった。ようやく、オートマチック車の油圧トルクコンバーターを米国の技術移転により日本で造り始めた程度であったため、パワーシャベルの油圧系統が現場で壊れると、いったん重機を工場に持ち帰って直すのが普通だった。

 ところがこの欧州製の保線車両は現場で壊れたら、その場ですぐ修理出来るようになっていた。その発想は当然といえば当然で、線路は砂漠地帯や荒野、山岳部など、すぐに部品を届けられる所で作業している訳ではないのだから。

 となると、本来は作業に従事している者が修理出来るはずなのだ。しかし、当時の国鉄は組合が強過ぎて、保線車両を動かすことすら億劫がるような、働かないのが当たり前の腐った組織になってしまっていてどうしようもなかった。それで、小島新田にある小さな有限会社の修理工が引っ張りだこになっていたのである。

 マルチプルタイタンパーのことを略してマルタイと呼んでいたのだが、面白いことに部品はいろんなところのメーカーの寄せ集めだった。エンジンはベンツ、ポルシェだったかも知れない。ミッションはボルボ、電気系統はボッシュ、コンプレッサーも何処か別のメーカーのものだった。

 電気部品は別として、その他のエンジンやミッション、それに油圧駆動装置、エアコンプレッサー等総てを、この小さな会社は直す技術を持っていた。これが凄い。しかも、外国製のものは粗野でかなり適当な取り付けをしたりしていたのだが、そういうものをもっと完成度を高めるようなことまでやってしまっていた。

 外国の部品は確かにしっかり出来ていて素晴らしいのだが、やはり価格がべらぼうに高いので、同じ性能のものを蒲田の町工場で造らせたりしていた。ベアリングも日本製にした。電気系統も日本電装のものに変えていった。しかし根本的なものは変えなかった。螺子やスプリングワッシャーなど、スウェーデン鋼を使った欧州製のものは十年経ってもヘタルことは無かったから。

 エンジンは空冷で、ドイツのロンメル将軍が使った戦車のと基本的に同じ形の、あのスポーツカーのポルシェについているエンジンを馬鹿デカクしたものだといっても差し支えない。そのかわりオイルクーラーも馬鹿デカかった。

 こういうもの総てをばらして組み立ててしまうのだから、楽しくない訳はない。大学で習った流体力学の訳の分からない複雑な数式よりも、ロータリー式オイルポンプの構造を教えてもらった方が分かりやすかった。重機のことを何も知らない私に、社長や数人しかいない社員が、一つ一つ部品の用途や性能を教えてくれたのだ。

 こうして私は、製品を作るよりも壊れた製品を修理する方が、いかに高い技術を要することかを学んだのである。それは人の病気を治すことにも当てはまることであり、まして人の心を癒すということは、単なる資格を持った医者では出来ないことだと悟った。
by antsuan | 2006-11-08 21:49 | 身の回り・思い出 | Comments(6)
Commented by seilonbenkei at 2006-11-09 07:48
>マルチプルタイタンパーのことを略してマルタイ
なるほど!ラーメンの話はこれの伏線だったのか!

すごいと思うのは、当時こんなことを理解して作業してたわけですよね?
それを教えてくれた会社。そして覚えていった社員達。
そういう伝承というものが希薄になりつつありますね。マニュアル渡して「これ読んどいて」で終わらすような。読んだくらいでさっとわかるような仕事ならそんなん素人の仕事ですやん、ってね。
なんだか、職人がホントにいなくなりました。
Commented by realutopia at 2006-11-09 10:09
その職人技に惚れ惚れします!最近では、マニュアルを読んでも理解できない若手社員が増えているようですね。言葉を知らないとか。聴診器のような指先を持つ「神」職人も少なくなってしまいました。今度あんつぁんさんに911のエンジンをバラしてもらおうかな(笑。
Commented by mitsuki at 2006-11-09 17:40 x
外国から輸入した機械を整備し修理していくうちにより完成度の高い物を作り上げていく・・・まるで日本の近代史を地で行くようなサクセスストーリーですね。
Commented by antsuan at 2006-11-10 23:29
・技術の伝承が途切れようとしています。文化の伝承も然り。知力ではなく、教養や技術を敬う社会に戻す方法はないものでしょうか。
Commented by antsuan at 2006-11-10 23:29
・日本の町工場の職人は美学的技術を持っていたと思います。どうやってあの人たちは学んだんでしょう。
Commented by antsuan at 2006-11-10 23:29
・日本人の知力と云うより技を極めると云う教養がそれを可能にしたのでしょうか。この素晴らしい技能を絶やさないでほしいものです。