あんつぁんの風の吹くまま

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小島新田にある会社

 大学の卒業研究を専売公社の中央研究所でやらせてもらったが、そろそろ就職活動をしなくてはならないだろうから研究は後回しでいいよと言われて、大学というところは就職予備校だったのかとやっと気が付くほどノーテンキな私は、うちの手伝いをするのでいいんですと嘘をついて職を探そうとはしなかった。

 海洋学部という変わった学部に入ったために、大学に残っている連中からろくな就職先がないとの情報が入っていたし、当時は造船不況の時代で、大学で身に付けた専門的なものでも全くお呼びが掛からず、よくて食品加工会社からの求人しかない。就職浪人している学生もいて、そういう人たちと競争してまで訳の分からない会社に就職する気が起きなかった。もちろん親父のすねをかじるつもりはなかったので、アルバイトをしながら医療系の専門学校にでも入ろうと思っていた。

 まずは新聞配達をした。昼間は近くの図書館で勉強したが、まだどういう職を身に付けようか迷っていたので、もう少し外の仕事をしてゆっくり考えることにした。今でこそ求人情報誌は巷に溢れているけれども、その頃は学生援護会のアルバイトニュースぐらいしかなく、それを買って読んで、短期募集の重機修理作業会社の求人に応募して面接に行った。部品倉庫を事務所にしたみたいなところで社長に会ってすぐに採用が決まった。

 今はもうその会社はないと思う。工場というか作業場には古いクレーン車と動かないロードローラーが一台あるだけで、後は訳の分からない部品がいっぱいおいてあるような、川崎の小島新田という京浜急行の駅から歩いて五分ぐらいのところにある有限会社だった。ところが、この会社はマルチプルタイタンパーという保線作業車の修理を関東一円で独占的にやっている会社だったのだ。

 修理は主に油圧系の部品で、そのため油まみれになるので誰もやりたがらない仕事に違いなかった。しかし、自衛隊で三十三キロもある五インチ砲の砲弾の装填訓練をやらされてきた自分にとっては、油まみれになるぐらいは何ともない。二ヶ月だけの短期アルバイトのつもりが、社長の奥さんに引き止められて、結局、父が心臓病で倒れて呼び戻されるまで一年半もお世話になってしまった。
 
 つづく
by antsuan | 2006-11-06 20:25 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(4)
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Commented by hanaco at 2006-11-07 01:15 x
海洋学部というと、T海大ですか~?質問して失礼にあたったらゴメンナサイ。ここの大学しか知らないんです、海洋学部、私。
Commented by antsuan at 2006-11-07 06:27
・当時、原選手を擁する野球部の活動費の方が、海洋学部の研究費より多かったなんて揶揄されていました。公害研究会を潰されたりしたけれど、専売公社の中央研究所で卒業研究をやらせてもらった事には大いに感謝しています。
Commented by mitsuki at 2006-11-07 17:30 x
アルバイトはとても良い社会勉強になると思います。
それと同時に、自分でも気づかなかった可能性が発見出来たりして、例えば自分では苦手だと思ってた事がマニュアルを渡されたら意外とすらすら出来たり、逆に得意だと思ってた事が実際やってみるとこれでお金稼ぐのは大変だなと痛感させられたり、私自身学生の頃とても勉強になりました。
つづきが気になります。
Commented by antsuan at 2006-11-07 18:24
・中学からどんどんアルバイトをさせて社会勉強をすれば、自分の進む道を自分で見付けることが出来ると思います。私はこの国鉄の下請けの仕事を通して、労働組合の酷さを目の当たりにしました。
つつぎは大したことないです。(苦笑)