2006年 10月 30日
ノブレス・オブリージュと文化勲章
これは「江戸川土手を歩く」 この道一筋のトラックバックです。
この時期になるとノーベル賞だの文化勲章だのの話が、毎年同じように相も変わらず予定原稿を読み上げる如く話題になります。叙勲に関心がない訳ではありません。どういう人がどんな功績を挙げたのかは興味がありますし、功績を上げた人にそれを評価する意思表示として多いに意義のあるものだと思います。 わが家にも祖父が頂いた勲章があり賞状は額に入れて飾ってあります。しかし、それは祖父の死後のことです。この文化勲章の起源は、軍人には勲章があるのに文人にないのはおかしいと云うことで、広田弘毅首相の時に制度化したと聞いています。 "高貴なる義務"を果たした者にはそれを授ける意味は充分にあるでしょう。第一次大戦には大英帝国の貴族やエリートが率先して戦場に赴きました。そして返らぬ人となったのです。彼らに名誉を与えるのは相応しいことです。 しかし考えてみれば、民主主義や社会主義は基本的に高貴なる者を否定した社会です。それなのに勲章を授ける制度を残しているのは何故でありましょうか、ただの感謝状でよいでありませんか。最近は、民主主義社会には無意味な制度であることの証明にしかならない、授与されるには相応しくない者も多く見受けられるようになってきています。 ではその基準は何か、やはり"高貴なる義務"を果たしたか否かではないかと思うのです。普通の人では困難な義務を果たした者に授けるべきでありましょう。そして、それはその人の死後に授けるのがもっとも適当であるように思うのです。いつの世にもヒーローは此の世に戻ることの無い"高貴なる義務"を果たした者なのですから。
by antsuan
| 2006-10-30 14:55
| 思想・瞑想・時代考証
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Comments(8)
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knaito57 at 2006-10-30 19:37
人は誰でもそれぞれに為すべき役割(義務)を果たすわけですから、単なる感謝状のほうがいいですね。そこで“高貴なる義務”ですが、何をもって高貴とみるか。誰がそれを認めるか──で、またぞろ怪しくなるから「衆目が認める、ごく少数の人物」だけを対象にしたらいいのではと愚考します。
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antsuan at 2006-10-30 19:56
・そうそう、与える側が高貴な者でなくてはならないのですが、まずは命を捧げてくれた人には授与される資格はあると思うのです。他の人には感謝状で十分でしょう。
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seilonbenkei at 2006-10-30 22:55
エキサイトでブログを始めて間なしの頃、記事にしようと思っていたのですがうまくまとまらなくてやめました。具体的には特権に見合う義務だそうですね。君子なになにの君子にあたるものと受け取ればいいのでしょうか?元がフランス語なのでよくわかりません。
イギリスでは戦争の時、貴族出身の兵士が先頭に立って、そのためか死亡率もそうした人間の方が高かったと聞きます。日本にもかつてはそういう将校がいたわけですよね。 なんでもそうだと思うのですが、隗よりはじめよでなければ人はついていかないような気がします。
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ohara
at 2006-10-31 06:54
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一寸話がずれるかもしれませんが、大体貴族と称する者は、武族だったんでは?だから、戦争になれば行くのは当たり前。で、戦死者も多い。
戦国時代の日本でも、戦いは武族のモノ。領土を守らなければ、おまんまの食い上げ、いや命も守られない。 領民にとっては、誰がお頭でも良いような。 勲章って、与える方も権威が付くし、貰う方も利用できるんで。 良く土建屋さんが、施工主の感謝状を貰いたがるんですが、それに似ているような気がしますね。 今は、自分たちを守るために、庶民を楯にしたり弾にしたりで。
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antsuan at 2006-10-31 08:08
・軍人に限らず会社でも現場からのたたき上げの経営者にはその義務をよく理解している人が多いですね。そう云う人に勲章をあげてほしいなぁと思います。
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antsuan at 2006-10-31 08:08
・oharaさん、社会主義国家が行き詰まったのもこの義務感の欠如じゃないでしょうか。民主主義も基本的に同じ問題を抱えているような気がします。
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ohara
at 2006-10-31 09:34
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相ですよね。社会主義も民主主義も「性善説」に立っているような気がします。環境さえ良ければ総て正しい発展を遂げるのだ、と言う錯覚。
人間というのは、生まれ乍らに性悪なのです。 放っておけば、民衆も、指導的自分たちもどんどん腐る、と言うことを忘れている、と言うことでしょうか。正しい科学的な教育が必要ですね。 安部さんの統一協会教育ではなくて。 人間ほど貪欲に、なんでも食い尽くす動物は、地球上には居ないと思います。 世の中が最悪になってきたのは、人間が増え過ぎたせいだと思います。きっと、自然の摂理で、殺し合って減るのでは?
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antsuan at 2006-10-31 13:55
・神は此の世の総てをお創りになったのであり、人間だけが特別扱いされていると云う宗教観は間違っていますね。自然の摂理は神の為せる技だと云うことでしょう。社会主義はもちろん、キリスト教的民主主義も限界に来ていると思います。
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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