あんつぁんの風の吹くまま

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結婚の儀式での誓いと靖国参拝における誓い

 知日家の米国人はこういっている。 南軍の兵士も眠っているアーリントン国立墓地に大統領が参拝する事は、いまだに奴隷制を支持している事を示唆するのだろうか。あるいは、墓のシンボルとなる十字架がすべて宗教色のないシンボルに置き換えられるまで大統領はアーリントン墓地に参拝出来ないのだろうか。こんな議論は馬鹿げていると思うだろう。しかし、日本の首相が靖国神社へ参拝する事で騒いでいる人々は、このような事と同じ馬鹿げた議論を大まじめに言っているのだ。

 私は、仏教のお葬式でカトリック信者のみならず神父様やシスターが仏壇の前で手を合わせいるのを何度も目撃している。あの方たちは仏壇の前で仏教の祈りを捧げているのではなく、父と子と聖霊の名において祈っているのだ。また仏教のお寺の境内に十字架のお墓があるのも知っている。このように日本は法的にキチッと宗教の自由が守られている国なのである。

 いうまでもなく、キリスト教徒は個人を神として祭る事は受け入れられないが、カトリック信者には死者と霊的に交わるしっかりとした伝統がある。だから、死者のために祈る事は(たとえその死者が著名な罪人であっても)奨励されるばかりか、「哀れみの情の精神的作用」の一つとして道義的義務でもあるとされている。日本人はキリスト教徒であろうとなかろうと東條英機や「A級戦犯」として裁かれ処刑された人たちの為に祈る事を控えるべきではない。

 そう言う考えをもって、バチカンの駐日代表であったビッテル神父は、マッカーサー将軍を説得して靖国神社を含むすべての神社を焼き払う事をやめさせる事までしたのだった。死者にむち打つ国の言うことを聞くのは、キリスト教的精神から云っても許される事ではないのである。
by antsuan | 2006-08-19 23:44 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback(1) | Comments(6)
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Tracked from 気ニナルコトバ at 2006-10-04 08:35
タイトル : 東條 英機
東條 英機(とうじょう ひでき、新字体で東条 英機、1884年7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家、第40代内閣総理大臣。陸軍大将 従二位 勲一等 功二級 。統制派。A級戦犯。軍国主義の代表人物として処刑された。... more
Commented by seilonbenkei at 2006-08-20 15:47
書きかけてまとまらずにほったらかしにしている記事に、他宗教の葬式に参列することを禁止する教会が少なくないことを書こうとしたものがあります。antsuanさんの記事を読みながら、やっぱりこれは仕上げなければならないことかなと思わされました。それはいずれ。
私が総理大臣の靖国参拝に違和感があるのは、国が鉄砲玉にした人達にきちんと謝っていないと思えるからです。中韓との関係もさることながら、国に殺されたと思っている同じ日本人との関係もまだ修復されていないような気がしてなりません。「男たちの大和」を観ながら、仲代達也が「あれだけたくさんの人が死んだのに誰も何も守れなかった」と言ったセリフが胸を打ちました。
Commented by antsuan at 2006-08-20 21:58
国民は国家権力の被害者のように主張する朝日新聞のような報道機関がありますが、はたして自ら鉄砲玉になって行った人たちは国家権力の被害者なのでしょうか。その当時の日本は、「天皇と民衆の、天皇と民衆による、天皇と民衆のための政治」をしていたのです。欧米に勝るとも劣らない民主主義国家であったと考察しております。
Commented by knaito57 at 2006-08-21 16:47
私は霊魂というものを信じない、宗教(者)とそれに伴う祭礼や儀式には懐疑的な(というよりも反発を感じる)救われがたい人間です。したがって神前の誓いをたてたことはなく、今や国を二分するほどの靖国論争に参加する資格もないのですが、“心の問題”であることには同感で、個人の心のありようには敬意を持ちます。ただしそれが神社とか参拝とか形に表れたとたんにナンセンスに思える──というのが、“即物的で罰当たりな人間”の感懐です。放言、失礼しました。
Commented by antsuan at 2006-08-21 17:55
”何故、年寄りは未来を心配するのか”に頂いたコメントを引用させて頂きますが、「未来を心配する老人の自己を超えた尊い行為」を想うのと同様に、未来を心配してくれた先人(祖先)の尊い行為に対して、何らかの形(それが宗教と云うものだと思うのですが)にして敬意を表すのは大切な事だと思っています。但し形式にこだわって肝心の心の問題を忘れてしまうのもおかしな事です。
Commented by reiko_06sp at 2006-08-21 22:33
放言に便乗して、、戦争のことは体験していないので、本来は話に入る事すらいけないことかなと思うのですが
A級戦犯をやけに嫌う日本人らに、じゃあもし戦争に勝ってたらどういう扱いになってたと思う?って聞いてみたい
勝てば官軍なのかなあ・・・
運動会で足ぴっぱった子がいて、負けの理由がその子にあって
まわりが、「お前が悪いんじゃー」って翌日から全責任を延々
背負わせるような感覚で、やだな。
短絡過ぎますってお叱りがきそうだけど。
小泉さんは、「いいんだよ よくやったよ」って言ってる先生のような、、、
そんな事かんがえたりして。
で、結論いうと、靖国参拝 終戦記念日だから意味がありました
よく行ってくださいました、、、デス。
Commented by antsuan at 2006-08-21 23:47
日本人は何時から死人にむち打つようになってしまったんでしょうか。
死んだら仏、昔の善き風習は大事にしたいものです。
 コメント有り難う御座います。