あんつぁんの風の吹くまま

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明治の日本と空海の日本

 五月二十七日は昔の海軍記念日で、昨年はその日本海海戦百周年と云うことで多いに話題になりました。しかし今年はそのことを殆ど省みられず、また静かに歴史の中にしまい込まれてしまったようです。

 その日露戦争を物語とした「坂の上の雲」によって、当時の日本人の心意気を十分伺い知ることが出来るのですが、同じ著者、司馬遼太郎の「空海の風景」は考察する資料に乏しかったことによるのでしょう、また自分の歴史認識が貧弱なため、空海の実物像とその背景が頭に浮かんで来ませんでした。

 ただ考えるに、都を遷すような激動の世の中に突如出現した民間の天才"空海"により、仏教が、天皇及びその取り巻きだけの権力の絡んだ宗教から、より思想的な宗教へと広まったのではないでしょうか。そして、密教によって「神と人と仏」の、つまり「前世、現世、来世」の連続的な魂を引き継ぐ流れができたのではないかと想像するのです。

 さらに彼ほどの天才ならば長安においてもその権力者の寵愛を受けることはたやすい筈であったのに、当時の大国際都市長安での滞在をたったの二年で止めて日本に帰ってきたのは何故か。また官費で留学した訳でも無く、帰国してからの出世が約束されていた訳でも無いのに何故帰国したのでしょうか。日本に「密教」を布教させる義務感がそれ程強かったのでしょうか。

 私はそうは思わないのです。密教を学んだ彼が日本に戻ってきた訳は、密教思想こそが日本人のためにあると考えたからだと思うのです。長安と云う国際都市において、いろんな人種と接し様々な宗教・思想を知ったに違いない空海が、密教の世界を実現し得るところは日本以外に無いと確信したからに違いないと思うのです。

 勝手な解釈を許してもらうと、日本人はその当時既に「神と人」、つまり「前世と現世」との連続性を認めていて、後は来世をどうするかが問題であったのだろうと思います。そこに「来世」を空海は密教の中から見いだしたに違いなく、この連続性を探っていた日本社会に舞い戻ってきたと云うことなのだと思うのです。つまり彼にとって、国際都市長安と云えども、現世に相応しい場所ではなく、日本社会においてのみ現世があると認識していたのではないでしょうか。
by antsuan | 2006-06-02 13:58 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(2)
Commented by さかぴ at 2006-06-02 18:08 x
あんつあん 葉山港の情報ありがと 早速チェックしてみます
お礼に 難しいお話読んでおきました。 うーん むずかひーなぁ
Commented by antsuan at 2006-06-02 18:48
アハハ、イカ釣りの方がよっぽど難しいです。