あんつぁんの風の吹くまま

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前方後円墳の謎

 以前「春の淡雪」にも書きましたが、逗子と葉山の境に前方後円墳が二基確認されています。ところで前方後円墳を築く習わしは仏教伝来の頃に廃止されたのではないかと、今日の読売新聞の「蘇我氏を掘る」に載っていました。となると、この逗子・葉山の前方後円墳は三世紀から六世紀頃のものと云ってよさそうです。

 その古墳のある桜山と云う地名も相当昔からの名前のようですし、この三浦半島一帯もかなりの文化を持つ一族が支配していたところのようです。しかしその一族とは天照大神を神とする大和民族だったのでしょうか。どうも神道と前方後円墳の関係が分からないのですが、日本で初めての伽藍、飛鳥寺を建立した蘇我馬子や聖徳太子らが前方後円墳の廃止を決めたとなると、それは明治時代初頭における排仏毀釈の逆の大改革と云うことになりそうです。

 しかし別の見方をすると、天皇と仏教の関係は七世紀から続いていたわけですから、それを明治維新の時に何故わざわざ排仏毀釈までして切り離さなければならなかったのでしょう。古い歴史と新しい歴史、その歴史が繋がっている日本はやっぱり凄い文化の国なのだと思います。
by antsuan | 2006-05-26 19:54 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(6)
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Commented by den8den8T at 2006-05-28 08:41
この時代このへんのことは、実におもしろいですよね。わたしも、大好きで、むかしから森先生の本とか、たくさん読んでましたよ。
ところが、圧倒的に「わからない」ことが多すぎる。
日本民族の紀元をもっと明らかにし、知らしめるためにも、天皇陵の学術的な系統立てた調査は、欠かせないのですが…。

桜山のは、わたしも山登りで確かめに行ったことがあるのですが、そうはっきりした「前方後円墳」じゃなかったですよね。
Commented by seilonbenkei at 2006-05-28 13:52
必死で探してやっとあんつぁんさんへのコメントにふさわしいと思える知的なの見つけました。
「新古代学の視点」という本のサブタイトルに「形から考える日本の心」とあります。
歴史は苦手なのですが、古墳はこの世に創出された他界のマツリゴト空間なのか?なんていうのは面白いですよね。
Commented by antsuan at 2006-05-28 16:05
この時代の面白さ、ようやく分かってきました。前方後円墳がはっきりした形でないのも意味がありそうです。またあとで書くつもりです。
Commented by antsuan at 2006-05-28 16:09
私も近代史以外の歴史に深入りしたことはなかったのですが、「八百万の神」の原点を探るのも面白そうです。
Commented by rabbitfootmh at 2006-06-01 01:14
大阪の泉州地方で、人生の4分の3を生きてましたので、「前方後円墳」や古墳はすごく身近なものでした。高校のすぐ裏にも一つあったし。
有名な「仁徳天皇陵」は、最近、ゴミの不法投棄などで荒れ放題らしく、きちんと調査・保存してもらいたいですね。奈良の古墳の二の舞になりそうで、心配です。
しっかりしろ、文化庁。
Commented by antsuan at 2006-06-01 10:30
保存とは何もしないことなのでしょうね。あぁ嘆かわしい。