あんつぁんの風の吹くまま

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死を看取る事も医療である

これは重箱の隅でごろごろごまめかな、人間どう死ぬるかのトラックバックです。

 もうだいぶ前に亡くなりましたが、お世話になった女性の上司は、いつ死んでも好いと言い放つ悔いのない仕事ぶりに、全く私は頭が上がりませんでした。タバコがやめられず心配していた通り肺ガンが見つかり死の告知を受けて辞める時も、「一緒に仕事をした十年間楽しかったよ」といって静かに息子さんの住む九州へ去っていきました。

 未だにいつも悔いの残る仕事ばかりしている自分ですが、気持ちだけはやるだけやって見ようと心がけています。しかし、悔しい事にこういう気持ちをそぐような役人の不純な行政指導や法律の改正が一向に減りません。

 医療業界に身を置くものにとって、健康保険から診療報酬と云うお金を頂戴している訳ですが、この報酬が救急医療を担う急性期治療対応型の病院に手厚く、死を看取る地域医療型の病院には僅かしか貰えない制度になってきました。理由は死ぬ人が多くなって、地域医療にお金がかかり健康保健制度が破綻してしまうからだそうです。

 しかし命を救う事だけが医療なのでしょうか。そうではないと思います。死を看取る事も重要な医療の仕事なのです。死を否定するからこそ意味のない延命治療に躍起になるのです。急性期医療とは本来は医療の最前線の現場で行われるべき医療行為であって、後方の大病院で仰々しくやるべきではないと考えています。もともと医療を急性期型と慢性期型に分ける事が間違いであって、病気のお年寄りを誰が面倒を見るかと云う問題をきちっと解決しないままでは、健康保健制度も介護保険制度も、まともな社会保障制度とは云えません。

 出産は病気ではないから健康保険からお金は出さない。それならば出産は産婆さんに任せて医者にやらせなければ良いのです。しかし、現実は産婆さんを養成することをせずに産科医にやらせている。こういう矛盾を放置しているからこそ産科医になる医師が少なくなるのでしょう。

 これと同様に、病気の年寄りを診るのは医療ではなく介護だと云い出してきました。慢性的病気のお年寄りは病院に入院してはならないと役人が決めたのです。現実に救急医療主体の急性期型の病院ではお年寄りの死を看取る事が少なくなっています。もうじき死を看取る医者がいなくなる事でしょう。

 これではなんの為に健康保険制度を守るのか分からなくなってしまいます。役人の食い物になってしまった保険制度は今や社会保障の弊害になっています。死を看取る事も社会的に保障されるべきであって、その観点からすれば、健康保険制度を守る事よりも、特別会計から社会保障の財源を外して一般会計の枠で賄うべき時が来ているように思うのです。
by antsuan | 2006-04-04 12:57 | 文学・教育・科学・医療 | Comments(4)
Commented by knaito57 at 2006-04-04 16:01
重い問題で考えさせられます。選抜の優勝、おめでとうございます。また「うれしい寄付」ということになるんでしょうね。
Commented by antsuan at 2006-04-05 07:51
ワールドベースボールクラシックの余韻を引きずっているかのように興奮しています (笑) 利害関係のない人は関心の無い事柄と思うのでしょうが、人の死をもっと身近に接する機会を得ることも教育の一つに付け加えるべきなのかも知れません。
Commented by saheizi-inokori at 2006-04-05 08:36
妻の末期、疼痛管理をする病院を探し回りました。結局桜町病院の山崎先生にあえてむりやり小児科の空きベッドに入ることが出来ました。あれが出来なかったら私は自分が今狂っていたかもしれません。病気とは人間が病むことなのに人間のことはそっちのけで病気ばかり追い回す。ひどかったです、日本一という病院でしたが。
Commented by antsuan at 2006-04-05 15:09
「小医は病気を治し、中医は病人を治し、大医は国を治す」という言葉があるそうですが、"中医”を医者の範疇から除外しようとしているのではないかと勘ぐるこの頃です。