あんつぁんの風の吹くまま

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キリスト教社会的論理の破綻

 今から思えば、9.11同時多発テロは産業革命後のキリスト教社会的論理の終焉を意味しているのではないでしょうか。

 産業革命がキリスト教社会の英国から興ったがために、多くの国が発展の為にキリスト教社会の論理を是として受け入れてきました。自由主義、平等主義、資本主義、これらはすべてイエス・キリストの神の下において成り立つ論理なのです。神の名の下に、教会や国王に束縛されない自由が民衆には有るという主張であり、平等についても、教会や国王に対して民衆は対等であるという主張なのです。

 従って、キリスト教社会以外の民がこの論理を主張する事に対して、キリスト教社会の国家は無条件に拒否反応を起こしました。いわゆる文明の衝突です。もちろん大東亜戦争もこれに当たります。では何故、敗戦国日本がこの論理の下に発展する事が出来たのでしょうか。それはキリスト教社会のもう一方の論理、共産主義が台頭してきたからです。このキリスト教社会的論理同士が覇権争いをしていたなかで、日本が自由主義社会国家に隷属していたからに他なりません。もう一つ付け加えるならば、勝者は敗者を背負わなければならないという古典的神学騎士道精神を持ったマッカーサー元帥が、武士道精神を持つ日本を、一方的な論理の強要から守ったからなのです。

 ベルリンの壁が崩れて、資本主義が共産主義に勝利しましたが、これによりキリスト教社会の論理がまともにイスラーム社会の論理とぶつかるようになりました。つまり、民主主義もキリスト教社会の論理である事に気が付かなければいけないのです。日本は、今もなお民主主義的国家つまり教会や国王から自由を勝ち取った民衆国家から、キリスト教社会的論理の行使を拒否されております。

 普遍的なものと思える民主主義も、人類全体の社会を定義づけられないものなのです。この事を気が付かせてくれた本が、藤原正彦著の「国家の品格」であり、「ダ・ビンチのコード」なのですが、民主主義に変わって、世界に通用する、公平で共存出来る社会のための、新しい教義を知っていて遵守出来るのは、どうやら日本人であるようなのです。本当なのでしょうか。
by antsuan | 2006-02-15 20:02 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)
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