あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

右左日本文明論 四章、終章

第4章
 明治時代以降、日本は廃仏毀釈をし、あらためて天皇が政治を司ることになった。此れは日本文明が江戸時代までで終わり、あらためて西洋文明の中に日本が入っていったことを示すのであろうか。否、山折氏は今なお日本文明が花開いているとみているのである。そこにはもはや宗教を超えた、日本人の大衆道徳、あるいは平和思想というものが行き渡っていると考えているようだ。

 歴史家アーノルド・トインビーは明治維新をフランス革命、ロシア革命と比較して無血革命と称した。そして其の成功は、日本人の大乗仏教にあるとみたのである。前項で、霊を祀る儀式の棲み分けを宗教の共存としてあげたのだが、実は死者をホトケとする考えは本家インドの仏教には無いものなのだ、つまりここに日本文明の本質が隠されているというのである。

 前に述べたように、日本は神話から歴史への断絶が無い、つまり我が国の「カミ」信仰はその「ホトケ」信仰とともに、本籍地を日本列島とする「ヒト」信仰であり、其の宗教観は「ヒト」の罪を許し、「死者」のケガレを浄化する反革命的な「平和」思想となって熟成されてきたのである。

 ここでようやく「パクス・ヤポニカ」(日本の平和)の思想的源流について言及したのだが、確かに、日本独特の武士道、茶道、華道などは、技術を極めることではなく心を極めることであり、これこそが弱肉強食的動物には出来ない、つまり、「ヒト」にしか出来ないことなのだ。そしてこの「ヒト」こそが、神でもなく、動物的生き物でもない、「公家的なもの」「上品振るまい」「非暴力的行動」という、日本人が実践してきた、究極の平和のための、人間が最終的に目指す生き方であると結論づけるのである。


終章
 乱暴に言うと、「人道主義」は日本独自の文明であり、他の文明では見られないということなのだろう。しかし、そう言い切れる背景として、他の文明が、「ノアの方舟」に象徴される「生き残りの戦略、思想」を基にしているのに対して、「カミ」と「ヒト」と「ホトケ」が連続的なものであるという、死の運命を享受することの出来る「無常のセオリー」を基にしているからである。
by antsuan | 2005-04-20 04:14 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antsuan.exblog.jp/tb/255594
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。